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戦友の絆
しおりを挟む「お前、一体全体どうしたんだよ? 気でも狂ったのか」
夜が明ける頃に、ライアン・ホランドがやってきた。
服装が宴の時のままで、つい先ほどヒルが捕らえられたことを誰かに聞いて駆け付けたのだろう。
「よく入れてもらえたな。ノーザンが許さなかったのでは?」
監禁されている部屋には空気の入れ替え程度の小さな窓が付いていて、そこから外の灯りが差し込みおおよその時間を把握することができるが、脱走は不可能だ。
「あいつは団長昇格になったのを喜んで、早速お前の部屋のベッドで大の字になって寝ているらしいよ、まったく。扉を守っている奴は徹夜させられてぐれていたから、銀貨を三枚握らせたらあっさり入れたぜ?」
ヒルは後ろ手に縛られ木の椅子に固定されていたが、ホランドは後ろに回ってあっさりそれを解いた。
「おい……」
「良いんだよ。どうせ逃げやしないだろう、お前」
言うなり、ほらと水とパンが入った籠を足元に置く。
「厨房が近くって楽だな。拝借してきた。俺みたいに酔いつぶれた連中も、ノーザンみたいに大捜索に駆り出された連中も、今はみんなほとんど寝ているからたいして警戒されていないしさ。夕方に追放なんだろう。食っとけよ。あ。媚薬は入ってないから安心しろ」
「ライアン……、お前」
「いや、『奥様のお願い』でアビゲイル夫人の酒のお相手をしたんだけど。いい感じに酔っ払ってべらべら喋ってくれたから、こっちは酔いがどんどん覚めてさ……。酔い潰して長椅子に寝せてきたよ。モルダーに何度も媚薬を仕込んだけどとうとう最終日も引っかからなくて、腹いせというか代替品で俺を寄こしてもらったなんて言われたら、さすがにお相手する気になれない」
肩をすくめて水の入った瓶のコルクを抜く。
そして数口飲んだ後、「お前も飲めよ」とヒルに押し付けた。
「そういや、アビゲイル伯爵夫人は……」
宮殿での正式な夜会などで、何かとモルダーに絡んでいたような気がする。
給仕たちが躍起になっていたのはそのような事情だったのか。
「うん。俺も思いだしたけど、けっこうなりふり構わず付きまとっていたよね。欲しいのはこれじゃないけど、まあいいかって、そんなにあいつと似ているかな、俺」
不満げに唇を尖らせているさまは幼く、とても同い年に見えない。
森の中でモルダーと話したことを思いだす。
『真偽のほどはこの金髪と顔でなんとなくわかるだろう?』
血縁だと、言っていた。
「さあ……。俺にはわからん」
水を少し飲んでからふと思った。
今、自分と向かい合っているライアン・ホランドは、昔の、リチャードの行軍に同行していたころの彼だ。
ホランド伯爵家の末っ子。
年取ってからできた子として周囲に可愛がられて育ち、甘えん坊で高飛車だが、親しくなれば悪い奴ではない。
こうして見張りを買収して差し入れに来るぐらいに。
「ねえ、ベージル。俺って枯れちまったのかなあ?」
ちょうど瓶に口をつけ水を喉に流し込んだところだったヒルは、思いっきりむせた。
「な゛……っ! ゲホっ!」
なんとか身体を反対に向けた為食材の入った籠に被害は及ばなかったが、顔と胸元は大参事だ。
「あーあ。ごめん? ほら、これで拭けよ」
ホランドは上着からハンカチを取り出しヒルに渡す。
「あ……ああ、すまん」
せき込みながら受け取ったハンカチでぐっしょりとぬれた首元を押さえた。
「……枯れ、たって……。何が……それはそのまんま、解釈して……良いのか?」
なんとか咳をこらえながら涙目で問うと、こくんとホランドが頷く。
「ちょっと前まで、すごく盛っていたのだけどね。なんかここに来てから面倒になってきてさ。前ならあり得ないんだよ、入れ食いの据え膳だらけだったのに、どうしたの俺ってくらい紳士。せいぜいキスどまりってあり得ない」
「いや……。それもどうかと思うが」
なんとか呼吸が落ち着いてきたところでふと、手元のハンカチに目をやる。
四隅をとどめる丁寧な縫い目、そして筆記体で縫い込まれたライアン・ホランドの名。
「このハンカチ……」
「ああ、最近ウィリアムから貰った。なんでも、制服を発注した商会がお礼に俺とウィリアムとヴァンの三人分、五枚ずつ誂えてくれたらしい」
ラッセル商会か。
ピンときたが何食わぬ顔で畳みなおし、ホランドへ差し出す。
「なるほど。綺麗な刺繍だな。……すまんが返すぞ。俺は夕方にはいなくなる身だ」
まさか、このイニシャルのみ刺繍されたハンカチが『アリ・アドネ』とはコンスタンスも分かるまい。
そして。
「ところで話を戻すけど。お前、どうしたい? リチャード様を説得しようか?」
「どうやって」
「うーん。リチャード様も真夜中は頭に血がのぼっていただろうけれど、昼くらいには落ち着いているんじゃないか?だってお前、あの時の功労者だし、乳兄弟だろう」
「だから、追放で済んだんだろう。主君の想い人に無礼を働いたなら、普通はその場で刺されても文句は言えない」
「少なくとも昨夜やったのはノーザンなのに、なんでお前が罰を被るんだ?しかもアイツが団長だとか正気か」
眉間に深いしわを刻んでホランド吐き捨てた。
「ライアン、お前……」
「なんだよ」
「俺が無実だと解っているのか?」
「そりゃ、ほとんどのヤツは分かっているんじゃないのか。本邸で寝たのは俺を含めて何人もいるのだから」
「…………信じられん」
ホランドの言動がかなりまともな状態なのは、やはり。
「ああもう。何がだよ。なに冷静になってんのお前。お前があまりにもつれないから腹いせしたつもりがなんだか大事になってしまった感じなんだろう? リチャード様もコンスタンス様も落としどころを間違えたんだ」
見事な金髪をがしがしと乱暴に両手でかき回しながらホランドは続ける。
「なあ。濡れ衣着せられたままおとなしく出ていくのか? 解雇だからこの国で騎士としてまともに働けないぞ。かん口令を敷いたと言っても、こんな面白い話、あっという間に広まるさ」
帝都の人々は醜聞を好む。
あり得ることだ。
「だが、もう留まる気にはなれない。俺は少し疲れたよ」
本心だ。
別邸のことは気になる。
今、こうしている間も心配だ。
しかし、なんとしても騎士団長としてとどまるという道を選ぶ気にはなれなかった。
潮時なのだと思う。
「…………っ」
ぐっとホランドは言葉を飲み込んだ。
「わかった。なら、とりあえず餞別。ほら」
ポケットから金貨を一枚出してヒルに握らせる。
「……おい、これは」
「半日歩けば町に出られるのだろう。そこでとりあえず馬を買え」
ホランドがかなり正確に状況を把握していることを知った。
「すまない。とりあえず借りる。礼に一つお前に行っておくことがある」
ヒルに比べるとずいぶん華奢な肩を掴んで引き寄せ、耳元にささやく。
「俺しか知らない情報だ。……ドナを襲った男が最中に急死した。そいつは給仕の取りまとめだった」
「…………は?」
息のかかる距離でホランドは長い睫毛を瞬く。
「本当に?」
宝玉だと令嬢たちがもてはやす瞳をきらめかせ、小さく首をかしげた。
「ああ」
「はあ……。それなのに、お前は抜けるのか……」
ホランドはがくりと肩を落としへたり込む。
「気をつけろ、ライアン。本邸でウイリアムとヴァン以外は信じるな。なんでも食うのはやめろ」
ぽん、と軽く頭を叩くと、ぱしっと手を払いのけられた。
「まったく。俺は死なないからな。一度死にかけたんだ。二度はない」
魔法は全くで剣は基礎程度しか操れない秘書だというのに、ホランドは戦地へ同行し九死に一生を得たことがある。
見渡す限り死体の山となった敵地で。
「そうだな。その意気だ」
ホランドの白く長い指は、無意識のうちにハンカチを強く握りしめていた。
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