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貴婦人たちのたしなみ
しおりを挟む男たちが狩猟という名の競い合いを楽しんでいる間、女性たちは与えられた個室で呑気に過ごしているわけではない。
主催者夫人によるもてなしとして女性たちのためのお茶会や食事会などやさまざまな余興が用意されており、それらの出席は自由だがよほどの理由がない限り欠席はあり得ない。
見方によっては獣を追いかける男たちよりはるかに過酷な社交という名の精神戦をの連続だ。
「コンスタンス様の本日の装いは、『イオナ』のトップデザイナーが手掛けたのでしょうか。とてもよくお似合いですわね」
隣に座っているアビゲイル伯爵夫人が頬に手を当て羨ましそうな視線を送る。
「ありがとうございます。この狩猟会に招かれたと『イオナ』へ連絡をしたら、すぐに飛んできてくれましたの」
コンスタンスはゆっくりとティーカップをテーブルに降ろし、優雅に微笑んで見せた。
ぐるりと取り囲む貴族の子女たちが自分の一挙手一投足に注目していることは分かっている。
娼館で上位に昇り始めたとき、所作に関しては徹底的に仕込まれた。
最上位にあたる数人の娼婦は高位貴族や王族が主な顧客で、それに次ぐ娼婦たちは大商人や伯爵程度の貴族を相手にもてなす。
コンスタンスはあと一歩で最上位に届くところでしくじって転落し、植民地の娼館へ流された。
今はこうして貴族の中心に座り優雅に茶を嗜んでいるが、たまたまその流刑地にリチャードが赴任し幸運が重なり容易く手中に収められたからに過ぎない。
屋敷の中では女王のように扱われていても、外に出ればただの娼婦。
女性たちの眼はいかなる時も厳しく、好感度はもちろんマイナスから始まる。
それを覆すのは話術と優雅な仕草。
初手は男を篭絡するよりはるかに難しいが、他愛のないきっかけであっけなく手のひらの上で転がせるのが貴族の子女の良いところだ。
例えば。
「ところで、我がゴドリー家より連れてきた男たちは、ご夫人のお役に立てているでしょうか?」
さまざまな趣向を凝らした広い空間をぐるりと見渡す。
「最高ですわ。おかげ様でどなたも退屈している様子はありませんもの」
各部屋に続く扉は全て解放され、そこかしこにテーブルセットが配置され、貴婦人や令嬢がそれぞれ気の合う者同士が同席しくつろいでいる。
給仕する侍女たちはいちように容姿端麗で身にまとう制服は誂えたばかりの最新型だ。
彼女たちの話の輪の中に時々加わっているのは眉目秀麗な若者たち。
彼らの多くはアビゲイル伯爵夫人がもてなしの一環として手配した男性で、役者や画家や音楽家など話術と接待に長けた者ばかり。
さらに従僕は知的で落ち着いた年齢と雰囲気の執事然とした者を取りそろえた。
それだけでも十分女性たちは心躍るひと時を過ごせただろうが、更にコンスタンスが連れてきた騎士と従僕たちも見目に関しては引けを取らない。
その筆頭が騎士団長のベージル・ヒルと秘書官のライアン・ホランド。
戦場で活躍し褒賞を受けるほどであったヒルは背が高くいかにも騎士らしいがっしりとした体格だが、オレンジ色に近い赤毛と明るい茶色の瞳と日に焼けた肌という野性的な色をまとっているにもかかわらず目鼻立ちは品があり端正で、そのアンバランスさがかえって魅力を増している。
そしてホランドは金細工のような色の金髪に明るい光を放つ青い瞳。ふわりと柔らかな髪とバラ色の頬と形の良い唇と合わせて天使のような風貌に蕩けるような甘さを加え、細身で締まった後ろ姿に、令嬢たちの眼はついつい彼を追いかけてしまう。
二人がその場にいるだけで、場はますます華やいだ。
「ただ、コール卿とクラーク卿がいらっしゃらなかったのは少し残念ですわね」
リチャード・ゴドリー伯爵の側近四人が揃いも揃って美形であることは社交界で知れ渡っている。
アビゲイル伯爵夫人はリチャード夫妻を招待することにより、様々な意味で出席者たちを満足させこの狩猟会を成功させることをもくろんでいた。
「私としては連れて来たかったのですが、伯爵家としての雑事は多岐にわたりますから」
申し訳なさそうに視線を落として見せたが嘘だ。
コンスタンスの中で当初の計画では全員同伴予定だった。
しかし、コールとクラークは前の執事との引継ぎがうまく行っておらず、このままでは執務に支障が出ると言い出し頑として同行を拒んだ。
いつもなら主に逆らう二人ではなかったのでリチャード自身も驚いていたが、金銭的手続きに支障が出始めていると言われ、仕方なく了承した。
さらに留守居役に付こうとしたヒルだけは、強引に理由をつけて出立の朝に命を下して連れてきたが。
「そうですわね。帰国されてからまだ間もないですし……。次の機会を期待していますわね」
夫人は四人を同時に侍らせることに未練があるらしい。
「もちろんですわ」
今年の春に植民地の提督の任を解かれて帰国したリチャードは現在、サルマン帝国騎士団の五将軍のうちの一人で、十あるうちの二つの師団の長でもある。
しかしそこは自領地を含め比較的平和な地方の守備保全が主で、将軍自ら乗り出すようなことはほとんどない。
だからこそ、この半年は心行くまで存分に屋敷に籠って過ごし、リチャードも使用人たちも掌握することができた。
とはいえ、三月の議会開始のころにはリチャードの両親が帰国するだろう。
彼らがコンスタンスを妻に据える事に猛反対し阻害しようとする前に、貴婦人たちの世界での足場を固める必要があった。
「この狩猟会のお礼に、是非とも今度はご夫人に存分に楽しんでいただけるよう、わたくしがもてなし致しますわ」
コンスタンスは身体を寄せそっとアビゲイル伯爵夫人の腕に手をかけて、低く囁く。
「わが家の僕たちを、どうぞ思いのままに」
その一言で、夫人はきらりと瞳を輝かせた。
「……まあ。どうしましょう」
内心、さぞ舌なめずりをしていることだろう。
アビゲイル伯爵夫人は成人と同時に政略結婚し、跡継ぎ、スペア、駒になり得る娘と、貴族として必須の三人の子を無事に産んだことで早々に貴族の妻としての務めを果たし終え、子育ては使用人に任せ、今は社交界の華としてふるまいつつ、軽い恋を嗜んでいる。
夫も同じくで、二人は伯爵家を盛り立てる時のみ共闘する、実に相性の良い夫婦だ。
「ところで、ホランド卿はどのような『お酒』がお好みなの?」
白くて柔らかな指には彼女の瞳と似た見事なエメラルドが光っていた。
有能な人材に任せた事業経営は順調らしく、見るたびに違うデザインの指輪が彼女を彩る。
「どうでしょう。彼は、いろいろと造詣が深いようですが……」
窓辺の席で数人の未婚女性に囲まれているライアンに目をやると、それに気づいたのか、彼はふと妖艶な笑みをコンスタンスたちに返した。
「甘すぎて記憶に残らない軽い風味より、じっくりと熟成した味わい深いほうが好みの様に思います」
享楽的で背徳感とスリルに目のないライアン・ホランド。
外見と育ちの良さは申し分がなく、『嗜む』のにこれほど最適な男はいないだろう。
「ふふ。今夜、彼にお勧めしたい一品があるのだけど良いかしら」
この女とは、とても、気が合いそうだ。
幸運なことに。
「きっと喜びますわ。彼ならきっと」
コンスタンスはゆったりと唇を上げた。
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