糸遣いの少女ヘレナは幸いを手繰る

犬飼春野

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やるべきこと

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「まずは、私の叔父のために多大なご尽力をありがとうございました」

 ウィリアム・コールは、いかなる時にもウィリアム・コールだった。

 ぴしりと背筋を伸ばした状態でしっかりと頭を下げる。
 髪一筋、乱れることのない完璧な所作。
 清廉潔白という言葉がこれほど似あう執事はいないだろう。

「あの、どうか頭をお上げください。何というか・・・。正直な所、私が率先して介入したわけではなく、ネロに呼び出されてあれよあれよという間にこうなったので」

 そう。

 眠りについたら特別な環境に放り込まれ、ネロと問答しているうちにシエルも巻き込まれて言われるままにミッションをこなしていっただけのこと。

「今も何が何だかって感じなのですよね。五日も眠りこけていた上に髪が伸びているからああ現実なのだなあと、やっと思ったくらいで」

 ベッドに座ったままのヘレナの腹に背中を預け、仰向けになってくつろぐネロは満足げにごうごうと喉を鳴らしている。
 そんな彼の両前足の肉球をふにふにと指で揉みながらヘレナは首をかしげた。

「バーナード様の体調が改善されたなら、本当に何よりです。あのままでは皆さんお辛いでしょうし」

 ミカに促され、コールはヘレナのベッドのそばに置かれた椅子に座る。

 ネロからくらった渾身の一撃を自ら治療したシエルは元の椅子に戻り、ミカと何事かこそこそ言い合っているが、まあ、何か積もる話があるのだろう。

 とりあえずヘレナはウィリアムとの会話に集中することにした。

「翌朝、まず叔父は書類他貴重品を保管していた場所を教えてくれました。認知機能が落ちてきていることを自覚した時に魔道具師に出会い、愛用の懐中時計に『収納』を施していたのです」

 彼はその時計をベストのポケットから出して見せてくれた。

 長い間大事に使われていたことが一目でわかる。

 しかし、執事の所持品としての機能性を重視しているので、傍目には高価に見えない。

 『どこにでもある時計』という事がねらい目であり、それ故に難を逃れたのだろう。


「なるほど。ならば、重要書類はすべてそこに?」

「はい。ただし、片っ端から突っ込んだため膨大な量で、実は隣の応接室をお借りしてそちらでヴァンと交代で伺って整理をさせていただいています」


 今は主のリチャード夫妻に同行しておぼえめでたい使用人たちは本邸を開けている。

 しかしだからと言って、油断はならない。

 おそらく、バーナード・コールを陥れた人物の仲間の一部は留守番組の中にもいるはずだ。
 全員で執事のウィリアム・コール及び従僕のヴァン・クラークの挙動を監視している可能性もある。

 二人が前執事のバーナードの残した仕事を徹底的に見直し、それを理由に主たちの旅行に同行していないのは周知の事実。

 彼らにはどうしても手に入れたい書類があるのだろう。

 そうでなければ、有能な執事に薬を盛って徐々に混乱させる必要はない。
 単に家政の実権を握りたいならば、早々に事故死をさせれば良かった筈。
 権利書の類を転売して換金し、全ての過失を彼に被せるつもりだったとしか思えない。


「確かに、今となってはこの屋敷の中が一番安全ですね」

 シエルたちが施してくれた防御術のおかげで、悪意ある者は柵から中に入ることができない。

 ちなみに、バーナードを預かっているコール子爵家元家令のジョセフの敷地にも先日ハーンが同じように術を張り巡らせたそうだ。

 盗賊を装って襲撃されることを想定してのことらしい。


「それと、主であるヘレナ様には事後承諾になって誠に申し訳ないのですが、この数日間、私とクラークはシエル様に頂いた術符を使って移転魔法で本邸と行き来しています」

「え?さきほど馬で来られたようにお見受けしましたが・・・」

「あれは、以前からの取り決めの定期的な行き来を行っているふり・・・ですね。もはや。リチャード様たちが戻る前にあらかた目途をつけておきたいので、泊まり込みに近い状態です」

 主不在ゆえに使用人たちの自由な時間が増えた。

 朝食と夕飯の時に食堂で連絡事項の確認をするほかは一堂に会する必要もなく、そもそも騎士の巡回以外の夜勤の必要がなくなった。

 残留組も別の形で休暇を貰っているようなものなのだ。

「でも、二人とも本邸を空けて大丈夫なのですか?」

「今のところは。ハーン様が面白い術符をくださったので、もしもの時はそれで乗り切れるかと」

「ほう・・・。それはどのような・・・」

 面白い術符。
 嫌な予感がする。

「一つ目は、『身代わり札』で、私室の扉に貼っておけば在室の気配がし、軽い応答もやってくれるという優れもので、二つ目は『使役札』で、異変を察知したら即知らせに飛んでくるというものです」

 今回の状況を踏まえて、特別に書いてくれた試作品だそう。

「ははは・・・。一つ目の術符、どこかで聞いた昔話を思い出しますね」

「ええ。そこからヒントを得て書いてみたそうで」

「なるほど」

 天才の、天才たるゆえんか。
 リド・ハーンがアクアマリンの瞳をきらきらと輝かせて説明している姿が目に浮かぶようだ。

「ああ、そういえば」

 ふと、そこで大切なことを思いだした。


「私、夢の中で気になるものを手に入れたのでした」


「気になるものとは?」

「治療している最中にバーナード様の身体の中で、妙なかけらに遭遇したのです。あまりにも禍々しい雰囲気だったので、拾って、イチイの指輪に収納して・・・」

「そんなことができたのですか?」

 コールもさすがに目を丸くする。

 経緯をある程度シエルから聞いていたし、実際に叔父は驚異的な速さで回復していっている。

 しかし、魔法とあまり関わりのない生活を送ってきた身としては想像できない世界だ。

「不思議でしょう。私も理解できないのですが、もう、夢なら何でもアリかなと思うことにしました」

 ヘレナは視線をコールの背後に流す。


「シエル様、あの拾得物をお預けしたいのですが」

 呼びかけに応えて、シエルがすぐにそばまでやってきた。

「大丈夫ですか」

「はい」

 ヘレナは左手の中指の根元に馴染む期の指輪に唇を当てて囁く。

「開いて」

 すると、目の前に以前に見た透明な板が現れた。

 記述されている内容は、ほぼ記憶にある以前と変わらない。
 考えてみるとこの指輪を嵌めて以来、操作する機会はなかった。


「ええと・・・。あった。水晶玉」

 やはりそれは収納されている品物の中でも異質なものと区分されていたようだ。

 表示されている文字の色がそれだけ異なって鈍く光る。


「その水晶玉をちょうだい」

 指示すると目の前に小さな光と空間が開け、しゅんと音を立ててヘレナの手のひらに落ちた。


「あれ?」

 それは、夢の中で記憶していた玉よりもずいぶん小さく、ヘレナの親指の爪ほどしかない。

 しかし、指でつまんで玉の中をじっと見つめると、禍々しい何かが真ん中にある。

 鈍色で、鱗のように薄くて、丸い形状だったもの。

 今は、砂粒ほどの微かな物質となって現れた。


「どういうことでしょうか・・・。私の記憶では金貨ほどの大きさだったのですが」

 戸惑う声をそのままに、シエルを見上げて尋ねた。

「・・・おそらく。夢の中ならではの『都合の良い大きさ』だったのではないでしょうか」

 考えてみれば、バーナードの中というところは、物の大きさの対比はめちゃくちゃだった。

 病巣と思しき心臓らしきもの、そして詰まっていると言った血管らしき管のどちらもヘレナたちが施術しやすい大きさと配置で、実際の内臓はそうではないと今ならわかる。


「要するに、ネロは私に見つけさせたということなのでしょうか」

 こうしている間もヘレナの上でだらしなく腹を見せくつろいだままうとうととしている黒猫が、名を呼ばれてうっすら金色の瞳を開いた。

「ネロ。貴方・・・」

 ヘレナが問いかけても、彼は大きくあくびをしてそのまままた寝入ってしまう。

「答える気はない、か・・・」

 ため息を一つついて、ヘレナはつまんでいた玉をシエルに差し出した。

「では、後のことは魔導士庁のみなさまにお願いしてもよろしいでしょうか」

 ネロの悪戯心なのか、それとも彼の血の中にある神の意志なのか。
 なんにせよ、これがヘレナたちの手に渡ることに意味があるのだろう。

「もちろんです。おまかせください」

 シエルは受け取ると小さな布に包んで握りこみ、何事か唱える。

「・・・・」

 次にその手を開いた時には、その布と玉は消えていた。

「うわ、なんか手品みたいだね。何したの?」

 背後から見ていたミカが思わずといった様子で尋ねる。

「すぐにも検証したほうが良いでしょうから先にハーンへ送りました。きっと今頃小躍りしていることでしょう」

 シエルの言葉に、全員、あの、外見は天使で中は魔境生物の青年を思い浮かべた。
 間違いなく、彼とその仲間は届いた不審物に喜び、輪になって踊っているだろう。

「そっか・・・。まあ、真相究明がさくっと行くなら、良いんじゃない?」

 たしかに。
 バーナードの体内で悪さしていた物質。
 それが何かわかれば、新たな道が見つかるかもしれない。



「なら、あと、私がやるべきことはこれかな」

 ヘレナはひょいとネロの前足を手に取った。


「ミカ。裁縫箱にある糸きり鋏を取ってくれるかしら」

 ぴくんと、黒猫の耳がかすかに動いた。


「ずっと気になっていたのだけど、ずいぶんと爪が伸びすぎていたみたいね。丁度いいから切っちゃおう」

 やる気満々の声に、ネロはかっと目を開いた。

 先ほど全ての足の肉球を優しくマッサージしてくれていたのは、さりげなく爪の伸び具合の確認をしていたのだとようやく悟る。


「び~っ」


「あは。やっぱり狸寝入りだったの、ネロ」

 ヘレナにしっかりホールドされた黒猫に逃げようはなかった。


「あ、ヘレナ。切るのは私がやるよ。得意だし」

 鋏をシャキシャキ鳴らしながらミカが歩み寄る。


「~~~!!」


 ぱっちんぱっちんという軽快な音があがる中、パールは主の健在に安堵してぐっすり熟睡していた。




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