98 / 317
バーナード・コール
しおりを挟む「こちらになります」
廊下を突き進むと増設された区域に行きつく。
突き当りの扉を開くと応接間、そして更に奥に大きなガラスがはめ込まれた小部屋があった。
程よく植木鉢が配置された淡い光の差し込むそこに、一人の男が長椅子に座っているのが見えた。
「バーナード様。ウィリアム様がお見えになりましたよ」
ジョゼフは彼の正面に回り、膝をついて話しかける。
「・・・」
その後ろ姿はぴくりとも動かない。
顔を上げたジョゼフはウィリアムたちに目線でこちらへ来るよう合図をした。
ゆっくりと近づき、回り込んで彼の姿を確認した途端、みな言葉を失う。
まるで、大きな人形だ。
顔や体つきといった全体的な特徴は甥であるウィリアムとよく似ている。
親子と言っても良い位に。
しかし肉を削げ落としたかのように骨ばった顔の中心にある黒い瞳は見開かれたままで生気がなく、まるで魂が抜き取られた抜け殻のように見える。
「叔父上・・・」
こくりと息を飲んでから、ウィリアムは声をかけた。
やはり、反応はない。
ゆっくりとわずかに胸元が上下しているので生きているのは分かる。
しかし、これはまるで全ての感覚を失ってしまったかのようだ。
呆然とバーナード・コールを見つめて立ちすくんでいると、急にネロがヘレナの腕からするりと降りた。
「あ・・・。ネロ?」
慌てて捕まえようとしたが軽やかな足取りで駆けだし、そのまま毛布を掛けたバーナードの膝の上に飛び乗った。
「すみません、すぐに・・・」
ヘレナが手を伸ばすが、ジョセフは笑みを浮かべて首を振った。
「多分大丈夫です。うちにも何匹か猫がおりまして、たまに彼らも私共が目を離した隙にバーナード様の膝で過ごしているのを見かけますが、お嫌いではない感じです。このままで問題ないでしょう」
ネロは勝手知ったる風で前足を男の胸元に置くと、いきなり彼の顎から頬を舐め始めた。
ざりざりざりざりざり・・・・。
「ネロ!!あなたなんてこと・・・っ」
ヘレナの全身から血の気が引いた。
ネロは尻尾をピンとたてて一心不乱に元執事の顔を舐めまわす。
猫の舌は意外と固くて痛い。
病人の皮膚がむけてしまうかもしれない。
とめに入ろうと一歩前に出たが、シエルが背後から両肩に手をやり静止する。
「しー。そのままに。ネロなりに何か考えがあるのでしょう」
囁かれて、ウィリアムとジョセフに目をやると二人ともこくりと頷いた。
「そう・・・でしょうか・・・」
ネロは魔改造生物だ。
何かを感じて行動していると言われればそんな風にも見えるが、果たして、病を得てもなお端正な元執事の顔に傷を付けずに済むだろうか。
まるで母猫が子猫の毛づくろいをするかのように舐め進めているうちに、ぴくりと、膝の上に放り出されたままだったバーナードの手がびくりと動く。
「・・・叔父上」
そっとウィリアムが声をかけると、見開かれたままだった男の黒い瞳へ次第に光が宿る。
一度、ゆっくりと瞬きをしただけで、彼は変わった。
人形から、人間へと。
「・・・ウィリ、アム・・・」
かすれ気味だったが、甥に似た、どこか透明で誠実な声。
ゆるゆると片手を上げて、己の顔を舐める黒猫の背に細い指先を慎重に滑らせる。
優しい動きだ。
「ぴ」
ふんと大きく鼻息をついたネロは、顔を男から離し、前足を胸元から膝へ降ろして背筋を伸ばした。
「これ・・は・・・。いったい・・・」
少し、上の空な口調。
どこか夢を見ているかのような表情。
完全に正常な状態になっているわけではないだろう。
「ご無沙汰しています、叔父上」
叔父の足元に跪き、ネロに触れず放り出されたままの方の手に両手を添えた。
「叔父上の体調を改善するための手立てを探しに来ました。診察を受けていただけますか」
見上げて真剣に語り掛けるウィリアムに、ゆるりと黒猫を撫でていた手を伸ばす。
「ウィ・・リ、アム・・・」
まっすぐで滑らかな黒髪にぽんと、骨ばかりになった手を乗せた。
「お前の・・・思う、ように」
霧の立ち込めた意識の中と外を行ったり来たり、波のようにたゆたっているが、なんとか叔父としての品位を保とうと努力しているのが垣間見える。
言葉を発するのもかなりの努力が必要なのだろう。
口元が震え、肩も懸命に呼吸しようと上下している。
「ありが・・・とう・・・、ウィル・・・」
その一言に、ウィリアム・コールは子供のように顔を歪めた。
29
お気に入りに追加
469
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
のほほん異世界暮らし
みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。
それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。
婚約破棄されたら魔法が解けました
かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」
それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。
「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」
あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。
「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」
死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー!
※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です
キャンプに行ったら異世界転移しましたが、最速で保護されました。
新条 カイ
恋愛
週末の休みを利用してキャンプ場に来た。一歩振り返ったら、周りの環境がガラッと変わって山の中に。車もキャンプ場の施設もないってなに!?クマ出現するし!?と、どうなることかと思いきや、最速でイケメンに保護されました、
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
最強陛下の育児論〜5歳児の娘に振り回されているが、でもやっぱり可愛くて許してしまうのはどうしたらいいものか〜
楠ノ木雫
ファンタジー
孤児院で暮らしていた女の子リンティの元へ、とある男達が訪ねてきた。その者達が所持していたものには、この国の紋章が刻まれていた。そう、この国の皇城から来た者達だった。その者達は、この国の皇女を捜しに来ていたようで、リンティを見た瞬間間違いなく彼女が皇女だと言い出した。
言い合いになってしまったが、リンティは皇城に行く事に。だが、この国の皇帝の二つ名が〝冷血の最強皇帝〟。そして、タイミング悪く首を撥ねている瞬間を目の当たりに。
こんな無慈悲の皇帝が自分の父。そんな事実が信じられないリンティ。だけど、あれ? 皇帝が、ぬいぐるみをプレゼントしてくれた?
リンティがこの城に来てから、どんどん皇帝がおかしくなっていく姿を目の当たりにする周りの者達も困惑。一体どうなっているのだろうか?
※他の投稿サイトにも掲載しています。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる