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『アリ・アドネ』
しおりを挟む「奥様のご用件は、『アリ・アドネ』でしたか。あれはドレスの部品職人でドレスメーカーたちしか知らない情報なのに、よくご存じですね」
「最近知ったのよ。なんでも、素晴らしい婚礼衣装を作ったとかで社交界の噂になっているわ」
コンスタンスが植民地であるシエナ島の高級娼婦であったことは、周知の事実。
リチャードが度々夜会のパートナーとして連れているが、親しくなろうとする令嬢や貴婦人は今のところいない。
ゴドリー家の権勢を鑑みて、粗略に扱うことはないが必要以上に交際することを避けていた。
そのため、お茶会などでコンスタンスのみの招待はおそらく皆無。
だとしたら、女性たちがくつろぐどこかのティールームでの噂話を拾ったのだろう。
「それで、その『アリ・アドネ』に私のドレスを作ってほしいの。夜会、正餐会、お茶会。とりあえず三着で良いわ」
無邪気を装いながら指を三本折ってみせる。
「お待ちください、奥様。なぜわたくしにそれをおっしゃるので?」
断られることはないと思うからこその暴挙。
「あらだって、『アリ・アドネ』はラッセル商会の商品でしょう?知っているわ、ヴェルファイア公爵令嬢のデビュタントのドレスを手掛けたのは『メリーアン』だったわね。あそこのお針子に聞いたのよ。レースはどこから仕入れたのかを」
『アリ・アドネ』はドレスメーカーたちの間で争奪戦になってはいるから、ラッセルにたどり着くのは容易だ。
知った瞬間、欲しくなったのだろう。
身に付けさえすれば羨望の的になれる。
そして、リチャード・ゴドリー伯爵の寵愛の深さを見せつけることができるのだ。
しかし。
「大変申し訳ありませんが、その話はお受けできません」
テリーは頭を下げた。
「・・・どうして?」
きょとんとした顔で首をかしげる。
「『アリ・アドネ』はパーツ専門で、ドレスを作るのは不可能です。ましてや夜会や正餐会など正式な場で着用するようなものはとても・・・」
「大掛かりな結婚式で派手に婚礼衣装を発表して、帝都の話題をかっさらっといてそれはないじゃない?」
コンスタンスの機嫌がどんどん悪くなっていく。
唇がぴくぴくと震えだしたのをミカは軽く頭を下げた姿勢で盗み見た。
「いえ、その婚礼衣装は東方のエルナリ国の衣装の模倣だったからこそできた話です。奥様はご覧になっておられないからご存じないと思いますが、あれは・・・」
みなまで言わせない。
身を乗り出し、ばん、とテーブルを叩いて叫んだ。
「あなた!!私のことを娼婦だと思って見下しているのね!!私ごときの着る服などないって言いたいんでしょう!!」
意外と声が高い。
「いえ、そういうことではなく・・・」
「ひどいわ・・・っ。私は好きでこんな生まれではないのに、みんなして・・・っ」
「コニー・・・。泣くな」
「コンスタンス様・・・」
両手で顔を隠し声を上げて泣き始めたコンスタンスを、リチャードが慌てて抱き寄せ、ホランドとクラークが心配げな顔で覗き込む。
リチャードがどれほど慰めても顔を覆い子供のように首を横に振り続ける。
「無礼だぞ、ラッセル。有り難く依頼を受けるのが商人だろう。コンスタンス様をこれほど泣かせて、貴族を愚弄した罰を受けるのも覚悟しているのだろうな」
いつまでも泣き止まないコンスタンスに、ホランドが怒りをあらわに恫喝すると、テリーはしっかりと顔を上げて反論した。
「最後までお聞きになってからいかようにもなさってください。その衣装は東国の温暖な気候故に実に単純な構造で、初心者でも縫える代物なのです。みなさんはシエナ島におられましたよね。そこの原住民たちの衣装に似通っています。どうか今思い浮かべてください。あれに刺繍のみ凝った図案を施したからこそ斬新で、話題を呼んだのです」
「原住民の衣装・・・?」
ホランドは若干引いている。
おそらく、選民意識の強い彼にとって良い印象ではないのだろう。
「はい。現物はお見せできませんので、参列した方々にお尋ねになると良いでしょう。新郎新婦ともに同じ形のパンツスーツであったとおっしゃるはずです。魔導士庁の庭園で行われた式だからこそ映えました。まさかそれを奥様が正式な場でお召しになるわけにもいきますまい」
「しかし・・・」
「・・・なにも、今すぐでなくていいのよ。春の社交シーズンが始まった時で良いのだから、時間は十分あるわ・・・。それでもだめだというの・・・」
しゃくりあげ肩を震わせながら言いつのるコンスタンスに、リチャードは眉を下げる。
「ならば、私がその『アリ・アドネ』とやらと交渉しよう。お前では話にならん」
「いえ、それはご勘弁ください」
「なぜだ」
騎士団でならその睨みは有効なのだろうが、テリーにとっては。
「・・・っ」
一緒になって慰めていたヴァン・クラークがふいに何かを言いかけたが、くっと喉を鳴らして一歩後ろに引いた。
そのまま、さらにゆっくり後退し、窓辺によりかかった。
しくしくと泣き続けるコンスタンスに気を取られているホランドとリチャードは気が付かない。
「貴族の令嬢だと聞いたわ」
コンスタンスは両手を少し下げ、蚊の鳴くような声で呟いた。
「お針子が教えてくれたの。貴族の人にしかわからない伝統に精通していて話が通りやすいとメリーアンが言ったと」
どんな手を使って聞き出したのやら。
指の間から覗かせた潤んだ眼をぱちぱちと瞬いてみせる女に内心苦々しく思いながら、テリーは口を開いた。
「そうですか・・・。そこまでご存じなら白状いたします。これはどうかゴドリー家の皆様の心のうちにとどめ起き、決して口外なさらないでください」
ここだけの話と言われれば、特別扱いされた気にもなる。
「おっしゃる通り、『アリ・アドネ』は女性です。そもそもは高位貴族のご令嬢が趣味の一環で作られた作品で、ちょっとしたお遊びを私共に提供頂きました。公爵令嬢の衣装については好奇心の延長だったのです。更に白状いたしますとご令嬢は身体が弱く、長時間の作業に耐えられません。だから、たとえゴドリー家の依頼であってもお受けできないのです」
「貴族令嬢なのか。ならば、なおさら私が直接話をしよう。どこの家だ」
抱いたままのコンスタンスの背を撫で、リチャードはきっぱりと言い切った。
夫の胸に頭を預け、妻は期待に満ちた目で見つめる。
なんて茶番だろう。
「そうなると、その高位貴族の令嬢の親もしくは家門の長と交渉することになります。本当に、おできになりますか?」
ミカの件でストラザーン伯爵夫人と交渉することをよしとせず、不正を促している二人が。
「そのご令嬢は、不本意な事態になったなら、作品を作ることをやめるとおっしゃっています」
聞く側としては明らかな脅しだ。
しかし、これは『アリ・アドネ』に絡む決まり文句。
今まで何度も口にした。
愚弄だのなんだの言わせない。
「もしも、その不本意な事態がリチャード様によるとなれば。それが社交界に知れ渡ったなら。・・・それをお考えのことでしょうか」
テリー・ラッセルはこの日一番の微笑みを浮かべてみせた。
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