あんなこと、こんなこと

近江こうへい

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【こぼれ話】それぞれの、あんなこと、こんなこと

11.【井田・社会人三年目/秋~翌夏】愛の言霊 ③

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 シャワーを浴びて出てくると、宇山は皿に移したおかずをレンジに突っ込んでるところだった。程よく効いたエアコンは火照ほてった身体に気持ちいい。ベッドの上には俺の着替えも用意されてるし、至れり尽くせりだ。
 Tシャツとハーフパンツを着てる間におかずが温まって、炊きたての玄米ご飯と一緒に、部屋の真ん中にあるローテーブルに並べられた。そのタイミングでいつもの位置に向かい合って座ると、二人そろって手を合わせる。迷わず何かの豆のスープを飲んだ宇山の口元が「うま」と緩んだのを確認してから、俺も何かの肉が乗っかったサラダに手をつけた。

 朝見かける柴犬がかわいい。駅で最近流れてるCMがおもしろい。帰りの電車で斜め前に立ってた人の靴がかっこよかった。ポテチの新味がイマイチだったけど、ハマらなくて済むなら逆によかったのかも。仕事中にもらうあめ玉がたまりすぎてて袖机の中がそろそろやばい。
 そんなたわいもない話を楽しそうにしながらも、時々宇山の表情が陰る。何度かそんなことを繰り返した後、宇山は口の中のサラダを飲み込むと、今思い出したようなふりをして口を開いた。

「そういえばさあ、うちに泊まったりすんのって井田の親は何か言わないの?」
「あー。彼女がいるなら一回うちに連れてこい、とかは言われた」
「うわ。やっぱそんな感じなんだ」

 そんなの、もう八か月も前のことだけど。普通、週の半分も外泊が続いたら、さすがに相手は友達のはずがないって思うんだろ。

「そんで、避妊だけはちゃんとしろって言われて」
「え、うん」
「相手男だけどちゃんとゴムは使ってる、って言っといた」
「はあっ!? おま……っ、お前、馬鹿でしょ? なんでわざわざそんなこと言ってんの!」
「ええー。だってそんなん一生隠しとけるわけないしさあ。あと、童貞ん時から俺にゴムとか持ち歩くように言ってたのって母親だし?」
「うわあぁー、井田家えぇー」

 飯の途中なのに、顔を覆った宇山がラグの上に転がって身もだえる。相手が宇山だとは言ってないし面識もないけど、当事者だとそうなるか。
 なんつーか、うちはしものハードルが低いんだよな。その話をしてた時も家族全員いたんだけど、そこは黙っておこう。

「え、それで? それで何か言われなかった?」
「いや、びっくりはしてたけどそんだけ。もう飽きるまでほっとくか、って感じ? 俺、昔から一回好きになったら何でも結構しつこいし」
「マジか。参考にならなすぎ……」

 父親と兄貴は同性だからか、相手が男って知って「うわあ」って顔はしてたけど。否定しない代わりに応援もしてくれない、っていうくらいだ。
 まあ確かに、うちを参考にするのはお勧めしない。

「宇山んとこは? さっきの電話って、そういうやつだろ」

 聞くと、のろのろと起き上がった宇山が、口をつけるわけでもなく、まだ麦茶が半分以上残ったままのグラスを撫でた。

「あー……、うん。まあ、うちの母親って、俺に彼女がいるって勘違いしてるんだけどさー」
「……おお」

 宇山によると、まだ実家にいた時、月に一度の外泊に気付かれたのが最初だったらしい。
 男とラブホに、ってとこまではさすがにバレてないけど、それで彼女がいるんだって思われて。否定しても「はいはい。恥ずかしがらなくてもよく分かってます」っていう感じで話が通じず。
 うんざりして実家を出ることにしたら、父親の方は何も聞かずに賃貸ここの連帯保証人になってくれた。だけど母親の勘違いはそのままだったせいで、良くも悪くもずっと生温かい見守り状態が続いてたんだそうだ。それが先月までの話。

「ほら、先月従兄いとこの結婚式があったじゃん。なんかそれで最近、俺にもそういう……結婚する予定はないのかーとか、妙に探り入れてくるんだよね」
「……へえ」
「ずっとほったらかしてたくせに今さら俺に興味持つとかさー、……マジでやめてほしい」

 あー……。まあ、宇山の母親も、時間に余裕ができてふと周りを見てみたら、一人息子がもうそんな年頃だったって気付いちゃったんだろう。……うん、あるある。俺の仕事関係でも、男は大体二十代後半には結婚してる人が多いし。はたからとやかく言われるのが鬱陶しくても、多分それが現実なんだろう。けど。
 結婚それの話が出たのは仕方ないって分かってても、宇山の口からその単語を聞くと胸の奥がざわついた。
 ──こだわるつもりがなくても、やっぱりこんな時なんだよな。恋人っていう確かな肩書が欲しいと思うのは。
 だからって、今この場で「正式に恋人になってほしい」とか、言えるわけもないけど。普段なら受け流せても、さすがにこの流れで断られたら凹むどころの騒ぎじゃない。

「んー……。で、宇山は実際、結婚とか考えてたりすんの?」
「は!? 考えるわけないじゃん! 俺のどこにそんな相手いんだよ」
「あ、だよな。わり」

 一応親友としての立場をわきまえて聞いてみたら、責めるような目でにらまれた。一気に機嫌が悪くなったのが分かる。宇山はそんなふうに怒るけど、恋人でもない今の俺には「結婚するな」とか言える権利もないのに。
 ただの親友でもセフレでもない、恋人未満の曖昧な関係。惚れた弱みというか、この関係の主導権も決定権も宇山にある。俺からあきらめたり手放したりする気は全然ないけど、やめるのも続けるのも、いつだって宇山次第なのに。
 だけど、怒るくらいはっきりと否定されたのには安心した。昔の宇山だったら、今そのつもりがなかったとしても、二言目には「いつか女の子と」とか言ってたはずだし。
 条件反射みたいに謝った後でなんとなく黙り込んでしまった俺に、宇山は居心地悪そうに麦茶を口に含んだ。

「……井田。しよっか、仲直りH」
「え」

 身も蓋もねえな。ていうか、今のってけんかだったのか。
 そんなふうに俺を誘っておきながら、宇山は目をそらしたまま、もう中身が入ってないグラスをもてあそんでいる。
 宇山の方からはっきりと、特にこの部屋の中で仕掛けてくるのはかなり珍しい。
 角部屋でもここは有川のとこと違って、片側が隣とがっつり接している。その壁だって多分そんなに厚くはない。話し声なんかが聞こえたことはないけど、物音みたいなのは今日も時々聞こえてきてるし。

「あしたも仕事じゃん。平気?」
「平気。……したい」
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