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【こぼれ話】それぞれの、あんなこと、こんなこと
1.【有川・社会人一年目/冬】二月の茶番劇 ①
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ここから先の【こぼれ話】は、【番外編】の隙間を埋めるお話です。
時系列が前後しているので、正確な時期はサブタイトルをご確認ください。
・番外編『有川と幸せ同棲計画』の一年半ほど後
──────────────────
金曜日の朝。出勤する七瀬を玄関先で見送った後、洗濯機を回して仕事部屋に移動すると、キーボードの上に置かれた二つ折りのメッセージカードが目に入った。
『有川くんへ 今夜十時、クローゼットに来てください。待ってます。 七瀬より』
「……何だこれ」
同棲している恋人から初めてもらった手紙が、まさかの呼び出し。しかも指定場所はクローゼット。とはいえ、うちのはウォークスルータイプで、ほぼ廊下というか細長い部屋みたいな場所ではあるんだけど。
出かける七瀬の様子がなんだかおかしいと思ったらこれのせいか。
偶然じゃなければ今日はバレンタインデーだ。かつて世のリア充たちを呪う日のひとつだったこのイベントに、とうとう俺たちも参加してしまうらしい。
前場が開く前に、米国市場の動向や経済関連のニュース、前日にチェックしておいた値動きのいい銘柄の気配値を確認する。そうやって今日の投資対象を絞り込む作業をしながらも、机の隅によけたカードが気になった。
確かにそれは、ちょっと右肩上がりの癖がある見慣れた七瀬の字。カード自体は、大ぶりなレースの形にカットされたかわいらしい雰囲気のやつで、絶対に七瀬や俺の趣味じゃないんだけど。
つか、あいつどんな顔してこんなの買ったんだか。
想像するだけで自然と顔がだらしなく緩んでしまう。誰に見られてるわけでもないのに口元を押さえながら、夜に向けた準備のあれこれを今日の予定に追加した。
◇
「お待たせ。七瀬、おいで?」
風呂上がりに、時間に関係なく入ってくる仕事関係のメールだけをチェックして、リビングに戻ってソファに座りながら七瀬を呼ぶ。
平日なのに珍しく食器を洗ってくれていた七瀬がちらりと視線をやった先、テレビ画面の隅に表示されている時刻は、まだ夜九時を少しまわったところだ。
「待ってねえし。つかお前、呼んだら来るとか思うなよ?」
「はいはい」
口をとがらせながらも、手を拭くのもそこそこに七瀬がこっちに寄ってくる。
七瀬を俺の思いどおりにできるなんて思ってない。こんなのはただの需要と供給の一致だ。だけど、それが一致すること自体が単純に嬉しい。
駅から徒歩十五分。七瀬の実家から二駅の位置にある、七階建てマンションの四階。
件のウォークスルークローゼットがある2LDKのインテリアは、完全に俺の趣味でシンプルにまとめてある。七瀬にはそういうこだわりが全然なくて、黒いアイアンにダークブラウンの木製家具のシリーズも俺が選んだ。
そんな中、リビングで幅を利かせているL字型の布張りソファだけは、二人で一緒に選んだ七瀬のお気に入りだ。
寄ってきた七瀬は、半分寝転がるように、俺の腹を背もたれにして股の間に収まった。
井田と宇山が来ても余裕で座れるくらい座面が広いのに、そこが自分の居場所だと思っている七瀬がかわいい。何の疑問も持たず、言われるがままに家ではいつも俺の部屋着を着ている七瀬がかわいい。今夜着せたドルマンスリーブのロングトレーナーとテーパードパンツも俺のだ。上下ともに真っ黒で、デザインは違うけど色だけ見れば俺とおそろいにしてるみたいでかわいい。
思わず笑いながら七瀬の髪を撫でたら、抗議するように前を向いたまま頭を横にずらされた。そんなしぐさまでかわいくて懲りずにまた手を伸ばすと、今度はおとなしく撫でられたままでいる。
こいつ、一体俺をどうするつもりだ。
「……何」
「別に。ただ、幸せだなあって思って」
「あっそ」
大学卒業前の三月上旬に七瀬と二人でこの部屋を借りて、うちの母親には『ままごと』みたいだとからかわれたこの生活も、もう一年が過ぎようとしている。
「やりたいことは、やれるとこまでやってみなさい」の教育方針の下に育てられたとはいえ、何の反対もしなかった家族には感謝しかない。
書類上はただの同居人。それでも、両家公認の仲になれたことで、俺としては七瀬と結婚したつもりでいる。もしかしたら七瀬にとっては、同棲なんて『ままごと』の延長線なのかもしれないけど。
前の部屋から持ってきた黒いスチール製のサイドワゴンは、意外と今の部屋にもなじんだ。かつて井田と宇山のスペースだった引き出しは普通の雑貨入れに落ち着いたものの、他の段には今も変わらず、ここでやりたくなった場合に備えたエロい品々が入っている。
俺は雑貨用の引き出しからハンドクリームを取り出して、後ろから抱き込んだ七瀬の手を取った。腹の前で手の甲にクリームを丁寧にのばすと、晩飯前に風呂に入った七瀬の体温に混じって、目の前のつむじからは俺と同じシャンプーの匂いが立ちのぼった。
「なあ、今日はどうだった?」
「んー、いつもと変わんねえかな」
七瀬は毎日、自分の留守中に俺がどう過ごしていたのかを聞きたがる。
会社勤めをしていない俺の収入が不安なのかと思った時期もあったけど、別にそういうことではないらしい。
株は朝イチで買って、値動きの大きい一時間ほどで売り切って終わり。地合いの悪い日は手を出さないこともあるけど、一日平均一万円くらい稼げたらよしとしている。あとは、ライティングの仕事や家事の合間にちょこちょこチャートを確認する程度。人と話すのなんて、仕事の詳細確認で電話する時くらいだ。
毎日聞かれたところで、多少の浮き沈みはあってもたいして代わり映えしない日々。
それなのに、そんな話でも聞けばおもしろがって、心底感心したように「すげえなお前」って言われたら悪い気はしない。というか、正直嬉しい。
デイトレードを生計の主軸にする予定だったのに、七瀬が喜ぶから積極的に仕事を取りに行くようになって、今となってはそっちの収入の方が多くなってしまった。
「七瀬は? なんか変わったことなかった?」
「んー……別に何も……、あ。再来週の水曜日、また親睦会だって。ボーリングと飲み会」
「ああ、いつものやつ? 分かった。じゃあそん時は適当に食っとく」
「ごめんな。……あー、めんどくさい。行きたくない。有川の飯食いたい」
「気にしなくていいから楽しんどいで」
三か月に一度、会社の経費で定期的に開かれる親睦会がある。話を聞く限りでは、七瀬は所属部署でもかわいがられてるみたいだ。飲めないなりに行けば行ったで楽しんで帰ってくるくせに、それでも七瀬は「ああいう『仲良くしましょう』みたいな空気は疲れる」とぼやいた。
まあ、気持ちはわかる。俺の人間関係も基本は薄く広くっていう感じだし。
ふと、さっきからずっと七瀬のつむじしか見ていないことに気が付いた。なんだか今日は様子がおかしい。いつもは俺の股の間で横向きに座り直したり、向かい合わせにまたがったりしてくるのに。
後で俺にチョコでも渡してくれるつもりなんだろうけど、それが原因で挙動不審になってるんだとしたらかわいすぎる。つい出来心でトレーナーの上から七瀬の乳首を撫でてみたら、その手を思いのほか高速ではたかれた。
いつもなら喜んで触らせてくれるくせに、七瀬はずっとテレビの時計や玄関の方を気にして、乳首に触れられるたびに俺の手をぺちぺちとはたき落とす。……まあ、十時の約束があるから俺も本気で仕掛けたりはしないけど、これはこれで、服の上から乳首の位置を当てるゲームみたいで楽しくなってきた。
普段は文句があればはっきり言う七瀬は、しばらくそうやって俺と無言の攻防を繰り広げる。頭の中じゃ、「もしかしてカードに気付いてねえのかも」とか、「九時くらいにしときゃよかった」とか思ってそうだ。
「ちょっ、あーりーかーわ! 有川くん!」
「んー?」
「九時半に! クローゼットで! 待っててください!」
とうとう七瀬はメッセージカードの文面をなぞるような捨てゼリフを吐くと、俺の腕を引き剥がして逃げるように玄関の方へと消えていった。
「……つかそれ、時間変わってるし」
時系列が前後しているので、正確な時期はサブタイトルをご確認ください。
・番外編『有川と幸せ同棲計画』の一年半ほど後
──────────────────
金曜日の朝。出勤する七瀬を玄関先で見送った後、洗濯機を回して仕事部屋に移動すると、キーボードの上に置かれた二つ折りのメッセージカードが目に入った。
『有川くんへ 今夜十時、クローゼットに来てください。待ってます。 七瀬より』
「……何だこれ」
同棲している恋人から初めてもらった手紙が、まさかの呼び出し。しかも指定場所はクローゼット。とはいえ、うちのはウォークスルータイプで、ほぼ廊下というか細長い部屋みたいな場所ではあるんだけど。
出かける七瀬の様子がなんだかおかしいと思ったらこれのせいか。
偶然じゃなければ今日はバレンタインデーだ。かつて世のリア充たちを呪う日のひとつだったこのイベントに、とうとう俺たちも参加してしまうらしい。
前場が開く前に、米国市場の動向や経済関連のニュース、前日にチェックしておいた値動きのいい銘柄の気配値を確認する。そうやって今日の投資対象を絞り込む作業をしながらも、机の隅によけたカードが気になった。
確かにそれは、ちょっと右肩上がりの癖がある見慣れた七瀬の字。カード自体は、大ぶりなレースの形にカットされたかわいらしい雰囲気のやつで、絶対に七瀬や俺の趣味じゃないんだけど。
つか、あいつどんな顔してこんなの買ったんだか。
想像するだけで自然と顔がだらしなく緩んでしまう。誰に見られてるわけでもないのに口元を押さえながら、夜に向けた準備のあれこれを今日の予定に追加した。
◇
「お待たせ。七瀬、おいで?」
風呂上がりに、時間に関係なく入ってくる仕事関係のメールだけをチェックして、リビングに戻ってソファに座りながら七瀬を呼ぶ。
平日なのに珍しく食器を洗ってくれていた七瀬がちらりと視線をやった先、テレビ画面の隅に表示されている時刻は、まだ夜九時を少しまわったところだ。
「待ってねえし。つかお前、呼んだら来るとか思うなよ?」
「はいはい」
口をとがらせながらも、手を拭くのもそこそこに七瀬がこっちに寄ってくる。
七瀬を俺の思いどおりにできるなんて思ってない。こんなのはただの需要と供給の一致だ。だけど、それが一致すること自体が単純に嬉しい。
駅から徒歩十五分。七瀬の実家から二駅の位置にある、七階建てマンションの四階。
件のウォークスルークローゼットがある2LDKのインテリアは、完全に俺の趣味でシンプルにまとめてある。七瀬にはそういうこだわりが全然なくて、黒いアイアンにダークブラウンの木製家具のシリーズも俺が選んだ。
そんな中、リビングで幅を利かせているL字型の布張りソファだけは、二人で一緒に選んだ七瀬のお気に入りだ。
寄ってきた七瀬は、半分寝転がるように、俺の腹を背もたれにして股の間に収まった。
井田と宇山が来ても余裕で座れるくらい座面が広いのに、そこが自分の居場所だと思っている七瀬がかわいい。何の疑問も持たず、言われるがままに家ではいつも俺の部屋着を着ている七瀬がかわいい。今夜着せたドルマンスリーブのロングトレーナーとテーパードパンツも俺のだ。上下ともに真っ黒で、デザインは違うけど色だけ見れば俺とおそろいにしてるみたいでかわいい。
思わず笑いながら七瀬の髪を撫でたら、抗議するように前を向いたまま頭を横にずらされた。そんなしぐさまでかわいくて懲りずにまた手を伸ばすと、今度はおとなしく撫でられたままでいる。
こいつ、一体俺をどうするつもりだ。
「……何」
「別に。ただ、幸せだなあって思って」
「あっそ」
大学卒業前の三月上旬に七瀬と二人でこの部屋を借りて、うちの母親には『ままごと』みたいだとからかわれたこの生活も、もう一年が過ぎようとしている。
「やりたいことは、やれるとこまでやってみなさい」の教育方針の下に育てられたとはいえ、何の反対もしなかった家族には感謝しかない。
書類上はただの同居人。それでも、両家公認の仲になれたことで、俺としては七瀬と結婚したつもりでいる。もしかしたら七瀬にとっては、同棲なんて『ままごと』の延長線なのかもしれないけど。
前の部屋から持ってきた黒いスチール製のサイドワゴンは、意外と今の部屋にもなじんだ。かつて井田と宇山のスペースだった引き出しは普通の雑貨入れに落ち着いたものの、他の段には今も変わらず、ここでやりたくなった場合に備えたエロい品々が入っている。
俺は雑貨用の引き出しからハンドクリームを取り出して、後ろから抱き込んだ七瀬の手を取った。腹の前で手の甲にクリームを丁寧にのばすと、晩飯前に風呂に入った七瀬の体温に混じって、目の前のつむじからは俺と同じシャンプーの匂いが立ちのぼった。
「なあ、今日はどうだった?」
「んー、いつもと変わんねえかな」
七瀬は毎日、自分の留守中に俺がどう過ごしていたのかを聞きたがる。
会社勤めをしていない俺の収入が不安なのかと思った時期もあったけど、別にそういうことではないらしい。
株は朝イチで買って、値動きの大きい一時間ほどで売り切って終わり。地合いの悪い日は手を出さないこともあるけど、一日平均一万円くらい稼げたらよしとしている。あとは、ライティングの仕事や家事の合間にちょこちょこチャートを確認する程度。人と話すのなんて、仕事の詳細確認で電話する時くらいだ。
毎日聞かれたところで、多少の浮き沈みはあってもたいして代わり映えしない日々。
それなのに、そんな話でも聞けばおもしろがって、心底感心したように「すげえなお前」って言われたら悪い気はしない。というか、正直嬉しい。
デイトレードを生計の主軸にする予定だったのに、七瀬が喜ぶから積極的に仕事を取りに行くようになって、今となってはそっちの収入の方が多くなってしまった。
「七瀬は? なんか変わったことなかった?」
「んー……別に何も……、あ。再来週の水曜日、また親睦会だって。ボーリングと飲み会」
「ああ、いつものやつ? 分かった。じゃあそん時は適当に食っとく」
「ごめんな。……あー、めんどくさい。行きたくない。有川の飯食いたい」
「気にしなくていいから楽しんどいで」
三か月に一度、会社の経費で定期的に開かれる親睦会がある。話を聞く限りでは、七瀬は所属部署でもかわいがられてるみたいだ。飲めないなりに行けば行ったで楽しんで帰ってくるくせに、それでも七瀬は「ああいう『仲良くしましょう』みたいな空気は疲れる」とぼやいた。
まあ、気持ちはわかる。俺の人間関係も基本は薄く広くっていう感じだし。
ふと、さっきからずっと七瀬のつむじしか見ていないことに気が付いた。なんだか今日は様子がおかしい。いつもは俺の股の間で横向きに座り直したり、向かい合わせにまたがったりしてくるのに。
後で俺にチョコでも渡してくれるつもりなんだろうけど、それが原因で挙動不審になってるんだとしたらかわいすぎる。つい出来心でトレーナーの上から七瀬の乳首を撫でてみたら、その手を思いのほか高速ではたかれた。
いつもなら喜んで触らせてくれるくせに、七瀬はずっとテレビの時計や玄関の方を気にして、乳首に触れられるたびに俺の手をぺちぺちとはたき落とす。……まあ、十時の約束があるから俺も本気で仕掛けたりはしないけど、これはこれで、服の上から乳首の位置を当てるゲームみたいで楽しくなってきた。
普段は文句があればはっきり言う七瀬は、しばらくそうやって俺と無言の攻防を繰り広げる。頭の中じゃ、「もしかしてカードに気付いてねえのかも」とか、「九時くらいにしときゃよかった」とか思ってそうだ。
「ちょっ、あーりーかーわ! 有川くん!」
「んー?」
「九時半に! クローゼットで! 待っててください!」
とうとう七瀬はメッセージカードの文面をなぞるような捨てゼリフを吐くと、俺の腕を引き剥がして逃げるように玄関の方へと消えていった。
「……つかそれ、時間変わってるし」
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