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【番外編】

7.【大学四年生/秋】有川と幸せ同棲計画 ②

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 ◇

 最後の秋学期が始まって、余裕のできた七瀬がまた週末に泊まりに来るようになった。ここまで取りこぼしなく真面目にやってきた俺たちの卒業単位は、残すところゼミと卒論だけだ。
 少し前から自炊するようになった俺を手伝うって七瀬が言い出したのも、そんなふうに身軽になったおかげか。
 エツコさんにいつも手土産を持たされるのを嫌がった七瀬が、最初に自分で飯を作ろうとしたのは随分前のことだ。うちには包丁もまな板もないことを知ってそれっきりになったけど、あの時は結局レトルトをあっためながら「俺ら生活力なさすぎじゃね?」って笑い合ったんだった。
 大学とは反対側にある近所のスーパーまで買い出しに行った帰り道、そんなことを思い出して話を振ると、なぜか人ひとり分の距離を取った七瀬は曖昧にうなずいた。
 いや、どした。世間的にはの距離なんだろうけど、七瀬にしては不自然だ。
 しかも、部屋に戻って作業を始めてからも、意図的に距離を取られている。でかい男二人が並ぶにはキッチンが狭すぎるとはいえ、なんで調味料はかるだけなのにわざわざローテーブルまで持っていくんだ。外でだって体温を感じるほど近くに寄ってくる、あのいつものかわいい七瀬はどこ行った。
 そのくせ、次の指示を聞きにくるたびに俺の様子をうかがって、口を開きかけては、閉じる。

「……なあ、有川」
「んー?」
「あー……、えっと、あ、そういえばこれって何作ってんの?」
「親子丼。大根のみそ汁と、さっき買ったポテトサラダで定食風にする予定」

 本当は別のことを言いかけてたのは分かってる。七瀬に口を割らせるのなんて簡単だ。だけどこれは聞かない方がいい気がして、肉を切ってる手元から目を離さずに何も気付かないふりをした。

「え、っと。それ、もしかしてうちの母親に俺の好物とか聞いた?」
「おー。レシピも教えてもらった」
「うわー……、マジか。なんでそんな。え、そんなん、ネットとかで調べればいいんじゃねえの?」
「でもそれだと七瀬が食えないもんとか入ってるだろ?」
「あー……、まあ、そうだけど……」

 言ってみてふと、ここまで自分の母親と仲良くされたらさすがにウザいかもしれないことに、今さらながら気が付いた。
 いや、なんてレベルじゃねえな。確実に、ウザい。
 俺は、また何か言いかけた七瀬をわざと無視した。今作ってるのは、三つ葉と玉ねぎが苦手な七瀬のために、きざみのりと切り干し大根を使うお子様仕様の親子丼だ。就活中にもいろいろ作ってみたけど、食欲のなかった七瀬には結局みそ汁しか出せなかった。文句は後で聞くから、せめて一口ひとくちだけでも食ってほしい。



「はー。ごちそうさまでした」
「どうだった?」
「ん。つかうちのよりうまいんだけど。見た目もきれいだったし。すげえなお前」
「まあな。まだまだだけど」
「あー……、あと。もしかして、みそ汁も、だよな? わり。今まで気付かなかった」
「いいって。こんなんでよかったらまた作るし」

 七瀬が満足そうに手を合わせた様子にほっとした。みそ汁は七瀬の実家と同じみそを使ってるだけだし、ポテトサラダだってスーパーの惣菜だ。全部が全部手料理って呼べるものじゃない。それでも、俺が作った親子丼を黙々と食ってる七瀬は、食事中でなけりゃ頭を撫でまわしたくなるレベルでかわいいかった。
 熱い緑茶を飲んでいる七瀬のつむじをうずうずしながら眺めていると、湯飲みを手のひらの間で転がしながら七瀬が口を開いた。

「……なんかごめんな、迷惑かけて」
「急にどした。別に迷惑とか思ってねえし。勝手にやってんだから気にすんなよ」

 さっきから言おうとしてたのって、そんなことか?
 就活で苦しむ七瀬に何かしてやりたくて、でも、就活を経験してない俺には、話を聞いて何かアドバイスしてやることもできなくて。せめて、清潔な部屋で出迎えて、あったかい風呂を用意して、少しでも飯を食わせたかった。泊まれないのは分かってたけど、乾燥機でふかふかにした布団で休ませたかった。
 エツコさんに七瀬の好物を聞いて飯を作ろうと思ったのは、その自己満足の一環でしかない。
 まあ、調味料の分量を「ちょろっと」「さらさらっと」「どばっと」「気分で」って説明されたのには閉口したけど。普段からそんなの量ってないとか言われて思わずツッコんだら、なぜか大笑いされたんだよな。大ざっぱでサバサバしてるのに、過保護な人。そんな人にすっかり気に入られた俺は、外にいる時の七瀬の保護者みたいに認識されている。
 そう思ったら今だけはちょっと後ろめたくなって、七瀬の頭に伸ばしかけてた手を引っ込めた。

「ん。でも、やっぱごめん。有川あのさ……、今までありがとな」
「いや、いいって」

 マジでどうした。なんで、そんな終わりみたいな言い方。嫌な想像しかできなくて指の先が冷たくなる。

「でもほら。なんていうか、こういうのって、やっぱあんまり」
「七瀬、米粒ついてる」

 俺はその先を遮ると、ついてもいない米粒を舐め取るふりをして、七瀬の唇の端に口づけた。

 ◇

「あれ、結局引っ越しすんの? それ四人で住むにしては狭くね?」

 夕方、大学構内のカフェテラスで七瀬を待ってると、俺と同じくゼミ終わりの井田が俺のスマホをのぞき込んできた。
 井田と宇山につつかれて以来、予定もないのになんとなく物件検索してしまうのは、もはや癖みたいなもんだ。間取りは2LDKから3LDK。七瀬と二人で暮らす部屋。

「アホ。誰がお前らの面倒まで見てやるかよ」
「分かってますー。つか何。結局付き合ってんの?」
「いや、まだだけど」
「ええー、マジか……」

 こじらせてる自覚はあるけど、同棲の想像をするくらいは自由だ。
 本当に俺はずるい。あれからも、七瀬が何か言おうとしてるのは分かってるのに、そのたびにごまかして、気付かないふりをして、言えなくさせて。自分が言いたいことも先送りにして、なにもかも曖昧に続けたいとかどんだけヘタレなんだよ。だけど、七瀬の口から「もうやめたい」なんて聞きたくはない。

「つか宇山は? 一緒じゃねえの?」
「あー、飲み物買いに行ってる」

 何か言いたげな井田から話をそらして入り口の方を見ると、こっちには気付かないまま、見たことのない女としゃべりながら歩いてくる七瀬が目に入った。
 え、誰。
 長い黒髪で背の低い女が、やわらかそうな白い手で七瀬の二の腕を笑いながらたたく。七瀬も笑ってる。それを目にした瞬間、耳の奥で心臓がどくどくと脈打って、周りの音が遠くなった。
 もしかして彼女? 最近あいつが何か言いかけてたのってこれか? なんで。いつの間に。
 七瀬は俺に抱かれてる時、「好き」って言葉をよく口にする。俺も抱きながらだったら何度も言ってるけど、自分が何を言ったかすら覚えてないらしい七瀬に、その「好き」がどの程度伝わってるのかは分からない。はっきり言わなくても両想いだと思ってたのは、ただの願望かんちがいだったのかもしれない。

「有川? おーい、有川ー」

 痛いくらいに背中をたたかれて我に返る。視線もやらずに、いつの間にかそばに来ていた宇山の袖を引いた。

「え、なあ、あれ何? 知ってる?」
「ん? ああ、ゼミが一緒の子じゃなかったっけ。……つか大丈夫?」
「ゼミ? だって、腕に触って」
「え、あれくらい普通じゃん。あいつも最近は女の子相手でも普通に話せるようになったとか言ってたよ。他の子とも大体あんな感じだし」
「え」

 何だそれ。安心していいのか駄目なのかどっちだ。いや、いいのか。ちゃんと息ができる。

「ほーん。つか、なんで宇山くんはそんなに詳しく知ってんですかね」
「えー、普通に気になったら聞くじゃん。あれ、七瀬にアテレコできなくなって俺もおもしろくなかったんだよねー」
「アテレコ」
「『べっ、別に女子に話しかけられたからって喜んでなんかねえし!』とか?」
「……うわ、言いそう。つか思ってそう」
「すげー分かる。そんで、照れ隠しで眉間にこう、ぎゅっとしわ寄せんだよな」

 二人のおかげで、笑ったらちょっと落ち着いた。
 だけど、七瀬に彼女ができる可能性は消えたわけじゃない。その現実を突き付けられて目が覚めた。
 そもそも、七瀬の好みのAV女優は小柄で乳のでかい女が多かった。それが、自分より頭半分もでかくて腹筋がばきばきに割れた男に抱かれてるなんて、いつまでも続くわけがない。「彼女が欲しい」って誰も言わなくなったからって、そんな当たり前のことを忘れるとかどうかしてる。

 七瀬が女に小さく手を振ってから、こっちに歩いてきた。
 それだけでこんなに嬉しいとか、もう無理だろ。お散歩デートや俺の部屋で過ごした甘やかで優しい時間が、頭の中でぐるぐる回る。あれが過去の思い出になってしまうなんて絶対に無理だ。
 親にバレるリスクを七瀬に背負わせられない、なんてただの言い訳だった。本当はただ、俺に何の覚悟もなかっただけだ。

「お前ら、今日の中止な。有川、大事な話があんだけど」

 何か決意したかのような七瀬が、距離で立ち止まって俺を見た。一瞬息が詰まる。今回ばかりは、『縦割れアナル』だとかかわいい話じゃないんだろう。だけど、俺ももう後には引けない。

「いいよ。俺も話がある」

 何もしないでこのまま失うくらいなら、当たって砕けたって構わない。
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