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ローナ 13歳編
ローナの目論見
しおりを挟む想像以上の関心の無さに、どこからアプローチして志を同じくする者としてギーゼラに興味を持ってもらおうかと考えるがーー駄目だ。何を言ってもセシルが「そうか」と、相槌程度しか返してくれなさそうだ。
とにかくこの場に流れる沈黙を埋めるために何か言わなければと口を開きかけた時、ギーゼラが「あの!」と衣服が擦れる音を立てて切り出した。
「あのっ……わたし、帰ります。大変なご迷惑に重ね、長居してしまい……申し訳ありませんでした」
頭を勢いよく下げたのか、ギーゼラの方から空気を切るような音がなった。
沈黙に耐えきれなくなった……というより、この状況では、わざわざ件の婚約者を呼んでギーゼラを蚊帳の外にし、言外に帰れと促しているように捉えられてしまったのだろう。
慌てて彼女を引き止め、あれこれと遠回りしてセシルが自然と相手を練習相手として見るように仕向けるのではなく、正直にお願いすることにした。
「ねえセシル、お願いがあるの。彼女と剣の打ち合い稽古をしてほしいの」
「えっ」
「……ネーベンブーラーの令嬢と、稽古を?」
ギーゼラが驚きの声を上げたその後、セシルは私の言葉を少し言い換えて繰り返した。
その心境はおそらく、疑問と困惑と、少しの嘲りが混じっている。
こればかりはやってみなければセシルも変わらないと、ならば私が無理矢理でもきっかけを作ってしまえばいいと、念を押して、もう一度「お願い」と繰り返した。
「…………ローナが、言うなら……」
渋々といった様子を隠さずに、しかしそれでもセシルは了承してくれた。
「うそ……監督が取り持ってくれた時も、受け入れなかったのに……」
……信じられないと言わんばかりの声色で呟いたギーゼラは、恐らく無意識下にあったのだろう。
惚れた弱みとやらを利用させてもらった私が言えることではないが、セシルはもうちょっと他の人にも柔和な態度をとったほうがいいのではないか……とちょっとだけ思う。
「ただし、条件がある」
でもそこがまたセシルの好きなところだから注意できない、なんて考えていた私に切り出されたセシルの真剣な声に、気分を切り替えて向き直した。
お願いを叶えてもらうのだから、できるだけのんでみせようと意気込んだのだが。
続くだろう言葉を待っていた私の手を取られ、セシルはそれを己の額に当てたらしい。
手の甲に感じる滑らかな肌と温度に、ピクリと体が震えた。
「……頼む。お願いだから、ローナは来ないで欲しい」
直前に条件があるだなんて言い放ったとは思えないくらいに懇願の色を含んだ、か細く消え入りそうな声色でセシルはそう言った。
「あっ……あぁ……えぇっと、そうね。そうするわ」
そりゃあ、そうか。そうだよね、と心の中で大いに頷く。
私が失明したのはーーセシルと警備兵の"打ち合い稽古"で飛んできた剣が当たった事が原因なのだから。
当の本人である自分は、なんだかもうすっかり昔のことのように思えて忘れかけてさえいるけれど、セシルにとってはトラウマにも匹敵する事らしい。
あれ以来、私の前では剣に触れることさえしなくなったのだから。
「お願いだ。絶対に、側に来ないで」
もう一度、があるなんて思えない。セシルが同じヘマをするとは考えられないし、例えもう一度私の目に当たったところで、これ以上の悪化は無い。激しい痛みを伴うだけだ。
でもーー万が一があり得ないとしても、億が一がある。セシルが十二分に気をつけても、不慮の事故とは起こりうるものだ。
少しでも遠ざけたいとするセシルの気持ちを汲んでやれない程、付き合いは短くも浅くもない。
二人の勝敗とか、どれだけギーゼラが奮闘するかだとか、見えずとも音で聞いて自分で判断したいと考えていたが、諦めることにした。
「わかったわ。私はここで、二人を待ってる」
私がそう言うと、セシルは心底ホッとしたように安堵のため息を吐いた。
「ならば代わりに私が行く」
「お願いします、兄さん」
兄さんならば私のように避けれないなんて事はないだろうし、二人の稽古には審判が必要だ。
「勝手に話を進めてしまったから今更なのだけれど……ギーゼラ様は、この話を受け入れてくださる?」
確証があったのでここまでギーゼラの意見を全く聞かずに話を進めてしまった。きっと頷くだろうとは思うが、一応形だけでも了承の言葉を得ておきたい。
先程呟いていた「監督が取り持ってくれた」の言葉から私が察した彼女の気持ちに誤りはなかったようで、食らいつくような勢いで返事が返ってきた。
「では我が家の訓練場に案内しよう。といっても、城のような立派な場所ではなく、庭の一角だがな」
「よろしくお願いします」
「よっ、よろしくお願いします!」
兄さんが引き連れて歩いているだろう二人へ、いってらっしゃいと手を振った。
振り返してくれたかどうかはわからないが、カチャリと客室の戸が閉まった音が耳に届く。
どうか上手くいきますようにと見送りに使っていた手で拳を作り、私は祈りの分だけ握りしめた。
* * *
長いこと金属と金属がぶつかり合うような音がしていた……ような気がする。
もしかしたら、使用人の誰かがカトラリーを落とした音だったのかも知れないけれど。
今いる客室から訓練場はあまりにも距離があるせいで、耳の良い私でも、聞こえるものがそうだと断定できない程に小さな音しか拾えなかった。
けれどたぶん、上手くいったのだと思う。
なんせ一試合分というには、やけに時間が経っているので。
随分と盛り上がっているのだなと微笑ましく思い、二杯目に入れてもらったハーブティーを飲み終えそうというところで、ドアノブをひねる音がした。
「おかえりなさい」
疲れて帰ってきただろう人々を迎え入れるのに、ソーサーにティーカップを納めてテーブルに戻す。
とにかくギーゼラの反応が気になって、早く話が聞きたいと急く気持ちを抑えーーまずは兄さんに結果を聞こうと口を開いて、しかし出た声は別の言葉を紡いでいた。
「帰ってきたのは兄さんだけですか」
扉から現れた足音が一つだけだったことや、左隣のソファーが沈んだだけで右隣は空いていることから、セシルとギーゼラがいない事を察知する。
どうしたのかしらと首を傾げると、兄さんからは呆れたような声で「ああ」と返事が返ってきた。
「どうしてこう……軍の関係者は皆、軒並み肉体言語なんだ。なぜ我々の顔に口が付いているのかを考えないのだろうか」
「つまり」
「セシルは勝ちは譲らないが、ご令嬢はなかなかに健闘しているようだ。だからか、ご令嬢が申し出る再戦を受け入れている……セシルも素直に一言"実力を認めた"とでも言えばいいものを……ご令嬢が負けてはもう一度を願い、無言でセシルは受け入れ……審判の意味を成していない上に一時間以上も立ち続けているだけで、手持ち無沙汰は飽きた。後はアレンに任せてきた」
「お疲れ様でした」
そういえばもう一時間も経ったのかとアンに確認して聞いてみると、三人が客室を出てから一時間半は優に超えていたらしい。
私よりはマシとはいえ、兄さんも家庭教師から学んだ程度の剣技しか知らない身にしては、打ち合い稽古を一時間以上見続けただけでも気力が保ったほうだと思う。
「あれはもう暫くかかるぞ」
「それはそれは。何よりで御座います」
ーー結局二人が帰ってきたのは、日が暮れて夜闇に差し掛かるような頃合いであった。
苦虫を噛み潰したような声でセシルが「……まあ、悪くはないんじゃないか」と言ったのを受けたギーゼラが、吹っ切れたような明るい声で「またよろしくお願いします!」と返していたので、彼女の中の"焦り"は解消できたのだろう。
私がどんなに言葉を尽くしたところで、それはギーゼラにとって一時的な慰めに過ぎない。
訓練場に戻れば、焦りをぶり返して己を苦しめるだけだ。
ならばもういっその事、セシルに対戦して貰えばいいと。セシルから何か言葉を得ればいいと、そう考えた。
認めてもらえなかった時が悲惨だとわかっていたが……そこは、ギーゼラの実力に賭けた。
そして私は、賭けに勝ったのだ。
「本当にありがとうございます、ローナ様!」
「いいえ、お礼はセシルへ。私は結局、何もしておりませんから」
満面の笑みを浮かべているだろうギーゼラの声色に、私は胸を撫で下ろして微笑み返したのだった。
* * *
「お嬢様……また、ネーベンブーラー伯爵家のご令嬢が……」
「なんで?」
上品さなど彼方へすっ飛ばして、私は頭と口とを直結して言葉を垂れ流していた。
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