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ローナ 13歳編
二人だけで秘密の舞踏会
しおりを挟む屋内を煌々と照らしていたシャンデリアを背にして離れると、私の視界は影を映すどころか永遠の暗闇だけが目前に広がり、耳から伝わる音と肌に感じる感触だけが世界を構成する。
初めてこの世界に気づいた時、何て恐ろしいのだろうかと思ったのをよく覚えている。
今までに見てきた夜空によく似ているのに、星々の煌めきや邸に灯る暖かな光の一つも見えなくてーー生き物さえ殆どいない、寒くて寂しい深海によく似ているのだと気がついた。
これから先、ずっとこの闇と付き合っていかなければならないのかと思うと、恐ろしくて仕方がなかった。
何かを探るために手を伸ばしても、その私の手が見えない。
虚空は終わりなく続き、どんなに先を見ようとしても、何もない。
埋め尽くす黒、黒、黒。
……でも。
「ローナ、もうすぐだ」
貴方がいるから。
貴方が声をかけて、手を引いてくれるから。
海の底だって、悪くないと思えたの。
屋内では感じられなかった肌寒い風に腕をさすると、すかさずセシルが自分の着ていたジャケットを肩にかけてくれた。
「セシルは寒くないの?」
「鍛えてるから」
筋肉は温かいというけれど、そういうことかしら?
もし今の言葉が強がりだったとしても、せっかくの好意を突き返すのはセシルに悪い。
素直に甘えて「ありがとう」と礼を言ってジャケットに腕を通すと、肩幅は勿論のことだが、指先しか袖から出ないくらいに丈も長くて、私たちの体格差がハッキリと表れた。
頭に触れて身長差を測った時よりも彼の大きさがありありとわかって、なんだか照れくさい。
元より同年代よりも背が高い方だったセシルだが、ここ最近また伸びた気がする。
本人は身長よりも剣を振るう筋肉が欲しいと言っていたが、それだって十分すぎるくらいに持っていると思う。
腕に触った時に思わずギョッとするくらいには、既に筋肉質なので。
さすが『シンデレラの恋 ~真実の愛を求めて~』屈指の背高筋肉キャラを担っていただけある。
「ローナ?」
ジャケットを着てからずっと黙りでいたからか、セシルが心配そうな声で私の名前を呼んだ。
無意に心配させてしまったので慌てて首を横に振りーーだって私は彼との体格差に喜んでいただけなのだからーーそんなことより、限りある時間を有意義に過ごそうとセシルの手を取った。
「もうすぐで一曲終わりそうだわ。次の曲から始めましょう。ね?」
会場から漏れ聞こえる音楽に耳を傾けてみると曲が丁度あと少しのところで終わりそうだったので、意図した訳ではないが誤魔化すように早口で提案を紡いだ。
「ああ、そうだね……」
訝しげな声のセシルは、確実に私の様子がおかしい事に気づいている。
「本当に何も無いなら、それでいい。でも……調子が悪いとか、辛かったりするなら、無理をする前に伝えて欲しい。すぐにイーサン様の所に抱えて連れていくから」
きゅん。
今確かに、心臓がそう鳴った気がする。
心底心配そうに私を労るセシルには悪いが、今すごくときめいた。
セシルなら本当に舞踏会用のドレスを着た私でさえも軽々と抱えてしまいそうで、しかも走ることさえできそうで。
「……うん。ありがとう」
やっぱりセシルは、優しくてかっこいい。
会場から漏れ聞こえる音楽が一旦の区切りを迎えたのを合図に、片方はセシルの手を取り、片方は肩に置いてダンス開始の型を作る。
兄さんの時と違うのは、少しの隙間さえ埋めたくて指を絡めて繋ぐ手と、もう少しで抱きしめ合うんじゃないかというくらい密着した二人の距離。
「これじゃあ踊りにくいわ」
「なら、離れる?」
「……意地悪」
戯れにセシルを揶揄おうと、思ってもいない文句を言った私の方が返り討ちに遭い、剰えその後に「お互い様だ」と耳元で囁かれた甘い声に身が蕩けそうになった。
……色々な意味で育ち盛り、怖い。
伸びやかに響く音色が会場の外にいる私たちにまで届き、次の曲が始まったことを告げた。
私の様子に喉を鳴らして笑っていたセシルが聞こえた音に背筋を伸ばしたので、蕩けかけていた私も同じように改める。
緩やかな音に合わせ、最初のステップを同時に踏み出した。
1、2、3……1、2、3……と手拍子に合わせて二人で練習した時を思い出しながら、次のステップに向けて足を滑るように動かす。
偶にわざと間違えてぶつかったり、逆にセシルが私を引っ張って抱きつかせたりして。
完璧な踊りの中に遊びを入れながら、内緒話をするみたいに顔を寄せて笑いあってーー忘れられない、楽しいひと時を過ごした。
余韻に響く楽器の音色に物悲しさを感じながら、ぴったりと重なっていた二人の間に距離ができる。
セシルの肩においていた手を自分の体横に滑り落とし、セシルは私の腰を抱いていた手を離した。
お互いに無言のまま来た道を戻り庭を抜け、王城の廊下へと戻る。
私の後ろに警備兵の気配を感じながら立ち止まった場所は、セシルが私と兄さんに追いついたあたりなのだと思う。
お互いが戻るべき場所へ戻るために別れの挨拶を告げなければならないのに、繋がれた手はそのままで。
「……兄さんが待ってるわ。貴方だって、従姉妹が待ってるでしょう?」
「あいつは、俺がいない方が男を捕まえやすいって言っていたが」
「気を遣ってくれただけよ。きっと今頃、セシルを待ってる」
人差し指、中指、薬指と順番に離れていって、最後に小指だけが頼りなく繋がれたまま残される。
「じゃあ……また、明日」
小指の腹と腹とが擦り合わさって、ついに名残惜しげに離れていった。
邸に帰って眠ってしまえば明日はすぐ訪れるのに、会えないほんの少しの時間がもどかしい。
背を向けて歩き出したセシルの足音がどんどんと遠ざかる度に熱を帯びた体が冷めていった。
私の耳でさえ聞き取れないほどに小さくなった足音に諦めがついて、私もまた兄さんが待つ控室に向けて踵を返す。
「お待たせしてごめんなさい。行きましょう」
兄さんに言われた通りにガゼボに案内してくれて、ずっと黙って待っていてくれた警備兵に声をかけた……のだけれど。
「リッター様?」
返事がない。
いない……訳ではないと思う。
確かにそこに気配があるし、ガゼボからついてきていないというのなら、戻る前にセシルが何が伝えてくれただろう。
何かあったのだろうかと、もう一度名前を呼ぼうとしたその時ーー。
「やっぱり、"イーサン以外とは踊れない"は嘘だったんだね」
私たち以外の足音は無かった。
それは庭からここまでの間ずっとの事で、それ以降も聞こえなかった。
なのに、その声は。
「王太子殿下……」
静かな廊下に響いた声色の平坦さは、嵐の前の静けさというものなのだろうか。
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