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ローナ 10歳編
予兆
しおりを挟む「…………」
「…………」
「……このシフォンケーキ、とっても美味しいわね、アン。ジュールに伝えておいてくれる?」
「畏まりました」
笑いが隠せていない声で承知したアンには、後で私からのお説教が待っています。だから主人の不幸を面白がるんじゃありません。
あれから、やってしまったと思った私はすぐに前言撤回しようとしたのだが、二人がそれよりも先に応じてしまったので引っ込みがつかなくなってしまった。
そうしてエンゲルが滞在しているのとは別の客室にアフタヌーンティーのセットを用意してもらい、この状況が出来上がったのだが。
「エンゲル、このサンドウィッチ美味しいわよ。ぜひ食べてね」
「ありが……」
「ローナ、口の横に付いてるよ」
「まあ、本当?どこかしら……」
「取ってあげる」
「フント邸に帰る前に寄ってくれたのよね?何時までに邸に帰れば大丈夫なの?」
「今日中ならいつでも良いと言われて……」
「別に誰の話って訳じゃないんだけどさ、いつまでも他人の家に居座るとか常識無いって思わない?」
「え、エンゲル……」
「別に誰ってわけじゃないけど」
「私、アフタヌーンティーにはブラウニーが欠かせないって最近気づいたの。二人は甘いものは何が好き?」
「俺は……」「おれは……」
「「…………」」
「あわわ……」
沈黙に耐えきれなくなって私がどちらかに話しかけるともう片方が突っかかってくるし、ならば二人に話しかけるとどうなるかというと、もっと気まずくなる。
今すぐにでも顔を覆って嘆きたいのを、自制心で抑え込んで微笑みを携えている私は、マナーの先生に花丸を貰ってもいいと思う。
結局、場所を移動できたのと、セシルと抱擁したままの状態を解除できた事以外、ここへ来てから私は何もなし得ていない。
謝って仲直りは絶対に無理だとしても、せめてああ言えばこう言うの口論から脱却させたい。
ここが正念場だと頭がクラクラしそうな勢いで考えを巡らせて、ハッと思いついた妙案が一つ。
「そういえばね、私、セシルに見せたいものがあるの」
あれなら文句を言う隙は作れまい。これからの展開を予想して確信を持った私は、自信が滲む声色で切り出した。
「見せたいもの?」
「ええ」
早速準備に取り掛かるべくアンを呼び、手を貸してもらって車椅子のもとまで歩く。
慌てて手を貸そうとセシルが立ち上がった音が聞こえたが、制してその場で待機してほしい旨を伝えた。
「急に何……?何を始めるの」
訝しげな声でそう呟いたエンゲルにも同じ事を伝え、私は車椅子に腰掛けた。
「アン、お願いね」
「畏まりまして、お嬢様」
人前で実践するのは初めてだからか、緊張してドキドキと心臓が音を鳴らしている。
ふう、と深呼吸して体をリラックスさせてから、アンに向けてスタートの合図を出した。
「それでは、つとめさせていただきます。お嬢様、前に向かって一回しで御座います」
「ええ」
あれだけ「やめましょう!」と叫んでいたアンも、私が順調に上達していくのを見て考えを改めてくれた。
それからの練習は充実したもので、最終目標としていた"誰かの指示で目的地まで車椅子を自分で動かす"事ができるようになったのだ。
ーーそう。私が考えた妙案とは、車椅子の成果を披露する事だった。
何も褒められたいからというだけではない。
二人に話しかける事が駄目なら、私が動く事で二人が私に話しかけるように仕向ければ良いと、そう考えたのである。
セシルならきっとたくさん褒めてくれるとか、そういう考えはちょっとだけである。ちょっとだけ。
「お嬢様、お次は右回りに丁度今の状態から体が横を向くまで、それからは二回りで到着で御座います」
「はいっ」
最初の目的地はセシルの筈なので、右斜め前に彼がいる筈。
主輪にかけていた手を前に押し出すように回して、回りすぎや近づきすぎによる衝突に気をつけつつ、アンの指示通りに動く。
最後の一回を回して、足置き近くにあるブレーキレバーを足で跳ね上げて停止した。
目の前に感じる気配は、成功した証拠といっていいだろう。
「ふふ。ご機嫌いかがですか、セシル・フント侯爵子息様?」
顔を上げた先にあるだろう目に向け、白々しい演技に軽くドレスをつまんで淑女らしい挨拶をして、私は得意げに笑った。
私一人でも車椅子を動かせるようになったのよ。
貴方に頼ってばかりの私では、ゲームのローナと何も変わらない。
いざという時にその場から動くことさえできないような女では、貴方の隣に相応しくない。
セシルは気にしなくていいというけれど、私だって出来るのだと示したかった。
私が何をしても、何が出来ても褒めてくれるセシルだから、今回のは今までの比じゃないくらい頑張りを褒めてくれる筈だ。
だからーーてっきり、セシルは「すごい」とか「よく頑張った」だとか、そういう言葉をくれると思っていた。
思い込んでいた。
「ーー……」
けれど予想に反して、セシルは黙りで。
視線を感じるから、見ていなかった訳ではないだろうけど……。
それとも、実は目的地からズレて到着してるとか?
でもそれなら、アンがすかさず修正してくれるはず。
どうして何も言ってくれないんだろうと、落ち込んで眉根が下がる。
見えない中で車椅子を動かして、他人の指示で目的地に到着できたのよ?結構すごくない?
しかもセシルが知る私は、車椅子を自分で操縦できない私で止まっているはずなので、驚きはひとしおだと思っていたのだけれど……。
……いや待てよ。
車椅子使用者が車椅子を自分で操縦できるって、結構当たり前のことじゃないだろうか。
過保護に囲まれてやらせてもらえない事ばかりの環境に慣れすぎているせいで、感覚がおかしくなってないだろうか。
考えれば考えるほど、私が今したことは普通のことだったのではないだろうかと思えてくる。
え、普通じゃない……?むしろ今まで出来なかった方がおかしいのでは……?
先程のドヤ顔でセシルに挨拶したのが、段々と恥ずかしくなってきた。
もしかしてセシルが何も言わないのって、「何当たり前のことやってんだ」的な絶句なのではないだろうか。
え、え。恥ずかしい。
じわりと頬が熱くなる。
やってしまった……!と入れる穴が近くにない代わりに頭を下げて顔を両手で覆おうとしてーーしかしそれは叶わなかった。
「セシル……?」
「…………」
無言のまま、覆おうとした腕をセシルに取られたからだった。
突然触れられた事に驚愕して拒否するみたいに反応してしまったのが気に障ったのか、腕を握り締められる。
様子がおかしい。
セシルにこんなにも乱暴に触れられたのは初めてだ。
隠れることも許さないというのか、なんて冗談めいたことも考えられないくらい、私の手は軋むほどに強く握りしめられている。
握り締められた所から血が止まって、その先の手の感覚が無くなってきた。
「セ、シル……」
「なんで動かせるようになったの」
痛い、と繋げようとした私の言葉は遮られ、ロボットのように感情のない声で淡々と呟いた。
やっぱり、おかしい。
こんな声も聞いたことがない。
「っ……アンに頼んだの。セシルやアンがいない、万が一の時に備えておきたくて」
「俺はローナの側にいる」
「絶対に必ずいるとは限らないでしょう?」
腕が痛い、淡々とした声が怖い、褒められるどころか責められているのが悲しい。
「どうして」の言葉が頭を埋め尽くす。
「絶対側にいる」
「どうしたって無理な時があるでしょう。貴方がいるなら貴方に頼めばいいけど、他の人しかいない時はーー」
「他の人って、何」
ゾワリと全身の毛が逆立つような、暗闇の中から響いたような声。
胸の奥から体が冷えていくような感覚に襲われて、掴まれていない方の手で無意識に肩をさすっていた。
「ねえ、他の人って何?ローナには俺がいるよ、絶対に…………それとも……」
怖い、怖い、怖い!
優しい貴方が良い。痛いことなんてしなくて、怖いことなんてなくて、側にいるだけで安心できる貴方が良い。
「それともーーローナが俺から離れようとしてるの?」
そんなこと、言わないで。
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