盲目のラスボス令嬢に転生しましたが幼馴染のヤンデレに溺愛されてるので幸せです

斎藤樹

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ローナ 10歳編

待ちに待った

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 クロイツ王国における庶民の識字率は決して高くない。ましてや外国語などなおさらで。

 まだクンストの姓を受けていないエンゲルがクロイツ語の読み書きを習得しているのは、父親が貴族相手に商売するために覚えたものを教わったからだと前に聞いたが、レーヴェ語となると訳が違う。

 どういうことだろう。


「……ああ。別におれ、読んでないから」
「?」


 ますます訳が分からなくなって、詳しく話を聞くために持っていたティーカップをテーブルに置いた。
 読んでないなら、なぜその本を敢えて選び、持ってきてページを捲っていたのだろうか。

 その疑問の答えを私が声に出して聞くよりも、エンゲルの方が口を開く方が早かった。


「おれがここの本を借りてるのは、別に本が読みたいとかそういうんじゃなくて、高価な本にしかないやつが見たかった・・・・・から。こればっかりは近所の書店に置いてあるのには無くて、高いやつにしかないから」


 本に対して"見たい"と表現するもので、貴族にしか出回らないようなやつといったらーー挿絵付きの書籍のことだろう。


 そういえばエンゲルはゲームの中で、父の影響で芸術が好きだと話していた。
 本当は母の実家である子爵家を継ぐのではなく、父のような画家になりたいのだ、とも。


 今のエンゲルが画家になりたいと考えているかどうかはともかく、この頃から既に絵に興味があったということだろう。


「これの挿絵、ほんとに凄いんだよ。人間が描いたとは思えないくらい細い線が繊細に重なってるし、かと思えば大胆な線で描かれた迫力のある部分もある。表現によって線を描き分けてるんだ。凄いよ」


 生き生きと語る声はいつになく楽しげで、エンゲルがどれだけ挿絵を気に入っているのかが伝わってくる。

 良かったわねと合いの手を入れようと試みるも、芸術を語る口が止まる事を忘れてしまったかのように動き続けていて、一向に隙を見せない。

 本当に好きなんだなと感心して、私はとりあえず聞き役に徹する事にした。



   *     *      *



 まさか咳込んで咽せるまで語るとは思わなかった。

 向かいの席で飲みやすい温度に冷まされた紅茶を一気飲みしているエンゲルの方を向きながら、私はどこか遠い目をして回復するのを待っていた。


「ゲホッ……うー、まだ途中だったのに……」


 いや、まだ語り足りないのか。
 それくらいにしておきなさい、今度は咳き込むだけじゃなくて喉を痛めますよ。

 等と忠告しても、このままでは本当に痛めるまで話を続けそうな勢いなので、私はアンに蜂蜜とレモンを持ってきてほしいと伝えた。せめて喉に良いものを取らせようという算段である。


「話してくれるのは嬉しいけれど、無理をしてまでは駄目よ」
「無理してない……ゲホッ」
「ほら、もう。説得力ありませんからね」


 不満そうな声で唸って、けれど口を閉じたエンゲルに安堵したちょうどその時、アンが運んできた蜂蜜とレモンが到着した。

 早速適温の紅茶にそれらを混ぜたものをエンゲルに渡してもらうと、大人しく受け取って飲んでいるようで、紅茶を啜る以外の一切の音が途絶えた。


 エンゲルには集中して喉を養ってもらいたいので話しかける事はなく、ただただ無音の時間が流れる。
 けれどそれは居心地の悪いものではなく、のんびりとした穏やかなもので。


 こういう平穏な時間はまるでセシルと過ごしている時のようで、随分と久しくなった隣の温もりを探してしまう。

 話したいことが色々とあるし、見せたい成果もある。
 稽古に励むセシルを応援したいのに、自分勝手な心は「早く帰ってきて」と叫んでいる。


 エンゲルと一緒に過ごす時間が増えたとはいえ、やっぱり私、まだ寂しいのね。
 自覚せずにいれば、どれほど楽だったか。


 もういっその事やけ食いでもしてしまおうかとクッキーに手を伸ばしたところで、客室の扉をノックする音がした。

 この部屋の主人は私ではなくエンゲルなので、彼が入室の許可を出す。

 どうぞと言われて入ってきたのは、どうやらリーヴェ邸の執事のようだった。


「ローナお嬢様はこちらにいらっしゃいますでしょうか」
「はい、ここにおります。どうなさいましたか」


 用があるのは、どうやら私の方らしい。
 執事が私のもとへ訪れる時といったら、先生が来る日だというのを忘れていたとか、兄さんやお父様の用事を仰せつかっているだとか、そういう用件くらいしか思い当たらないが。

 今日はもう先生はお帰りになられたし、兄さんは登城、お父様は隣国にいるはず。
 それとも二人に何かあったのかしら?


 嫌な話でないと良いけれど……と身構えた私に、執事は満面の笑みさえ浮かべていそうな弾んだ声で、早馬で届いた伝達を告げた。



「セシル様が本日軍部からお戻りになるそうで、リーヴェ邸に寄られるそうで御座います!」



 指でつまんでいたクッキーがいとも簡単にパキリと崩れて、私の膝にパラパラと降り落ちたのがわかった。


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