盲目のラスボス令嬢に転生しましたが幼馴染のヤンデレに溺愛されてるので幸せです

斎藤樹

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ローナ 10歳編

貴族と庶民、根深い闇

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 早速、エンゲルに少しでも警戒心を解いてもらいたくて、私はできるだけ柔らかく見える微笑みを携え、彼がいるだろう方に向けて淑女の礼をした。


「貴方はヴィルム絵師の御子息様でしょうか。ご挨拶が遅れました、私はローナ・リーヴェと申します。気づかなかったとはいえ、我が家のお客様に対して数々の無礼を、どうかお許しいただければと存じます」
「えっ……」


 貴族が頭を下げるという行為を嫌うのは、自分が相手よりも格下であると暗に示すからである。

 ましてや相手が庶民の場合はなおさらで、たとえ正式な挨拶の礼といえども頭を下げようとしない貴族は多々いる……らしい。

 マナーの先生からの受け売りなので、実態がどうかはわからない。
 ローナは庶民がいるような所に行ったことがないので。

 でも想像はつく。今まで出会ってきた貴族を考えれば、そうだろうなと言わざるを得ないのだ。


 そういった認識は私よりも実際に被害を被りやすい状況にあるエンゲルの方がよく理解している。
 そんな彼に向けて正式な礼をするのは、歩み寄りの第一歩に相応しいと思ったのだ。


 ……隣でアンが「お嬢様に謝らせてしまった!」と小声で嘆いているのは、一旦無視するものとする。
 あれは仕方なかったのだから気にしなくて良いのに。


「あ、謝らないでください!勝手に庭に入ったおれが悪いので……」
「いいえ。ヴィルム絵師並びにその御子息の行動範囲として、邸の一階や庭への立ち入りを許可している筈です。それを知りながら、お客様を不審人物扱いしたことを謝るのは当然のこと……それとも、お怒りが収まらないという事で、謝罪も受け入れてはいただけないという事でしょうか」
「そういう訳じゃ……!おれはただの庶民で、お嬢様みたいな高貴な方に例えどんなことをされたとしても、謝られるような身分ではないので……」


 ……貴族の子女に辛味だけでなく苦味と渋味を追加しようか。

 シナリオ登場時のエンゲルと同一人物だとは到底思えない、この卑屈っぷり。
 こんなにも卑屈になってしまうような事をされたのだろうかと想像すると、胸のあたりがギュッと苦しくなる。

 彼は貴族社会に馴染めず学園でも孤立していたが、周りに対して怯えているような様子はなかった。
 自分とは違う世界の人間だと割り切って、どこか冷めたような目で見ていたと思う。


 そんな彼の出発地点が、貴族への怯えだったとは。
 シナリオでは語られなかった根深い闇を感じる。


「謝らなくていい人間なぞどこにもおりません。どんな身分であれ、相手を不快にさせたのならば謝罪し、相手から不快にさせられたのならば謝罪されるべきです。貴方が庶民であろうとも、それは変わりません」
「けど……」


 エンゲルはそれ以上の声を飲み込んで、黙りになってしまった。


 私が何を言っても信用されないのは、今までの経験の積み重ねが邪魔をするから。

 それなら、その邪魔な山を崩せば良い。


 エンゲルの"今までの経験"を崩すにはーー行動あるのみ、でしょう!


「ろ、ローナお嬢様……?」


 ただならぬ気迫が伝わったのかアンが訝しげな声で私を呼んだ。

 まずは肘掛けに手を置いて体を持ち上げるようにして立ち上がり、足置きから地面に足を移動させる。
 ここで私が何をしようとしているのかを理解したアンが止めに入ったけど、もう誰にも止められない。


「っ……」


 久しぶりに靴越しの足裏に感じた地面は想定よりも柔らかく思えて、バランスを崩しそうになった。
 アンが「おやめください!」と悲鳴にも似た制止の声を上げたけど、私は構わず次の一歩を踏み出す。


 ……っていうか私、見えなくても歩けるから!!


 けれど転ぶ心配があるのには間違いないので、両手を胸の前まで持ち上げて転んだいざという時の準備をしつつ、ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。


「え、え……」


 どんどん私が近づいてくるのに、エンゲルが困惑の声を上げた。
 はたから見たらゾンビみたいで怖いかもしれないけど許してほしい。


 声のしたあたりから私がいた場所までの距離を計算して、自分が今どのあたりにいるのかを割り出しながら進んでいく。

 ここかなと思うところで、私は足を止めた。


「あ、の……」


 十歳前後の子はまだ女の子の方が背が高かったりするからか、エンゲルの声が下の方から聞こえた。


 盲目になってから見えないのを嘆いた事は殆どないのだけれど、今ばかりは『魔眼鏡』が手元に欲しいと思う。


 私よりも背の低い幼少期のエンゲルとか絶対可愛い。

 王太子殿下やセシルとは違い、幼少期を流すようにサラッと語るエンゲルには子供の頃のスチルが無かった。

 なので私は、正真正銘エンゲルの幼少期を見たことがないのだ。


 見たいなー!!
 すっごく、見たい!


 今すぐ手元に『魔眼鏡』よ来い!チラッと子供エンゲルを見たら、ダークホールとかに投げ捨てるけど!


 ……などと巫山戯ている場合ではない。

 アンはきっとエンゲルが少しでも私に何かしないか見張っているだろうしーー全く気配は無いがーーこの庭に潜んでいるだろう使用人も、彼のことを見張っているに違いない。


 そんな緊迫感のある状況下にいるエンゲルを解放するためにも、貴族に対する怯えを解消するためにも、早く行動せねば。


 緊張で心臓が高鳴る音が耳奥で響く中、私は胸の前まで上げていた片方の手を体の横に下ろした。
 そうして残ったもう片方の手を、エンゲルに向けて差し出す。

 まさかそう簡単に手を取ってくれるとは思わないので、もう一押しの作戦に移行する。
 私は前世の感覚を思い出し、声に出す前に頭の中でよく確認してから覚悟を決めて口を開いた。



「ごめん、ね。許してくれると嬉しい……な」
「!」



 前世以来に使う砕けた口調は、片言にはならなくとも不恰好で歪なものになった。


 ーー貴族らしい畏まった口調と礼では、いつまで経ってもエンゲルには響かないだろうと私は考えた。
 思えば先程までのやり方では、私は貴族なのだと誇示しているも同然だったからだ。


 謝罪の仕方や口調によって地位が表れてしまうのなら、それを取っ払って、我々は対等なのだと歩み寄って示せばいい。

 私は貴族の娘かもしれないけれど、謝る事に地位は関係ないのだと、わかってもらう為に。


 エンゲルから息を呑む音がして以降なんの音沙汰もないのが気になるが、ここは根気よく待つべきだと、私はそのまま動かずにいた。

 どっちが折れるか勝負みたいになってきたけど、私は絶対に負けないからね!


 勝敗は私の腕が痺れそうな頃合いに決着した。


 エンゲルがおずおずと、差し出したままの私の人差し指の先にツンと軽く触れてきたのだ。


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