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ローナ 10歳編
君は俺のたからもの 中編 ーセシル視点ー
しおりを挟む蹄鉄が地を蹴る音が止み、従者が馬車の戸を開けた。
リーヴェ邸に着いたのだ。
我先にと母が降りるその後に続くと、使用人を従えた執事が歓迎に出迎えた。
俺はあくまでも付き添いで訪れた侯爵子息として、不服そうな顔で手を乗せた母をエスコートして歩く。
客室に到着するとすぐにリーヴェ侯爵夫人が現れるので、それからの俺は自由だ。
やっと、ローナに会える。
内心は察するに余りあるが、表情を一切変えずに俺を案内する執事は、さすがはリーヴェ邸の執事だと言える。
ローナが待つ庭に到着すると、執事は通例として、また監視として俺の後ろに回った。
俺がローナに持つ感情の全ては、この邸において隠し通さねばならないものである。
執事は、俺がそれを守っているかを監視するのだ。
もし、少しでも誤った行動をとれば、俺はもう二度と彼女に会えなくなるだろう。
俺はローナの年近い良き友人として、彼女に会うことを許されているのだから。
ーーローナ・リーヴェは、この国の王太子の婚約者である。
本来ならば、そんな立場にある彼女がまだ幼い年齢といえども年の近い男が会うのは"はしたない事"だと禁じられる。
それなのに俺がローナに会うのを許されているのは、彼女が希望していることも大きいがーー何より、俺が友人としての顔と距離感で接しているからである。
「セシル!」
花が綻ぶような笑顔で俺の名を呼ぶローナに心臓が握り締められた。
下唇を噛んで感情を抑え込み、「友人の顔」でローナに笑い返す。
この時間はこの上ない幸福を得られると共に、この世の地獄を同時に体感することになる。
それでもローナに会いたいと願う俺は、何と哀れな阿呆なのだろうか。
けれどいつか本当に王妃に行ってしまうまで、せめて友人として思い出を重ねることをどうか許して欲しい。
手の届かない人に恋をした阿呆は、君の目の前にはいないのだから。
だから俺は、このままの関係で、この時間がもう暫くは続くと思っていたんだ。
ーーあの時までは。
* * *
ここ最近、剣と魔法が登場する物語に熱中しているローナが、剣の打ち合いがどのようなものか知りたいと言ってきた。
そんなのは語ることはおろか自分も実践できる分野であったので、模擬戦をやってみようということになった。
模擬戦用の刃を潰した剣を使う、練習試合のようなもの。
対するは、リーヴェ邸の警備兵だった。
「よろしくお願いします」
「よ、よろしくっお願いします!」
相手が侯爵子息だからだろうか。傷をつけた場合の訴訟を恐れて、警備兵の挨拶の声がやけに上ずっていた。
遠くの安全な所にいるローナから声援をもらう中、審判を務める執事の合図のもと、俺たちは打ち合いを始めた。
勝負は意外なことに拮抗した。
若くともリーヴェ邸の警備を担う兵士なのだ。自分はすぐにでも尻餅をつくだろうと予想していたのだが、存外、稽古の成果が現れた。
力技では敵わないが、技術と素早さで欠けた部分を補えば打ち合いは続く。
あとはどちらかの体力が尽き、隙を見せるかだった。
ついにその瞬間が現れた。
警備兵の左足のフラつきに勝機を見た俺は、一気に相手の懐に入り渾身の力を込めて剣を弾いた。
剣は体力の尽きた兵士の手からいとも簡単にすっぽ抜けて宙を舞う。
勝った、そう喜んだのも束の間ーー。
それが落ちる先として選んだ場所に、全身から血の気が引いたのを感じた。
「ローナ!!」
こんなにも荒々しく彼女の名を呼んだのは初めてだった。
有らん限りの力を振り絞って、俺は土を抉って走り出す。
驚きで剣が自分に向かってくるのを呆然と見ているローナは勿論の事、隣に立つ侍女も慌てて手を伸ばしているが間に合わないだろう。
剣が向かう先は、この国で一番愛らしいローナの顔。
あたりどころが悪ければ脳を痛めて死んでしまうかもしれない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ!!!
今この瞬間だけ魔法が使えて、彼女の目の前にワープできたらいいのに。
突然、大嵐のような風が吹いて剣の軌道がずらされれば。
あるいは、あるいは……。
ありもしない可能性で頭は埋め尽くされる。
必死に足を動かしているのに、まるで走り出しから留まり続けているのではと錯覚するほど、ずっとローナが遠い。
俺だけじゃない。
俺と対戦していた警備兵も、監視役の執事も。
みんながみんな、必死に手を伸ばしていた。
それなのに、無情にも"結果"を告げる音が鳴る。
ガツンッと骨に強く打ちつけた音が、走る音と荒い呼吸音の中で一番強く鳴り響いたのだ。
時が緩やかになって、俺の目の前でローナがゆっくりと後ろに倒れていく。
小さく動いた口を最後に、ローナは精巧な人形のように地に伏して動かなくなってしまった。
絶望に蝕まれた体は主人の言うことを聞かず、その場に括り付けられて動かなくなった。
肺が生きることを拒んで呼吸を受け付けない。
動かない目がローナを捉えて離さないのが、余計に絶望を増幅させていく。
「ローナ、ローナ、ローナ、ローナ、ローナ……」
邸から多くの侍従がやってきて、慎重にローナの体を室内に運んでいる。
それと同時にやってきた別の侍従が、パニックを起こしている俺をどうにかしようと背中を摩っていた。
もしもローナが死んでしまったらどうしよう。
その時は、俺も。
そこで俺の意識は途絶えた。
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