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ローナ 10歳編
診察の結果
しおりを挟む医者が首を横に振ったのがわかった。
私には見えないけれど、母が声にならない悲鳴をあげたからだ。
「なんとかっ……なんとか、治せないでしょうか?治療費なら、いくらでも払いましょう。器具が必要だというのなら、私なら世界各地から取り寄せてみせます、だから……」
「はっきりと申し上げさせていただきます。お嬢様の目は、もう二度と、世界を映すことはないでしょう」
「ああぁっ……」
ついに母が泣き崩れてしまった。
父が悔しげに膝を叩いた音がした。
幼いローナがこんなにも両親が取り乱す現場に居合わせたのは初めてだ。
いつだって優しく穏やかな二人が、今日このひと時だけで何度も声を荒げるなんて。
両親の純度の高い絶望の嘆きもまた、ゲームの彼女の性格を歪めた原因なのではないだろうか。
そんな風に、どこか他人事のように、私はこの光景を前にしていた。
「ローナお嬢様、目が痛むのではないですか」
医者が私に話しかけたことで、取り乱していた両親がようやく、私がここにいるのを思い出したらしい。
慌てて居住まいを正したのか、ガタガタと椅子が揺れる音がした。
「ええ。少しだけ、目の奥が痛みます」
「成る程。では、痛みが取れるお薬を出しますので、食事の後にとっていただくように、侯爵様並びに奥方様に詳しい説明をしてまいりますので、我々は一旦席を外させていただきますね」
「ありがとうございました、先生。お父様、お母様。お二人にはこれから、大変なご迷惑をおかけします」
「迷惑などではありません。あなたの為のお話なのですから……」
例えベッドの上であろうと、体に染み付いた淑女としての礼をした私を褒めて頭を撫でた両親は、医者に連れられて部屋を出て行った。
カタカタと、両親や医者が使用していただろう椅子を片す音がする。という事は、今、この部屋には私付きの侍女がいるようだ。
名前は確か……。
「アン?」
「はい、お嬢様。アンはここにおります」
涙で濡れた声で、アンと呼ばれた侍女は私に応えた。
声がしたのが右耳だったので、そちらの方に顔を向ける。
「アン、貴方には今まで以上の迷惑をかけることになってしまうわね」
盲目の令嬢なんて、物語の登場人物としては有りがちで素敵な設定だけど、実際に相手する使用人らにとっては面倒極まりないだろう。
それなのにアンは「滅相もない!」と、これまた珍しく声を荒げて言った。
「迷惑などとおっしゃらないでください!アンは、お嬢様のお世話付きになった事を誇りに思っているのです。貴方様が健やかで、幸せであられる事こそがアンの幸せ。お嬢様が幸せでいらっしゃられるように働けるのなら、どんな事だって苦ではありません」
見える世界を知っている私にとって、見えない世界というのはとても不便で恐ろしい。
さらに社会人として自分のことは自分でこなして生きていた私の記憶が目覚めた事で、何をするのにも人の手を借りなければならないこの状況は遠慮を通り越して苦痛さえ感じる。
侯爵令嬢に面と向かって文句を言うような使用人はここにはいないだろうけど。
それでもーー本心から来る言葉ではなかったとしても、今の私にとって、アンの言葉は心に空いた小さな隙間を埋めてくれるものだった。
「……ありがとう、アン」
「なんのその。ですから遠慮などせずに、何でもおっしゃってくださいませ」
そう言ってアンが私から離れたちょうどその時、遠慮がちに部屋の戸が開かれる音がした。
音が殆どしない軽やかな足取りは、恐らく子供のものだろうから。
「…………ローナ……」
ーーセシルだ。
聞こえた声に、私は思わずパッと笑顔を浮かべたのだけど……アンは違った。
侯爵邸の侍女らしからぬ足音を鳴らして近づいて、部屋を訪れたセシルを叩き出したのだ。
「どの面さげてお嬢様に会いにきたというのです!フント侯爵のお坊ちゃまといえど、貴方はお嬢様に永遠の傷をおつけになったリーヴェ家の敵!旦那様にご報告せねば!フント侯爵の坊ちゃまがまだこの家にいると!」
「ごめんなさい……!ごめんなさい……!」
恐ろしい剣幕で捲し立てているだろうアンに怯えて、セシルが震える声で謝っている。
私は慌ててアンをとめようと、ベッドから下りようと足を出してーー距離を見誤り、頭から地面に飛び込んでしまった。
「お嬢様!」
「ローナ!」
駆け寄ってきたアンが私の体を起き上がらせてくれた。そのまま体を持ち上げられ、優しくベッドの上に座らせられる。
「お嬢様、無茶をなさらないでくださいませ。ご用件がお有りなら、アンめにおっしゃってくださいとーー」
「それなら、アン。セシルを私の部屋に通して頂戴」
「……それは……」
盲目の原因となった出来事を、当然その時私のすぐ側にいたアンは知っている。
だから私にセシルを近づけたくないという考えも、察せないわけじゃない。
「お願いよ、アン」
でも、私はセシルと話がしたい。
アンは私付きの侍女だ。主人にお願いされては、一介の使用人に断りの選択肢はない。
……ちょっとズルい手だったかな。
「見張りをつける事を許可してくださいますのなら……」
「ありがとう」
渋々といった様子で頷いたアンに微笑みで返して、セシルが居るだろう方を見る。
「ローナ、俺……」
可哀想に思えるほど萎縮してしまったセシルは、いつになく声が小さい。
「話をしましょう、セシル」
緊張でゴクリと唾を飲み込んだのは、はたしてどちらだったのか。
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