傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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縁のはじまり

芽生え

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          一

 起き上がると、いつものように大きな窓を背にしてさつが風鈴をいらっていた。

「あたし、最近、こんなのばっかりね」

 声をかけると、刹貴は手を止めて顔を上げた。

『起きたな、』

 わずかな笑みがくちびるに乗る。どんな感情がそこに込められているのか、刹貴と過ごす間に理解できるようになってきていた。ほっとしている。自分が倒れたせいで心配をかけさせたのだと思うと、申し訳なくなった。

「死ななかったの、あたし」

『元の身のほうも、何とか持ち直したようだったからな。運が強い子だ、お前は』

 傍によってきた刹貴は枕元に座る。近くに来ると、面で隠されていない部分の顔色がすこし悪いことに仔どもは気づいた。
 手を伸ばして、触れる。

「心配、かけた」

 改めて口に出してそう言うと、彼は驚いたように身を引いた。そうして、くしゃりと頭をかき回される。少々乱暴なその動作に、髪が絡まる。

『心配していたことを認めてくれるのか』
「だって、当たってるよね」

 自分を想ってくれるひとがいる。そのことを、いまではちゃんと分かっている。

『三日も目覚めなかったのだぞ。心配せぬはずがない』
「ごめんなさい」

 謝罪のくせに、笑ってしまう。
 刹貴はそれにむっとするふりをして、ぽんと頭を叩いた。

『胸の傷、もう治ったろう』

 指摘されて、仔どもは自分の身体を見下ろした。最後まで残っていた醜い傷は、薄い名残しかもうなかった。軽い驚きを覚える。

「ほんと、だ」
『現金なやつよ』

 憂いが晴れたとたんに、完治したのだ。そう言われたとしても怒れない。気恥ずかしさを覚えて、仔どもは肩をすくめた。

『ほかのところも、もう痛まないだろう』

「うん。  刹貴は、だいじょうぶなの」『おれがどうした』「風鈴、こわしたから」

 ああ、と刹貴はいまさらそのことに思い至ったようだった。『家に戻ってきたしな、あれくらい、大した労ではない』

 動けるか、と訊かれ、うんと答える。まだ身体のだるさは治まってはいなかったけれど、それは些細なことだろう。刹貴は立ち上がって仔どもの手を引いた。

『お出で』

 導かれるままに刹貴に背を追おうとして、急な動きに視界がねじれる。映るのは黒白ばかり。均衡を崩して刹貴の背中に頭から突っ込んだ。

『人間』

 顔を真っ赤にして声も出せない仔どもを、仔どもに背中を貸したまま刹貴は呆れ返った声で呼ぶ。『これからのお前の課題は、もっと甘えることだな。抱いてくれといったところで、誰も迷惑だとは思わぬぞ』

 刹貴は振り返り、仔どもの足を掬い取って抱きかかえる。すっかり慣れきった、流動のようなその動き。仔どもも落ちないように、刹貴の首に腕を回した。

 仔どもはいつも刹貴が風鈴細工をしている机まで連れてこられた。誰も来ていないときには、ほとんどといっていいほど仔どもと刹貴はここにいる。

 刹貴が仔どもを定位置となっている膝のうえに乗せたとき、がらりと突然扉が開いた。

『三日ぶり、お嬢ちゃん』

 軽い声で手を挙げたのははぜだった。「みーちゃん」

 突然のことに一驚して仰け反らせた身体を、刹貴が倒れないように支えてくれる。
 いつの間にやら魅櫨は仔どもの隣にしゃがみ込んでいて、色つき硝子の奥の目を細めた。
 呼び名に不審そうにする刹貴に、オレのあだ名、と魅櫨が語尾を跳ねさせる。

『様子を見に来たんだが、もう起きているとは思っちゃいなかった。無事で何より。河童の爺さん、あいつすげえわ。ちゃんと医者やってやがった』「かっぱ」

 耳慣れない言葉に仔どもは小首をかしげる。

『そ、飲んだくれなんだが腕は確かって有名なもんだから、お嬢ちゃんを診てもらった。桶に入って行くか水を持ってくかで奴と揉めて、
 ああいや違う、オレはそんな話をしに来たんじゃねえ。旦那たちからの言付けだ』

 魅櫨は脱線しかけた話を自ら持ち直させる。

 桶に入る、水、何だそれ。混乱しそうになっていたあたまは、才津さいつの名で正常に引き戻された。

『言付け。では才津殿たちは、来られないのだろうか』

 残念そうな色を乗せた声で刹貴は訊ねた。そうなるなあと魅櫨は応じた。

みせに戻った後、ぶっ倒れたんだぜあのひと。勢い任せに炎なんぞ使うから、反動が来たんじゃねえか』「さ、才津さま、平気、なのっ」

 なんでもないように言っているが、結構な問題ではないのだろうか。ぶっ倒れていて、三日たったあとも動けないなんて由々しき事態だ。

 だのに刹貴は平然と受け入れていて、大したことはないと言いたげだ。

『ま、どっちにしろ熱があるだけだから、問題ねえだろ。大事をとって強制的に布団の中。ったく、火を見るだけでも昏倒するくせによくやったよ、あのひとは』

 意外に思って、仔どもは何度も瞬いた。

「才津さまでも、苦手なもの、あるのね」

『そらあるだろ。中でも火は一等だ』

  発せられる声に、暗いものが混じる。

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