傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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さあ、目を覚まして

だから彼は救われない

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『傷の痛みと焼け死ぬでは、どちらが早かろうな』

 まったく能面のような面で才津は一連の動作を行うがいなや、冷然とした表情のまま仔どもの父親めがけて、才津は容赦なく刀を突きこんだ。
 灼熱が空気を呑み尽くす。

「ひぃいっ」

 引き攣った男の悲鳴が上がる。仔どものか細い悲鳴とともに。

『才津殿、空の坊に言うたことを忘れたか』

 紙一重のところで才津の剣先は男の月代を裂くに治まった。彼の背にした柱にふかぶかと突き刺さり、大きくしなる。男は脂汗を滂沱ぼうだと垂らして四肢を痙攣させて戦慄わなないた。

 才津は剣呑な眼差しで自らの気を逸らした刹貴を睨み上げる。

『俺を読むな、刹貴。   忘れてはおらん』『ではそれまでだ』『お前が言うな、風鈴を捨てたな』『必要とあらば、捨てもする』
『フン、』

 ぱくぱく、口を開くばかりで声を出せないでいるそれを面白くない顔で才津は一瞥し、刀を引っこ抜いた。燃え広がろうとする柱の炎を足で揉み消す。

『そうさな、空にああ言った手前、殺すわけにはいかん。感謝しろ』

 才津は乱暴に柄を空に押し付けた。刀身の炎は才津が手を放したことによって、物打ちあたりがぼんやりと燃えるのみだ。『殺しを女に強要する輩は親父を見ているようで虫唾むしずが走る。女は愛で、庇護するものだ。貴様に俺に準じろとは言わんがな、俺の前でやるならば覚悟をすることだ』

 発された言葉は一音一音が冴えざえと凍てついている。

『二度と、この娘に手を出すな。これはお前の娘だというのと同時、我らの友人だ。少しでも妙な真似を見せてみろ。お前、              喰われるのは好きか』

 それは明確な脅しだった。

 怯えて、声もなく男は首を振った。『確かに聞いたぞ。たがえるなよ』
 才津は片頬だけで浅く嗤う。そして仔どもに目を向けた。『娘、』

 びくりと仔どもは肩を跳ねさせた。
 才津に呼びかけられ、ゆらりと仔どもの眼差しが揺らぐ。

 しっかりと、仔どもはすべて見ていた。泣き叫ばなかったぶん、自分を褒めてやりたい。痛みを訴える傷を押さえ、仔どもは震える息を長く、ゆっくりと吐き出す。

 恐慌の名残がまだ消えず足腰の立たない仔どもを、刹貴は抱え上げた。「さつ、き。手」『大事ない、もう傷は癒えた』

 仔どもを抱いたまま、危なげなく刹貴は階梯かいだんを降りる。才津が仔どもに向かって手を伸ばし、仔どもの身体は才津に預けられた。そして刹貴は仔どもの父の前に立つ。

『哀れなご仁よ』

 腰の抜けた男の手を取り、きちんと座らせてやりながら刹貴はつぶやいた。

『久方ぶりだ。どこまで読めるものかと思ったが。  存外見通せるものだな』

 彼の内心は覗くも無残な有様だった。不審や疑惑、そんなものに支配されて。

『さぞや恐ろしかったことだろうな。鬼の仔のような姿は。何やら不吉なことが起こるやも。現に産婆は仔どもの姿を見て息を止めた。細君は一カ月枕から頭が上がらなかったし、果ては儚くなった。どんな些細な不幸ですらもすべてあの子のせいだと思っていた、そんなことはないのに。そうすれば楽になれた気がしたろう』

 とつとつと開かれる内情を、彼は聞いている。ぞっとずるほど低く美しい声は、聞くまいとしても耳に入ってくる。

『あなたは一度でも、あの子の姿が、自分が由来だと思ったことはなかったのだな』

 はっとして男は顔を上げた。「わしが、」

『北の生まれだ、あなたは。そこでは稀に蒼い目の子が生まれる。この髪も、そうだ。二心も何も、あなたの子であるが故に得たものであったのに、まこと人の子であるが故だったのに、あなたは調べようともしなかった。
 あなたの猜疑心が細君を追い詰めた。あなたがこの子を虐げなければ、私の風鈴は不要であったし、彼女は今も生きていたはずだ。  
 もう、  遅い』

 男は刹貴の言葉を理解し、徐々にその双眸を絶望に染めていった。でもそう、遅いのだ、今更知ったとて。彼女はかえらない。為してしまったことは戻らない。賽はとうに振り終わってしまっていて、出た目の結果が、今なのだ。

 男は脱力のあまり支えきれなくなった首をがっくりと落とし、放心していた。溢れるままに垂れ流された涙はあまりに多くの意味が詰め込まれているのに透明で、しかし結果として落ちた先の土くれに汚れてしまう。

 医者に見せることもしなかった。病であるかもしれなかったのに。ゆえが分かるのが怖かった。存在は硬く秘され、生まれたことすらも認められなかった。真実そのようにしなかったことをずっと男が悔いていたことを、刹貴は知っている。産声を上げたその時分に、息の音を止めておけば。

 奇怪で、おぞましくてならなくて、可愛がろうにも無理だった。妻が庇えばなおさら憎かった。自身の種かも分からぬ仔、バケモノの仔。退治てしまうことが常道だろうと思っていた。なのにまだ、生きて。行った仕打ちは消えぬのに、今になって自分の子だと言う。

「  子でない方が、ましだった」

 あまりにむごく、人間的な、その発露。
 刹貴は静かな声でがえんじた。

『そうだな、だからあなたは救われない』


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