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さあ、目を覚まして
あの日々に帰るくらいなら
しおりを挟む言い合っていたときの雰囲気を一変させた、確とした言葉が才津に向けたままの背に刺さる。
『いやだと言う気持ちは分からんでもない。だがこのまま駄々をこねていても何も始まらんだろう。行くだけ、行くだけだ。何かをしろとは言わん。来るだけでいい』
「や、」
弱弱しい声で、けれどはっきりと、仔どもは否定だけを返した。行くだけ。確かに仔どもの行動はそこで終わるかもしれない。けれど父親がいるその場所で、刹貴たちと話をしている場所で、仔どもについて父が何を言い出すのか想像するだに恐ろしい。
悪意ある言葉は、心ノ臓を止めることとて可能なのだ。
『このままでは折角傷を癒して帰ったところで、また座敷牢に逆戻りの生活しか待っておらんのだぞ。帰らなければ帰らなければでひたすら朽ちるのを待つのみだ。今のお前ではきっと、刹貴のように妖モノとしてふたたび孵ることも叶わんだろうなあ』
逃げ道は存在しない。拓かれているのは才津の示すものだけだ。重さのない言い方で、しかし追い立てるように、才津はその道ばかりを見せようとする。
『お前はもう魂だけで長く居すぎた。存在はここに掴めても、肉体はもたんだろう。
いい加減、死ぬぞ』
一拍遅れ、凄みを込めて突きつけられた台詞の何たるかを理解して、背中がじっとりと汗ばんでいく。冷たい、汗だ。
死ぬ。
そうだったなと、逃避するように仔どもは思い出していた。過去に、いずれお前は死ねるだろうと才津は教えてくれたのだった。
あのときの仔どもは嬉しくてたまらなかった。その事実に。
もうすこし前であれば、そのときと同じように喜べた。
なのにいまの仔どもは死すらも、 怖い。
それでも、できぬものは無理なのだ。
刹貴だけが救いであるように思えて、仔どもは絶対に才津を視界に入れないように、きつく目を瞑る。離れぬように刹貴の太い首に縋りつき、肩口に顔を埋める。
あからさまな拒絶を仔どもから受けて、才津はやっぱりなァとぼやいた。どこか困ったように。
『まだ、死にたいのか』
仔どもは緩慢に首を振った。
そんなわけがない。
死だっていまは怖いのだ。ただそんな終わりなんかよりも、よっぽど父親に責められるのが怖いだけで。
『だがなあ人間、お前、自分で望んだわけでもない、そんな死を受け入れるのか』
「え、」
刹貴までそんなことを言い出すので、仔どもは目を見張った。
『己はお前が消える姿を見たくはないが』
ぐらりとこころが揺れかけたが、刹貴の言葉は父親との過去を払拭するだけの威力は持たなかった。仔どもは色のない声音で無理だと反復した。
逃げて、死ににきたはずだったのだ、ここには。いろいろな苦しいこと、悲しいことをもうすべて終わりにしたくて、だから仔どもは自害という咎を犯しまでしたのだ。
いま帰れば何もかも無駄になる。
たとえ風鈴を返されるときが来ても、才津が言うようなあの牢獄に似た屋敷へ帰るつもりなどは毛頭ないのだ。
死よりも、飼い殺される日々を想像するほうがぞっとした。ましてやそれに足して待っているのが折檻だ。言われなくとも分かる。父が来たならきっとそうなる。
それでも帰るのだと、そう言える人間がいるのなら愚か者どころではない。痴呆だ。
まして仔どもはここで、優しくされることを知ってしまった。もはやあの日々を耐えられる気はしなかった。
あそこで自分はいったい何を考えていたのか。まさしく呆けていただけの日々。
『まあ、いい。いたしかたあるまい。刹貴、どうにか娘を連れて来い。俺は先に、屋敷へ行ってくる。魅櫨が待っておるからな。
空、行くぞ』
「お嬢さん、」
苦しげに、何か言いたげに寄せられる眉。空は仔どもを見つめ、結局何も言うことなく目を伏せて、また上げる。
空は後ろ髪を引かれるようだったが、再び才津に促されて諦めがついたらしい。
「先に、参りますね、」
言いたかったのはよもやそれだけではないだろう。その言葉ではないだろう。だが空はそのほとんどの言葉を飲み下して、ただそういい残し、押入れへと足をかけた。
その姿を、仔どもは一顧もしなかったが。
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