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それは永遠の秘めごと
それはあまりに他愛なく
しおりを挟む家主より先に座敷へと上がり込んでいた才津が、煙管の盆に手を伸ばしつつ、不愉快そうに眉を寄せた。『ここで待っていろ、と言ったはずだが、あれは俺に背いたか』
『いや、空の気配はするのだが、』
刹貴は取り出した風鈴を弄びながら、顔を押入れへと向けている。仔どもと千穿は顔を見合わせた。空はまさしくその中だ。着飾った姿を見られたくなくて逃げ込んだのだろう。
『主人が帰ってきたというに、労いもなしか』「ご無事のお帰りなによりですっ」
『ほう、』
才津は煙管を咥えると、膝に手をついて立ちあがる。真っ直ぐ押入れに向かっていこうとするので、仔どもはあわててその裾に取りすがった。
「待って、まって、ね。才津さま」
才津はその朱を刷いた怜悧な金を軽くみはり、裾を引く幼子を見下ろした。
『どうした、娘』「ちょっと、ちょっとだけ、ね」
仔どもは慌てて空の着物を拾い上げ、そっと襖を開けて空を伺った。ほんの小さな仔どもでは、いっそう暗い上段を上手く覗くことはできなかったが、そこにいることは確かだ。仔どもは隙間から空の着物を押しこんだ。「空、これ」
ごそりと闇が動き、すみません、と空の囁き声がした。そんな空への仔どもの気遣いを無視して、才津は襖に手を掛けると一気に横に開け放った。
『ご無事かどうかは顔を見なければわからぬだろう。なァ』
突然開けた視界に、仔どもと空は目を丸くする。しかし驚いたのは才津も同じだった。
しばらく主従は言葉もなく互いを見つめあっていた。
やがてゆるゆると波が襲ってきたのか、才津が笑い出す。
『なんだ、空、お前そんなことで隠れておったか、焦らせるな』
涙目になった空は自身の着物で姿を隠そうとする。その着物を素早く才津は取り上げて、空を抱え上げた。『ずいぶんとかわいいな。どうした』
「どっうもしませんっ。千穿に遊ばれたのです。か、かわいいって、言わないでっ」
『愛いものは愛いと愛でるのが俺の流儀だ。知らぬわけでもあるまい』
「知ってますっ、けど、おれにはしないでください。嫌です」
『お前が嫌がるから、やるんだが』
空の頬に指を滑らせ、摘まんで引き伸ばしながら才津はくつくつと喉の奥で楽しげに笑う。「触らないで、見ないで」
『かわいいな、かわいい。似合っとるのに、勿体ないな。お前、女だったらよかったなあ』
およそ、才津は特に何かの意図があってそう言ったわけではなかったのだろう。しかし空はその言葉を受けて息を止め、一瞬その顔から全ての表情を欠落させた。すぐさまその顔は才津から逸らされて、彼は気づかなかったかもしれない。けれど茫然とした横顔は、仔どもの位置からはよく見えてしまったのだ。
そのおしろいでも隠せないほど色をうしなった肌とは対照的に、弧を描いた紅の口唇が明るく言葉を紡ぐ。
「女好きもここまで来るといっそ見事ですねえ、才津さま。いかがです、では、男の空と女の空、選べるとしたらどちらがよろしいですか」
『そりゃあ男に決まっとろう』
間髪いれずに才津は答えた。空はそれを聞いて身を震わせ、才津の肩を押す。
「ですよね。安心いたしました。そこまで見境がなければ空はうっかり失望で泣くところでした。実は涙腺自体はすでに危うく」
『おい、そんなにか』
「ですからそろそろ下ろしてくださいね。空はお化粧を落としたい」
『勿体ない』「怒りますよ」『分かった、分かった』
床に立たされてすぐに、空はまた押入れによじ登った。
何をするのか、とみなが見守る前で一言、
「お先に失礼します」そう言って一礼、襖を閉めた。
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