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それは永遠の秘めごと
選んでしまったこの場所は
しおりを挟む三
空は先ほどから部屋の隅でむっつりと黙りこんで、膝を抱えて壁と額を突き合わせている。仔どもとも千穿とも目線を合わそうとせず、全身で不機嫌ですと語っていた。
彼の髪はいつもの総髪ではなくきれいに結いあげられていて、空が身じろぐたびに楽しげな音を立てる簪がささっていた。あまりにも似合っていたものだから悪乗りした千穿が袴までも引っぺがし、仔どもの着物までも着せてしまったものだからどこからどう見ても女の子としか言いようがない。元が柔らかな風貌な分、なおさらそれが際立った。
千穿はそんな空を見て満足げに頷いた。彼女にとっては一種の意趣返しでもあったのだろう。
仔どもがかわいいと手放しに褒めるととますます千穿は笑みを深め、空は一層どす黒い雰囲気を醸《かも》し出して隅の住人になってしまった。
『お前もなかなか見れるようになったな、ムスメ』
仔どもについと視線を移し、千穿はふむ、と頷いた。
『お前も満足だぞ。身ぎれいになって、満足だ。刹貴はその辺無頓着だからな』
「ありが、と」
仔どもは空が持ってきた真新しい着物に身を包み、髪をいくぶん上げ、随分華やいだ格好になった。へにゃりと緩んだ笑みを浮かべる。
『礼は、要らん。私が好きでやっただけだ。あまりお前も本意ではなかったようだしな』
「違うよ」
にこにことしながら、仔どもは千穿の言葉に首を振った。
「何かしてくれようって、考えてくれたのが、うれしいんだよ」
うれしいん、だよ。
呟くように、繰り返す。
危険だ、危険だ。笑いながら、思った。
分かっているのに、死にたいと思い続けなければならなかったはずなのに。こんなにも毎日が幸せで、こんなのはいけない。
仔どもはもう選択してしまった。
今の、この幸福を。
分かっているのに、選んでしまった。どうしたって手放せないのだ。
だって、
「あっ、」不意に空が慌てたように顔をあげた。
そのままわたわたとあたりを見回し、押入れを開けて中に転がり込む。
『なんだ、あの坊主は何をしている』
千穿は胡乱げな視線を押入れに投げる。
「わかんない」
そう返したとき、がらりと引き戸が開いて、長身の男が二匹、身をかがめて入ってきた。
一匹は甘さなど欠片もない、気後れするほど顔立ちの整った男。長く伸ばした灰褐色の髪を総髪にし、背に流している。着崩した着物に肌蹴させた胸元、しかしこれにだらしないと眉を寄せる女子はおるまい。あでやかな帯を雑に締め、女物の打ち掛けを羽織がわりにした異様な風体でも、それを納得させるだけの存在感がその偉丈夫にはある。男は名を才津といい、昼の世界では呉服屋を営み、裏の世界ではそこを統べる長であった。
その後ろに立っていたのは仔どもの飼い主である刹貴で、この庵の家主でもある。頭身は才津よりもわずかに低いが、昼の町中に出ればあまりに巨きい。背中を覆うつややかな黒髪に同じく黒ずくめの着物。両眼を隠す文様の入った面ばかりはあざやかな朱だが、これは彼の奇怪さをひときわ立てている。
刹貴は盲いた瞳で簡単に仔どもの居場所を見つけてしまった。
『帰った』
そう言われるのにどう返答していいか掴めず、仔どもは刹貴を見上げた。千穿がそんな仔どもに耳打ちして、促す。
「えっと、 おかいり」
言われたことをそのまま反復しただけなのに、刹貴はふっと口元を和らげた。
『ああ、 可愛らしい、恰好をしているな』
一瞬、何を言われたのかと思った。それが自分を指しているのだ、そう気づいて嬉しくなった自分に哀しくなる。
「見える、の」
訊ねるとゆるり、刹貴は首を振る。
『見えはしない。分かるだけだ、そうだ、と』
淀みない手つきで刹貴は仔どもの頭に手を伸ばした。形を壊さないようにか柔らかな動作で触れてくる。そうしてぽつり、本当に零すように刹貴は呟いた。
『楽しそう、だな』
「え、」
『土産だ。食うといい』
包みを仔どもの膝に落とし、自分の横をすり抜けていった刹貴を、追いかけて振り返る。
どうしたの、そう問いかけようとした言葉は、陽気な千穿によって遮られた。
『日高屋ではないか。饅頭だな。ここのは美味いぞ、やったなムスメ』
千穿はすらりと立ち上がり、仔どもの頬を撫でいていく。『疲れたろう。すぐに茶を淹れてやる』
「うん、ありがと」
千穿は草履をつっかけて土間に降り、火鉢から鉄瓶を取り上げる。番茶はすでに煮出されていて、後は注ぐばかりである。
『全部で四、いや五つか』
千穿は首を傾げ、ちらりと押入れに視線を投げる。空は出てこない。
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