傍へで果報はまどろんで ―真白の忌み仔とやさしい夜の住人たち―

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覆せぬ差をどうせよと

何よりもこころを刺すは刃物より

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 母の眼に絶望がよぎり、その視線に導かれるように首を巡らせると、そこにはなたくわをもった男や女たちが大勢、立っていた。千穿ちせんたちは騒ぎすぎたのだ。

 だれも動かない、声も発さない、完全な沈黙がしばらくその場に漂って、ようやく行動を起こしたのは村人も母も同時だった。

『逃げえっ』「バケモノッ」

 母は千穿を裏口のほうへ押した。たたらを踏みつつも二、三歩だけは母の望むように千穿は歩みを進めて、けれどもそれ以上は進めずに母に向きなおった。その千穿の耳に、鈍い音が突き刺さる。

『え、』

 ごとん。目をゆっくりと音のしたほうに落とすと、見慣れた着物の袖を纏った蒼白の腕が血に塗れたその身を床に横たえている。

 ぱちり、一度千穿は瞬きをして、それが確かに現実かどうか確かめようとした。しかし、一度視界を閉ざしてみても映る景色は変わらない。どこまで見ても、それはさきほどまで母の肩に繋がっていたはずの腕だった。

『逃げ、と言うとるやろうっ』

 鋭い母の声に頬を叩かれて、千穿ははっと顔をあげた。
 すでに大量の失血をしているはずの身体から、なおも血を流している母を見た。

『嫌だっ』

 気づくと、千穿はそう反駁していた。
 こんなに傷ついている母をおいて、いったいどこに行ける場所がある。
 それに。

 千穿はこの村以外の世界を知らない。逃げる場所を知らない。

『ちせんがあるのは母ちゃんがいるところだ、父ちゃんのいるところだっ。ちせんとて、
 ちせんとて、三人で暮らせるのが幸せだっ』 

 逃げてしまったら、きっとそれは叶わない。母の望みが、ひいては千穿の望みが、ついえてしまうことになる。

 千穿は母の前に回り込んだ。震えそうになる身体を気力だけで何とか押しとどめて、目の前に立つ人を睨みあげた。

 鉈の刀身を、母の血で濡らした男を。よく見知った同村の男を。

 母は千穿を守ってくれていた。今度は、いくら怖くとも、千穿が母を守る番なのだ。

『おいちゃん、ちせんを殺すか』

 あんなにかわいがってくれた千穿を、殺すのか。

 優しい、人だった。少なくともいままでは。秋になると焼いてくれる、彼の焼き芋は千穿の好物だった。

 その芋を切る鉈で、千穿を。          殺すのか。

 その鉈を見れば、彼の殺意は明確だ。それでも問わずにはおれなかった。沈黙のあと、抑えた声音で男は答えた。

「お前たちはバケモノだ」

 かあと頭に血が昇り、激昂げっこうして千穿は声を上げた。

『それがなんだというのだっ。それごときで、そんなことでっ』

 今日初めて、おのれと周囲との差異を見せつけられた。それを突き付けられてようやく、自分が人でないと気づいたのだ。

 まだその違いにすら戸惑っているのに、加えてここまで周りの態度が変わってくるなんて。千穿を人間だと思っていた範囲でしか、千穿を愛してはくれないなんて。

「そんなこと、ではない。我らとは異質。それだけで十分脅威だ。知らずにいることと知ってしまった今では、あまりにも距離が遠すぎる」

『もう、やさしくしてはくれないのか』

 それでも諦めきれずに訊ねてみたが、その返答はやはり予想に違わないものだった。

「できるはずがあるまいよ」「そう、愛せるはずもない」

 続いた男の言葉は先のものよりなお深く、千穿の心を抉った。

「まさか、我が妻がバケモノだとは思いもしなかったよ」

 そう言ってゆるくわらうのは。
 信じられなくて、目の前に立つその人の呼称を口にする。

『とう、ちゃん』

「バケモノに仔を孕ませたとは、自分でも信じがたい」

 えぐる、えぐる。深くふかく、より深く。より一層、血を流すところを探り当て、刃を突き立てて。

 不意に肩に重みを感じた。ついに身体を支え切れず、母は千穿に縋ったのだ。

『母ちゃんっ』

 悲鳴を上げて、千穿は母を顧みた。

 彼女は、わらっていた。諦めたように知っていたように、とてもとても綺麗にわらっていた。血を失って、もう自身を支えきれなくなって、それでもなお。

 どれほどむごい言葉を夫から与えられても。

 いまにも絶え切れそうな息のしたで、それでもわらっていた。

『知っとったんや、最初から、何もかも。バケモノの私は、人とは釣り合わへん。
 せやけど好きになってしまった。どれほど疎まれとるか知っとっても、ずっと諦めきれへんかった。せやけどいつか終わる恋やった』

 こんなにも、母ちゃんは父ちゃんがだいすきなのに。
 同じこころを、もう決して父は母に返しはしないのだ。

「愛しては、いたよ」

『十分、やわ。今がどうでも。そん事実だけで』『何言ってるんだ、母ちゃんっ。暮すんだろ、また、三人でっ、ずっとずっと、幸せにっ』

 悔しい。こんなにも疎まれることを、いつ、自分たちはした。

『もう、無理やわ、おちび。みんなにばれてしまった。今の母はもう、こんなぎょうさん惑わしきれへん。
 そうやね、せいぜいお前をくらますくらい』

  母の唇が千穿の額に触れた。

 当然、世界から隔絶された感覚が千穿を襲った。ぶつけられていたいくつもの視線が消えた。母は床に倒れこむ。

「何をした、仔どもをどこへやったッ」叫ぶ村人たちに、母はつややかに細い息でわらった。

『私んように、殺されへん、場所や』

 バケモノがっ、吐き捨てる声にも母は動じなかった。ただ一言、逃げ、と声を掠れさせて千穿に告げただけだった。

「まあいい、まずこのバケモノだけでも始末してしまおう。仔どもはあとでゆっくり探すぞ」

 投げやりにそう決める声々に、千穿は震えあがった。こんな恐ろしい声で母や自分を称する彼らを、千穿は想像したこともなかったから。

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