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覆せぬ差をどうせよと
うそつき
しおりを挟む『言っておくがな』
仔どもが千穿に追いつくと、相変わらずの表情のまま彼女はぶっきらぼうに吐き捨てた。
『空の言ったことを真に受けるなよ。私は決してお前を殺そうとしたことを後ろめたくなど思っておらぬ』
それが先ほどの言い合いを示しているのだと気づいて、仔どもはすこし笑った。
「知ってる、よ」
彼女まで仔どもに優しければ、もうどうしていいのか分からない。
『いまだって、殺してやりたいくらいなのだ。才津さまの命だからせずにおいてやるが』
「いいのに、なぁ。殺して、くれて」
愛してほしい、愛されたくない。
相反する思いを助けるには、そのときそのときで移ろうしかない。
ぽつりと呟くように返答すると、千穿はひたと足を止め、険しい顔で振り返った。
『嘘をつけ、嘘を』
唸った声は、低い。
『貴様のそれはもはや条件反射だ。いまのお前は本気で死にたいわけではあるまい。
否、元からそうだったのか。貴様は決して、
そうだ決して、死にたいわけではなかったッ』
感情が高ぶったのが上がった大声に、仔どもは驚いて千穿を見つめた。『私が喰い殺そうとしたときの貴様の顔がどんなだったが、分かるか。どんな顔で私を見ていたか、知っているのか。あんな顔をしておいて、よく死にたいなどとほざくッ』
「ち、 せん」
呆然として、仔どもは彼女の名を呼んだ。叩きつけられる激高が、痛い。
泣き出しそうな、顔をしていた。怒っているくせに、その歪められた表情が本当は哀しみのためなのではないかと思ってしまうような、そんな顔で千穿は仔どもを睨み付けた。
『人間だから、ではない。それよりもなお、お前が憎い。それだけのために私はいま貴様を殺したいのではない。貴様が、
死にたいなどといつまでも言うからッ』
「 っ、」
見間違い、ではない。確かにいま千穿の瞳に悲哀の色がよぎったのを、仔どもは見逃さなかった。それに動揺し、ただ息をつめる。
沈黙、沈黙、その末に、千穿は目を逸らした。
『 、先に行く』
ぼそりと言い置いて、彼女は身を翻した。その口調は抑えてはいるものの、まだ十分な苛立ちが込められている。仔どもに、ではなかった。千穿自身への。
『もう気づいているのだろう、気づいているくせに、いつまでも分からない振りをしているのだろう。貴様は何よりいま、 何を望んでいる」
「それ、 は」
ゆっくりと千穿のあとを追いながら、もう随分と前から胸の奥でくすぶっている思いを仔どもはぽつりと口にする。
それをひとに曝け出すことは恐ろしいことでしかなかったけれど、見えない振りをしてしまうには、大きくなりすぎていて。
「刹貴が、すきだよ」
くうと心ノ臓が締め付けられた。言ってしまったら、どうしようもないくらい自分がそう思っていたことを自覚させられた。
立ち止まって、心ノ臓をきつく押さえ込む。
そこに刻まれた傷が痛む。治らない、治せない。まだ血のにじむそこ。
忘れるな、と喚くのだ。
「空も才津さまも、千穿も。みんな」
仔どもは愛されない仔どもだったから優しくされることに慣れていなくて、だからこそすぐに好きになった。
けれど好きになってはいけない。生き物は本能的に裏切ることを知っている。
そう言い聞かせて言い聞かせて、けれど破裂しそうな思いを抑えることはできない。忘れてしまうことはできない。
「だから、出ていきたいよ。死に、たいよ。何、の かちのある人間で、ないから。もういらないって言われるの、こわくて」
はっ、と千穿は短く笑い声を発した。
『貴様はもう少し、他人の感情の機微を理解できるようになったほうがいいな。お前が怯えている反対から、彼奴等もお前を失うことに怯えているのだ。
永遠なんぞ、私は知らぬ。ただいつ迎えるかも分からぬこれからと、今を貴様は秤にかけるというか』
馬鹿馬鹿しいと言いたげな声音は自戒をとうに終え、いまは全力で仔どもを甚振りたいといった体。『そういった愚か者を、本末転倒という』
今度こそ、あけすけな嘲笑がそのなかには含まれていた。千穿は立ち止ってしまった仔どもの傍に立ち、その額を弾く。『これからのことなど、起こってから考えろ。ない頭で余計なことを考えるからややこしくなるのだ』
容赦ない痛みが広がって、ぐわんと頭の中身を揺らしながら仔どもはそこに手をやった。早く来いと追い立てる千穿の声が間遠に響く。
千穿が開けた湯殿の中から、ぶわりと白く濁った湯気が溢れた。独特な臭気のその煙を纏いながら、ひたと仔どもを見据えてくる黄金の輝きがある。
『変わらぬものなどあるものか。これまでのお前と同じように。好かれているのならば、良いだろう。好かれ続ける努力をしろよ』
仔どもは放心して決然としたその眼差しを受けていた。仔どもは自分で思う以上に、思い上がった仔どもだった。
湯気が、流れてくる。わずかな湿り気が仔どもの頬を、身体を濡らしていく。それでもそれは泣いていることを隠すには足りなくて、仔どもは無性に悔しく思った。
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