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夜に暮らす穏やかな
怨みと赦し
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沈黙のあと、刹貴はゆっくりと語りだした。
『幼いころ、己がまだちいさな人間だったときだ』
「、人、」
『ああ、己は元から妖モノだったのではない。死んで、そうなった。強い哀しみや絶望は、人を変える。
己の住んでいたのは貧しい村だった。村の山にはあるバケモノがいてな、数年に一度、それに子どもを差し出さなければみな殺されてしまうという話だった』
刹貴の語りは分かりやすい言葉で噛み砕いてあって、頭の軽い仔どもでも容易に理解できるようにされていた。
『捨て置かれても帰れはしないように、己の両目はそのとき父と母に潰された』
死んでしまったほうがはるかにマシだと思うほど、それはひどい痛みだったと彼は語る。
『はじめは怨んだ。どうして己がこのような目に遭わなければならないのだと父を母を、神を怨んだ。どうして怨まないことがあるだろう、己はまだほんのななつだったのだ。お前といくらもかわらずに、大人の機微が分かろうはずもない』
血にまみれた手で山の中を這いずった。気温は低く、多分きっと夜の中、僅かもいかないうちに力尽きて、怨みだけが先奔る。
にくい、ニクイ、憎い憎い憎い憎い憎い。
恨めしい。
どうして。
あんなに大切にたいせつに、慈しんで育ててくれていたのに。
膨れ上がった憎しみをそのままに、刹貴は彼が献上されたバケモノ、山のヌシによって捨てられたときよりもなお醜く、四肢を裂かれて息を喪う。
けれど刹貴は山のヌシの腹には収まりきらず、その貯め込まれた妖力を糧として再びの生を受けた。バケモノの殻を突き破って生まれた。
『あの場所で一度己は死んだ。けれど死に切れはしなかった。深すぎる怨みは己をあやかしとして孵し、己はサトリになった』
サトリ、覚り。人のこころを読むあやかし。
自分を殺したものと同じ、バケモノに成ってしまうほど、その身体を浸した怨嗟の沼は深かったのだ。
だがそれは自身に対する憎しみにも恐怖にもなった。
自分を捨てた人が、喰らった妖モノが、憎い。憎くて、怖かった。だからそれと同じ人であった自身も怖かったし、身を変えた新たな自分も怖かった。
刹貴が人のこころを読むのは、そういった刹貴の感情に由来する。
『己はひとが怖かった。誰かに見せるこころが内に隠しているものと同質でなくてもいいということが途方もなく恐ろしかった。己はひとの心を読み、先回りをして裏切られない自分に安堵した。お前の本心を知っているぞとひけらかし、怯えるさまを見て過去の溜飲を下げていた。
だがな、人間。あるとき立ち寄った村で、己は気づいてしまったのだ』
妖ものとなってしまってから、六十余年が過ぎていた。偶然ふらりと訪れた村、自分を棄てた村。
おさない記憶の淵に沈めた過去は、変わりなく停滞する村に帰ってあっさりと蘇った。
『良い機会だ、己を殺したすべてを、同じようにしても構わぬだろうと己は思った』
元凶を正さねば己はいつまでも報われぬ。
生家はまだ元の場所に存在していた。母はまだ生きていた。屠ってくれようと近づいた、力をつけて成長した刹貴に母はそうだと気づくことはなかった。
悪意を持った手は、そのまま彼女に触れることできなかった。サトリである刹貴にはほんの一瞬の邂逅で、十分すぎるほど彼女の想いを手にすることができてしまったから。
『己はな、人間。本当は怨んでいたわけではなかったのだ。うらんで、怨んで。けれど、なあ人間。怨みきれはしなかったろう』
ためらって、そして、仔どもはうんと、ちいさく頷いた。
嫌いだった、何もかも。父が自分を殺そうとしていることに気づいたときも、母から渡された風鈴が愛されていた証ではないと知ったときも、どうしてと憎んだ。どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのかと。
けれど、それよりもなお。
仔どもは哀しくて仕方がなかったのだ。
あいしていた相手に裏切られることが。
『あの人は己を厭うていたわけではなかった。何も埋まってはいない墓に向かって、毎日花を手向けて手を合わせて。己のために、祈ってくれていた。
永いあいだ』
語る刹貴は穏やかだった。
口調はただ懐かしさだけを含んでいるようで、聞きようによっては刹貴にとってあの痛みは、もうとうに過去へと昇華されているのだと錯覚してもおかしくはない。
「じゃあ、刹貴は、ゆるしたの。もう、いいの」
後悔と、懺悔を聞かされて。
もうよいと、仕方になかったことなのだと、納得してしまえるのか。
だって、死に至るほどの苦しみも痛みも、確かにそこにあったのだ。
刹貴の受けたおぞましい仕打ちは、確かに彼の顔に残ったままで、彼は人としての生を喪ってしまった。
それを正す機会は、もう永遠にやっては来ない。
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