3 / 74
明日なんてのぞまない
腹を裂きてミるまぼろし 参
しおりを挟む着ている物から判断するに、おそらくは男なのだろう。笠を目深に被ったそのひとの手元からは涼しげな音が響いていた。
風鈴。
仔どもはまじまじとそれを見つめ、そして自分の手に視線を落とした。似ているのだな、と自分の風鈴を見つめる。青銅で出来た、風鈴。その表面には細かな文様がびっしりと施されている。
話しかけようか、仔どもは躊躇っていた。言葉を交わす誰かがほしい。止めろという自分に反目してまで、そう確かに望んでいたはずなのに、それが出来る人間が目の前にいるとまったく、どうしていいか分からなくなるのだった。その機会を、今まで与えられたことなどなかったものだから。
どうしようか、どうにも男に近寄りがたく尻込みしている間に、彼は手近にあった提灯に手を伸ばし、器用に風鈴を結わえ付けた。カラン、カらん、物静かに風鈴を鳴らしながら、提灯はまたどこかへ流れていく。それが消えていくのを見届けて、男はそのまま仔どもに気づくことなく歩み去っていった。
「あ、」
反射的に、追いかけた。けれど数歩で怖気づき、足を止める。なんと言えばいいのか、やはりまだ思いつかなかったから。こんにちは、という無難なあいさつさえ仔どもは習っていなかったし、言葉をを交わすことすらもしないほど育ててくれた女とは話をせず、見て習うにはすべてのひとが遠かった。
あるいはそこに立っていたのが男だったせいか。仔どもはその縁者を筆頭に、男という生き物に対してすっかり恐怖を刷り込まれてしまっている。
声を掛けた挙句、返されるのが拳かもしれぬと思えば身も竦む。己に好意が返されるとは、仔どもには想像だにできないのだ。
結局仔どもは風鈴を握りしめ、黙って立っていることしかできない。
そうしているとまた真横から聞きなれた音が華やいだ。
見ると、風鈴を片手にした女がひとり。そわりと首筋を撫でていく怖気に背を震わせながら、それでもひとが近くにいることに仔どもは喜んだ。それに、今度は女だ。
こんなに近くに、でも自分から声をかけるすべをまだ見つけられていなかったから、できるならばこのひとから自分に話しをしてくれやしないかと淡い期待。
それなのに、たった数歩の距離しか離れていないのに、彼女は仔どもには目もくれず、漂う提灯に向かって手を伸ばした。
驚きで、仔どもは目を見開いた。息をすることすら忘れて、袖口から伸びた女の白い手を見つめた。
にゅうとありえないくらいに長い、多分仔どもふたり分ほど繋げたらできるであろう長さの腕を、その女は持っていた。
彼女は提灯を引き寄せ、それと同時に短くなった腕を袖にしまい、提灯に風鈴を結ぶ。何事もなかったように家へと消えていく。
そこではようやく、仔どもはゆるく瞬いた。不意に足から力が抜け、そのままへたり込む。抱いたのは恐怖ではなく、えも知れぬ親近感だった。
なんなのだろう、あのひとは。
普通ではないだろうな、という確信だけはあった。幼かったころのひと時以外、仔どもはあまり多くのひととは係わり合いにならなかったけれど、腕が伸びるなんて特技はだれも持っていなかったはずだから。
その関わった極少数の人間は、仔どものことをバケモノと呼んだ。呼ばれずとも、それ相応の視線なら受けていた。仔どもは実は、あの狭い檻のような部屋に、蔵に閉じ込められていた理由が、ここにあるのではないかと思っている。
仔どもは背で乱れた、長い髪をふるえる指先で手繰った。視界に現れたのはおぞましいまでの白。
産声を上げたときから老いて生まれたこの忌まわしさを、一体どのように受け入れるべきであったのだろう。そのうえ瞳の色すらも、蒼く濁っているとなれば。
これが人であるものか。
だったら、彼女はきっと自分と同じバケモノと言うのだ。普通とは違うものをそう称するなら、彼女だってバケモノだ。
初めて見つけた同胞に、仔どもは昏かった目を輝かせた。
話したいな、話をしたいな。同じバケモノならば、だったら大丈夫なんじゃないか。違うことが気持ち悪いのなら、仔どもを傷つけることなどしようはずもない。
彼女なら裏切らない。
そんな、幻覚めいた思いを抱いてしまった。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる