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閑話
閑話:恋するふたりには決して
しおりを挟むあのときホヅミは決して機嫌がよいわけではなかった。いつもの気まぐれをいかんなく発揮して、その本をクテイに投げ渡したのだと、今ならわかっている。期待する時間はもう、とうに過ぎ去ってしまった。彼は気まぐれだ。不意に自分の飼い犬に優しくしてみたり、痛めつけてみたりところころ態度を変えてクテイの心身を疲労させる。でもだからこそ、男が閃かせた気遣いにどうしようもなく甘えてしまって、いつまでだって覚えているのだ。
彼の中ではきっと何でもない、どうでもいいことの類。そんなことをとっくの昔にクテイはわかっていたし諦めてしまってもいたけれど、うれしい、そう思った気持ちはクテイだけのものだった。
クテイはちゃんと覚えている。
あの人があのとき喋った声のトーン、その温度。
表情や一挙手一投足さえも――――――
たとえホヅミが忘れてしまったとしても、クテイはきっと一生忘れない。
◇◆◇◆◇◆◇
投げ渡されたのは一冊の絵本だった。豪華な装丁のそれを顔面で受け止める前に、クテイは何とか手で押さえる。
クテイは男の意図が掴めずに絵本を持ったまま、荒っぽくソファーに腰掛けるホヅミを伺い見た。
「ぁ、の。これ、は……」
脱いだコートを乱雑にソファーの隅へと押しやった男は、だらしなく大股を開いて背にもたれながら、ちらりと鋭い眼差しを自身の飼い犬へと送る。そうして苛立ちの燻ぶる声で短く言った。
「やる」
「……え?」
クテイは思わず訊き返した。
続けてわたわたと言葉を紡いだ。
「え、や、やるって、言われても、おれ」、
うろたえてぎゅうと腕の中のものを握りしめる。
「こんな、高そうなもの、どうしていいか……」
「なんだ、いらねえのか」
途端に唸るように返され、クテイは竦み上がった。絵本を取られないようにしっかりと抱きしめて、反射的に叫び返す。
「いります!」
おもねる口調にならなかったのが、自分でも不思議だった。思いがけず出してしまった大声は明瞭で、驚く。そこでやっとクテイは自分の本心に気づいた。なんということもない。
(おれは、うれしいんだ)
「ほしい、です。ください」
ホヅミにものを貰ったのはこれが初めてだった。
服も食べものも、果ては名前さえも、突き詰めればすべてホヅミから与えられたものだ。どれも大切なものに違いはないし、名前は至宝であるといってもいい。
けれどそれ以外で――――、とりわけ必要とされないような、娯楽要素の強いものをこの男から与えられるとは思わなかった。
まるで、――――贈りもののように。
「うれしい」
ぽつりと呟くと、ホヅミは顔を顰めた。
「うぬぼれんなよ? てめえのためにわざわざ買ったわけじゃねえからな」
刺々しい態度を隠そうともせずにホヅミは言いやる。
わかっている、とクテイは頷いた。
彼がクテイのために何かをしてくれると思うほど、おめでたい頭はしていない。
「でも、うれしいです」
「ふん、」
顔を背けるホヅミは一見不機嫌そうだが、少しばかり上昇しているのをクテイは悟った。飼い犬が、珍しく素直な様子を見せたからだ。
「見ても、いいですか?」
「好きにしろ」
ホヅミにしては、優しげな言葉が返ってくる。
もちろんその機嫌もすぐに絵本を眺めるクテイを目にし、どうしてその本を仔どもに渡すに至ったのかを思い出して、一気に底辺まで落ち込むのだったが。
そのときクテイはそれには気づかず、木目の床に座り膝の上で絵本を開いていた。
「……あのくそじじい、ンなガキの読みもんをこの俺に渡しやがって……」
眺めながら、苦々しげにホヅミは歯噛みする。神経質な指先が胸元を探り、ポケットから煙草の箱を取り出した。
「情緒や感性だと? ンなもん欠片も商売の役にはたちゃしねェ……」
一本口端に銜え込んだホヅミは、噛み跡がつくほど煙草を噛み締めた。背凭れに肘をついた格好で、長い足を使い、向かいのテーブルを蹴りつける。
がん、と広い室内に響く鈍い音に、クテイはびっくりして顔を上げた。絵本に集中していたせいで、いつもなら敏感なはずのホヅミの感情の変化に気づかなかったのだ。
あまりにしあわせな出来事があったせいで、ホヅミの機嫌は天候よりも急激に変わるということを取りこぼしていたせいも、あるかもしれない。
「クテイ、火ィ」
倦怠感の燻ぶる声で、ホヅミは命じる。
「ッぁ、は、はい」
一拍置いて、クテイは絵本を抱えて立ちあがった。あわてたせいで、自分の尻尾に足を引っ掛けてこけそうになる。
ホヅミは一瞥だにしない。
「ご、ごめんなさい」
クテイはソファーに乗り上げ、丸められたコートを手に取った。
マッチが煙草と一緒になっていなかったのなら、このコートの中に入っているはずだった。それを知らないはずがないホヅミは自分で取らないでいるのは、おそらく今この男に加虐的な意識が働いているせいだ。
取り出したマッチに火を点け、消えないようてのひらで風を避けながらホヅミの口元に掲げる。
「ホヅミさん」
「――ん、」
ようようホヅミは仔犬のほうへと顔を向けた。
ホヅミは伏せ目がちに火を受け取る。煙草の先にあかい炎が灯り、紫煙がゆっくりと立ち上っていった。
押しつけられたマッチの火が消えると、背凭れに乗せていた腕を下ろし、ホヅミはクテイの腰を引き寄せた。
「っわ、わ!」
灰になったマッチ棒をクテイは取り落とす。
クテイはホヅミの片腿の上に座らせられて、逃げ出さないように捕えられている。
「面白いか、ンなもん見て。文字も読めねェくせに」
床に落ちてしまったマッチ棒を気にしながら、クテイは飼い主の肩に細い指を掛けた。
「面白い、です。絵が、きれいで……」
繊細なタッチで描かれた、多分男女の物語。異国の衣装の色彩が、ひらひらと綺麗。なぜだか逼迫するものを感じるほど、真に迫っていて。
文字を知らなくてもよかった。
それでも彼らの世界を感じることはできる。
「ろくな話じゃねェぜ、あれは」
唇を歪めて彼は言う。クテイを斜に見下ろす瞳にいじめる色が乗る。
クテイは肩を縮めて目線を落とした。自分の服の腹部を両手でぎゅうと握る。
「なん、で。そんなこと言うんですか」
「お前さんが泣くのが楽しいから」
あっさりと答え、無理やりホヅミはクテイの顎を持ちあげた。強制的に視線を合わせられ、クテイは目元を歪めた。
「卑屈な目だな」
さもおかしそうにホヅミは嗤う。煙草を指にはさんだまま、両手で顔を固定したまま紫煙を吹きかけられ、クテイは噎せ返った。
涙にうるんだ目で、顔を背けようとしながらそれでもホヅミを睨みつけると、ますます彼は嗤笑を響かせる。
「さいっこうにイイ顔だ」
指先で火を揉み消し、ホヅミは煙草を放り棄てた。
「ホヅミさ……ッ」
何をしているのだ、と咎める暇はなかった。
「腰にクるねえ」
その瞬間クテイの視界は反転して、ソファーに寝転ばされた仔犬の上には大柄な男が圧し掛かってきていた。
乱暴に掴んだクテイの耳にうっそりとホヅミは吹き込む。
「もっと泣かせてやりたくなるなァ……」
ぐっと唾を呑みこみ、クテイは反駁した。
「あくしゅみ、です……!」
「それをお前さんは好きなんだろ? ヘンタイなのは一緒だ」
身をよじるクテイを押さえ込み、細い腰に手を沿わせる。ゆったりとした獣種の仔ども服の下から差し入れられた手が、黒くふっさりとした尻尾の付け根をぎうと握った。
「っぅあ、」
ぐりぐりと刺激に弱いそこをいじられ、クテイは半泣きになりながらいやいやと首を振り、ホヅミを退けようとした。しかしホヅミは動きを止めない。
骨に直接沁み入るような痺れに、仔犬は腰を躍らせた。男は軽く皮膚に爪を立て、付け根から先までじわじわとねぶっていく。
どこからこういうことになったんだろう、とクテイは甘さに震えだす身体を持て余しながら思った。
はふ、と浅い呼吸が洩れていく。
男に向かって、手を伸ばす。
「する、ん、ですか……?」
「してほしいんじゃねえのか」
薄い尻を撫でるホヅミは、片頬を歪めて確信的に声を落とす。
「や、です」
いつものようにクテイは言った。
仔犬の躯はホヅミ以外を知らない。
大洗流に遭うまでは、ホヅミすらも知らなかった。
スラムに住んでいたころでさえ、他のどんなことをしてでも躯だけは誰にも赦さなかった。最後の矜持だと、クテイは思っていた。
結局、それはホヅミによって無理やり奪われたのだったが。
以来、嫌がるクテイを組み伏せて強引に犯すことがホヅミの趣味で、きっと今もそのつもりなのだった。
だんだんと快楽には逆らえないようになってきているクテイが、ホヅミには面白くて仕方がないのだろう。
しかし今回ばかりはその限りではなかった。
「シたくないのか?」
半ば諦めた心境になっているクテイを知ってか知らずか、そんなことを彼は訊いてくる。
シたくない、と反射的にクテイは返した。ホヅミに溺れていくのは、クテイにとってこの上ない恐怖だった。
ホヅミのものである以上、そんな戯れが赦されるなんぞ想像もしなかったが、思いがけず男が寄越したのは軽い頷きだった。
「いいぜ? シないでやってもいい」
彼の上腕に手を掛けたまま、クテイは驚いて目を見張った。
「あの本、あるだろうクテイ」
流れが読めず、クテイはただこくこくと首を振った。
「残らず全部、読めるようになれ。文字を覚えろ。―――――いいな?」
喉に引っ付いてしまったみたいに、言葉がうまく出てこない。
いいな、と再度念を押された。
クテイの飼い主は気の長い方ではない。
なんとかかんとか発声の方法を思い出して、仔犬ははいと返事をした。
「今年――、はもう無理だな。桐月まで少しかねぇ。だったら来年の桐月だ。それまでに俺に聞かせられるくらいまで読めるようになったら、あいつらの代わりに俺がお前さんの願いを叶えてやる。二度と、俺に犯されることのないように――、ってな」
「――……ホヅミ、さん……?」
何を、ホヅミは言っているのだろう。
呆漠とした不安に駈られてクテイは主人を呼ばわった。
あいつらって、誰?
突如として挙げられた三人称もクテイには恐怖だったし、いきなり抱かないと言われることも怖かった。
嫌だ嫌だと言っているくせに、確かにクテイはホヅミから強要される行為について、彼からの関心を測る材料として認めているのだ。
本当は、ホヅミとするのが嫌なわけではないのに。
よかったなぁなんてホヅミが嗤うから、どうしようもなく哀しくて、男はクテイのことを何もわかっていないのだと思い知らされる。
ただの、クテイは性処理道具。少し気に入っているだけの。
気紛れにクテイを喜ばせて、同じくらいの残酷さで失意のなかに放り込む。
顔を逸らしてしまったクテイに何を思ったのか、ホヅミは言葉を重ねた。
「いっぱい勉強して字がわかるようになったら、お前さんみたいなのでも少しは役に立つようになるぜ?」
「――――――ッ、っっ!!!」
大きな目を見開いて、クテイは握ったホヅミの腕に力を込めた。ホヅミはそのせいで不自由な手を使い、飼い犬の前髪をかき混ぜるようにして、頭を撫でてやる。
そんなことを言って、またあなたはおれを縛る。
あなたの発する一言一言に揺さぶられて嬉しくなって、今までの辛いこともどうでもよくなって、それが獣種なのだとわかっていてもつくづく自分は救いようがないとクテイは思った。
こんな風に時折向けられるやさしさを拾い集めて大事に抱え込んで、いつか――あなたの特別になれる日を夢みてる。
ホヅミが去年、言っていた日は今日だっけ、クテイはぼんやり考える。
桐月の七日、クテイに与えられたのは東国に伝わる風習の物語だった。
一年に一度、出逢うことのできる恋人。
大きな大きな河を越えて、広大な隔たりを越えて、たった、一晩だけ。
なんてきれいな物語だろう。
なんて素敵な話だろう。
あんなに離れていてもなお、お互いを大切に想っていられるなんて。
人間の男女の物語らしく、それは恋を主題にしたものだったけれど、わからないなりに胸に迫るものがあった。
この日のために、クテイは必死で勉強した。文字は書けない読めない、ないないづくしのクテイだから、内容を読みはじめられるようになるまでか何ヵ月もかかった。
ホヅミの役にたつための勉強だから、中途半端なことはできない。これだけを読めても意味がない。
易しい文章から、徐々に難易度をあげていった。
後からわかったことなのだが、挿し絵が一ページごとに挟まれているとはいってもこの物語に使われている文法は非常に高度なものだった。
美麗な挿し絵がついたそれはむしろ美術作品としての側面が強かったらしい。文章もまた硬質だった。
それでもクテイは根気強く学習を続けた。ホヅミは最初こそ楽しげににやにやと嗤ってクテイの頑張りを眺めていたが、次第に興味を失ったのか今ではクテイに本を与えたことを覚えているのかすら怪しい有り様である。
そういう男だと知らないではないはずなのに、すでにホヅミのなかではないことになっている事柄に振り回されて、今日のクテイは陰鬱にならずにはいられないのだ。
桐月の七日だ、今日は。
何度となく繰り返した台詞。
羨ましいとクテイはつぶやく。
雨期ではない季節の今夜は晴れて、きっと空の上の彼らは逢えない期間に降り積もった愛を互いに捧げあっているのだろう。
砂漠の国ならば、いつだってこの日に彼らは逢える。
ぼんやりと晴れた星空を見上げる。
それなのに今日のホヅミは外回りに出かけてしまった。行先は経営している娼館だから、どうせそれにかこつけて楽しんでくる腹積もりだろう。まったく、いい身分だ。ホヅミに抱かれるであろう別の獣種の少年か少女のことを思うと、はらわたが捻じれるようなむかつきあった。
先約は自分であったのにとクテイは唇を噛むが、そもそもそんなことを思っていい身分ではない。
ただ長くホヅミの気まぐれが続いているだけで、何の保証もない。
だからこそホヅミが提案した気まぐれの一年後を、宝物のように大切に抱きしめていたのに。
だのに肝心の男は、こんな日に屋敷にいさえもしないのだ。
「戻って、こないよなあ……」
ずる、とクテイは窓の下に座りこんだ。冷たい壁に頬を寄せて、身体を抱える。
「ホヅミさん……」
床に置いた本の表紙に指を滑らせる。
「――なんだ、辛気臭い顔をして」
「っえ!?」
頭上に影が差して、クテイは驚いてその場から飛び退った。
「え? え!?」
「驚くようなことか、クテイ」
男は睥睨し、クテイを見下ろしてくる。
ホヅミ、だ。
おそらく今日は帰ってくるはずのなかった。
「っな、なん……」
「なんで、か? 何で俺が自分の家に帰ってきちゃいけねえんだ」
ホヅミは窓枠を乗り越えて、部屋の中に入ってくる。一階だから、こんなことができる。
「い、いえ……。今日は、帰ってこられないと思ったので、」
「興が乗らなかったんだ。……帰ってきてほしくなかったような口ぶりだな」
「そんなことは……っ」
ホヅミの機嫌を損ねまいと、クテイは必死に口上した。
今はまだ気分よく喋っているが、いつこれが傾くかもわからない。
「お前さん、俺がいないほうが気が休まるだろうしなァ。いちいち顔を伺わなくて済む……。――ん? なんだ?」
窓枠に寄りかかったホヅミはそこでふと視線を足元にやったのか、床に置きっぱなしにしていた本を見つけた。
「あ、それ……!」
思わず、クテイは焦る。
「なんでこんなもんお前持ってんだ?」
サングラスを押し下げながら、ホヅミは本をためす眇めつする。
やっぱり覚えていないのか、落胆するのは間違っているが、仕様のないことだ。
「そ、れは……」
爪先に目線を落とし、クテイは言葉を濁した。ホヅミさんが、という続きは口内にわだかまるばかりで一向に外に出てはいかない。
「ああ、なんだ、これか」
中を開いた男は、そこでようやく納得した声を漏らした。
「今日は七日だったか? お前さんも律義だなあ」
「思い出して、くれたんですか……?」
伺う子どもにおざなりな返事。
「ああ、思い出した、思い出した」
そこでホヅミはパタンと本を閉じ、クテイに押しつけた。そしてクテイに手を伸べる。「お出で」
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すぐさま寝台の上に押し倒され、クテイは本を抱えて丸くなる。
「さあ、一年前の約束を果たそうじゃねェか」
そんなクテイをやすやすとひっくり返し、ホヅミは無理やりうつ伏せにさせた。ズボンを下ろされ、素肌に乾いた掌が這う。
「クテイ、本を開け」
「や、やだ……ッ、ホヅミさ……」
「嫌なら本を開いて、読め。それが約束だったじゃねえか」
「やく、そく……?」
ホヅミは器用にクテイの服を剥いでいきながら、そう、と嗤った。
「言ったろ? 読めるようになりゃお前さんを二度と犯さない――ってな」
ああ、そうだった、あのとき確かそんなことをホヅミは言って、自分はひどく不安になったのだった。
そんなことを求めていたわけではないのに。
「ほら、本を開きな、クテイ。うまくいきゃ、最後のセックスにできるかもしれねえぜ?」
ゆるりと腹部を撫でる手。声は早くしろと脅迫し、クテイはそれに抗い切れずに言う通りにした。
「こんなにぼろぼろになるまで読み込んで、なあ? そんなに気に食わなかったか?」
違う、それは、あなたに読めるようになったことを喜んでもらおうと思って、あなたの役に立てるようになったことを喜んでもらおうと思って。
なのに。
「むかし……、」
物語を紡ぎ出した第一声は、涙に震えた。
つたなく始まるおとぎ話を聞きながら、ホヅミの手は仔どもの躯を弄う。背中から覆いかぶさるようにのしかかり、敏感な胸の果実をこねて熟れさせる。
「ぁう……ぁ……」
「盛るな駄犬。俺が聞きてェのはよがり声じゃねえ」
「ごめ、なさ……、」
そんなことを言われても、ホヅミの手が触れれば躯は反応してしまう。そのように、躾けられた。そうしたのは紛れもないこの男で、今もそうなるようにクテイの躯を虐めている。
「続けろ」
男の命令が直接耳に吹き込まれる。敏感な耳は律義に反応し、神経を伝って腰に甘だるさを送り込んだ。
本を読むために立てていた肘が、もう限界を訴える。肩をすくめて快感に耐えようとした。
「ふ、――ぅ」
「バカ犬、」
耳を噛まれ、声が漏れる。マゾヒストめ、と罵る声すらも快感だ。乳首をきつく引っ張られた痛みも、気持ちよさに変換できてしまう。
「喘いでる暇がありゃ、一行でも、読め」
「はぃ……っ」
クテイは必死で顔を上げ、霞む瞳で文字を追った。何度も読んだ文章だ。うまく見えなくても、台詞は言える。
物語は永遠の恋人が出逢うところ。
切れ切れに読み進めながら、それでも一番に意識が向くのはホヅミの行為だった。
「ぁ、あ、いや、いや……」
巧みな愛撫に、腰が無意識にくねる。仕置きする手は尻を叩くけれど、男のとのセックスは痛みを快楽に変える。
「ちゃんとしろ。そんなこと、どこにも書いてやしねェぞ」
幸せな恋人たちの蜜月を過ぎ、
クテイはシーツに己の性器を擦りつけた。ホヅミはそこへ、一切触れてこなかった。先走りに濡れたそこは直接的な慰めが欲しくて涙を零す。
淫らがましい真似をしていることは頭の片隅でぼんやり気づいていたが、止められない。
「ぁ、ああ……ひぅ、ぁ」
首筋の、皮膚の薄い場所に戒めとしてホヅミが噛み跡を残す。血が滲むほど。待ての出来ない駄犬には当然の処置だ。
そして訪れる、別れのとき。
啼きながら、別の涙を仔どもは落とした。
「『ああ、どうして……、お別れしなければ、ならぬのでしょう……』」
ああ、どうして、……お別れしなければならぬのでしょう。こんなにあなたをお慕いし申し上げているというのに。
織女は問う。愛しい男に向かって。
恋をしたからだ、とクテイは思う。
恋をしたから。
獣種のクテイには永遠にわからないままの、人間だけが持つ特別な感情。けれど似たような感情ならクテイにだって理解できた。
獣種だから、この人の強さに魅かれている。だからこの人の傍にいたい。
強すぎる想いはきっと、身を滅ぼしてしまうのだ。
クテイにとってホヅミは牽牛ではなく、その振りをした天帝だ。
罰を与えられてしまう前に、口をつぐんでおとなしくしておかなければ。そうしないと、いついつまでもホヅミはクテイをどん底に叩きこんでいく。
突っ張っていた肘が崩れて、クテイは顔をシーツに埋めた。
「おら、へばってる場合じゃねえぞ、このまま犯されてェのか?」
内腿に押し当てられるものが何か、見なくてもクテイは想像がついた。
「……これいじょう、読みたく、ない。です……」
肩が震える、声に湿っぽいものが混じる。
「――じゃあ俺に何されても文句は言えねえなァ?」
クテイは顔を隠したまま頷いた。
「おれは、あなたのもの、です。……願いなんて、ない」
「俺に犯されたくないんじゃねえのか?」
「そ、それ、をどうしてあなたが、叶えなくてはならないんですか……? ひ、ひとの想いなんて、まるで無視するのがホヅミさんの癖に」
「……なんだ、よくわかってんじゃねえか」
嘲笑をホヅミは閃かせ、声が纏う残虐な色合いが濃くなった。
「読み終わって期待するお前さんを犯してやるのを楽しみにしてたんだが、お前さんは本当にいつも、予想外な行動を取ってくれるなァ」
くつくつと響く嗤い声。……機嫌が悪い。
「ヤられるのは嫌いなんだろう」
「嫌い、です」
「最後まで読んどきゃもしかしたらとは思わなかったか」
「お、思いません」
嘘だ、思っていた。それが怖かった。性処理道具の役割すら失った自分に、価値などない。だから続きは読みたくなかった。
「諦めがよすぎるかと思いきや、セックスはしたくないとぬかすんだからなあ、お前さんんは。好きな癖に。おもしれえなあ」
「好きなの、と、反応してしまうのは、別、問題です」
「……そんな反抗的なところが、最っ高に俺は気に入ってるぜ?」
そうだろう、ホヅミにはおもねる人しかいない。すぐにホヅミに恋するようになり、その足元に躯を投げだす。どうにでもしてくれと、股を開く。そんな生き物に、ホヅミは関心を持ったりしない。
だからクテイは精一杯反抗するのだ。
この人に溺れてはいけない。溺れれば、棄てられる。
恋はせぬ生き物でも、盲目的な服従ならホヅミはもう充分間に合っているのだ。きっとその瞬間、クテイは有象無象になり果てるだろう。
いくら愚かな獣種でも、ホヅミに近づきすぎたクテイならばわかる。
「……クテイ、最後まで読め、折角だ」
「……は、い」
今度クテイは逆らわず、最後まで読み進めた。
クテイにとっては唯一でも、ホヅミにとってはそうではない。牽牛にはなってくれない。
それを知り尽くしてしまっているから、おれはいつだってあなたを拒む。
天帝の傍までを、手放したくはないから。
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それから四年。スイは遠く離れた町で結界をはる仕事をして生計を立てていたが、どうやらエリトはまだ自分を探しているらしい。なのに仕事の都合で騎士団のいる王都に異動になってしまった!見つかったら今度こそ逃げられない。全力で逃げなくては。
捕まえたい執着美形攻めと、逃げたい訳ありきれいめ受けの攻防戦。
※流血表現あり。エリトは鬼族(吸血鬼)なので主人公の血を好みます。
※予告なく性描写が入ります。
※一部メイン攻め以外との性描写あり。総受け気味。
※シリアスもありますが基本的に明るめのお話です。
※ムーンライトノベルスにも掲載しています。
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