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It's a new world I start, but I don't need you anymore.
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しおりを挟む口を開いたのは髪を括っている方の少年だった。金属の飾りによって、髪は胸元に流されている。クーフィーヤを熱砂の風にはためかせ、堂々とした立ち姿には瑞々しい傲慢さが滲んでいる。
「ヒタキじゃないか、こんなとこで何してんだ」
言葉の隅々にまで悪意を塗り込んだような、声だ。その効果を知っていて、あえてそのような高圧的な口調を選んでいる。モモセは肩を強張らせた。ヒタキは頬を歪めるとモモセをかばうように一歩前へ出、彼とは対照的な感情の読めない声を発する。
「それはこちらのセリフです。士官の学生が、どうしてこちらに?」
「質問を質問で返すなよ。俺がどこにいようが行こうが俺の自由だ」
「それはオレだってそうですけど?」
「授業はどうした?」
「さぼりを疑ってるなら、違いますからね。この時間はもともと授業を入れてないんです」
「で? 俺の質問に答える気はあるのか? こいつは誰だ? 見ない顔だな」
矛先はモモセに向き、不躾に注がれる視線にモモセはそれを避けてサンダルの爪先に目を落とす。ヒタキはちらりとモモセを見やって、挑戦的に目の前の上級生を見上げた。
「新入生ですよ。オレは頼まれて、この仔に学校の案内をしているだけですが」
「誰に」
「ウルド、に。この仔はウルドの補佐に推されてるんですよ」
ふっと、ヒタキの頬に嫌悪以外のものが乗る。ウルドという名を、補佐という単語を、殊更明瞭にヒタキは発音していた。閃かせたのは嘲笑だった。純朴な表情ばかり見せられてきていたモモセは、そこに少なからず驚きを覚える。
目的語をわざと外した答えは、あえてそれをまた問わせるためのものだ。その名が一体どれだけの効力を持っているのか、彼の怒りの刷かれた頬を見れば自ずと知れる気がした。そしてウルドの補佐という地位を、彼が少なからず欲しているということも。
「気に入られてるからって、調子に乗るなよ」
「さあ、何のことか分かりません、カルシスさん」
しれりとヒタキは返した。慇懃な口調だ。ともすれば、そこに無礼がついたほうが正しいのではないかと思えるほどの。長髪の上級生――、カルシスはそれに目元を引き攣らせた。
「スラム出のくせに、よく貴族に噛みつくよなあ」
「この学校では、貴族も何もなかったはずですが」
「身分差は存在する」
「けれど、それは持ちこまない約束だ。そのために生活の優遇ならなされている」
素早く言い返したヒタキは、それでも口調はそっけなく、抑揚がない。カルシスはヒタキの言葉に被せるように続けた。
「ベゼルも制御できずに獣のままじゃねえか」「面倒だからこのままにしているだけです。しまおうと思えばしまえます」「じゃあしまえ、ここにいるんなら見た目くらい人間らしくしろ!」
「――っ分かりましたよ!」
勢いよくヒタキが啖呵を切った途端、淡い色が弾けた。金。モモセは腕で目元を覆った。光が直接目に飛び込んで、鋭く痛む。
「――これでいいでしょ」
そのヒタキの憮然とした声にもういいのだろうかとモモセは予想をつけて、目を擦りながらゆっくりと開いた。最初にモモセはヒタキの頭を見、そこから視線を落として制服の裾を確認した。はちりと瞬く。獣の証はそこにはなかった。人間と変わらぬ少年が、そこには立っていた。
ぶるりと軽くなった頭を振り、ヒタキはカルシスを睨みつける。
「だからあんたには遭いたくないんだ。ことあるごとに突っかかってきて。お供がいないとそれも出来ないくせに!」
その瞬間、カルシスの怒気が膨れ、溢れたベゼルがクーフィーヤの裾を靡かせた。
「ッもう一回言ってみろヒタキ!」
「いいですよ! いくらでも言ってやる!」
声を張り上げたヒタキが一歩踏み出す。同じように詰め寄ろうとしたカルシスとの間に、ひとつの影が割り込んだ。
「そこまでで、」
それまで一言も発さずに、大人しく控えていたカルシスの連れだった。
「ヒタキ、貴い人たちが下僕を連れているのは当たり前のことでしょう。そういう言い方で主人を侮辱されるのはぼくとしても気分がよくないな」
「――あっ、えっと……。……ごめんなさい、シェスタさん」
静かに諭されると、次第にしおれたヒタキはまるきり人間なのにうなだれた黒い尻尾の幻が地面に擦れているようだ。
「うん、分かってくれてありがとう。――カルシス様も、下級生に大人げない短気はやめてくださいね」
己の従僕に窘められ、カルシスもやや気まずげに喉奥で「ああ」と発音する。
「じゃあ、もう行きます。ごめんなさい、失礼します」
ちらりとヒタキはカルシスを見、モモセの袖を引く。「行こう。次は芸術棟に案内するよ」
モモセは頷き、カルシスとシェスタに一礼した。しかしヒタキを追おうとしたモモセの手を、すれ違いざまにカルシスに掴まれる。
「――っやだ!」
恐怖が一気に振りきれる。モモセは乱暴に手を払うと一気にその場から距離をとった。カルシスは顔に不快をよぎらせたが、そのことについては言及しなかった。
「お前、補佐って本当なのか?」
モモセは激しく弾む心臓に呼吸を阻害されながら、辛うじて首を横に振った。
「あの方はたわむれで言っているだけです。俺は、そんな……大それたこと」
口ごもりながらモモセは忙しなく指を組み替える。目が泳ぐ、尻尾もふらふらとふらふらと彷徨う。カルシスはそれに目を眇めた。
「……冗談だろうと何だろうと、言ったんだな? 実際に?」
「ウルドは冗談でそんなこと言う人じゃないよ、モモセ。口に出したなら本気だよ」「――お前は黙っていろ、ヒタキ」
鋭く命ぜられ、瞬時に反抗的な表情を覗かせたが、ヒタキはそのまま黙ることを選択したようだった。不満げに口を尖らせ、そっぽを向く。
「あのさ、お前、今日が初日って言ったよな」
「……はい、そうです」
「今までどこの学校に行っていた? 家庭教師なんかがついてたのか?」
「いえ……あの、最近までスラムにいたので、勉強は、一度も……」
「……読み書きくらい、できるよな……?」
カルシスの声に不安が滲む。
「あの、すみません……」
それは間接的な肯定である。沈黙が落ちる。ヒタキがもはや命令を破棄していいと判断したのか、場違いにも明るく割り込んでくる。
「大丈夫、スラム出が読み書きできないのなんて当然だって」
カルシスはそれを無視した。声を振り絞り、訊いてくる。
「…………あのさ、お前、……まさか転化できないとかないよな……?」
「その話題、蒸し返すんですか? これから入学なんですから制御できなくてもいいはずでしょ」
「……ごめんなさい……」
カルシスがあまりに悲壮な様子なので、モモセは項垂れて謝るしかない。
「あのなあ、それは普通だったらだろう、ヒタキ。みな殿下の補佐を狙っているのに、成績も何もない状態から補佐だ何だ言えるってことは、それなりの下地があるって判断されてもおかしくないだろうが」
それを、何もないスラムのガキを……。
溜息を吐くカルシスをモモセは凝視する。
いま、とんでもない言葉が聞こえなかったか。
「嫉妬の嵐だぞ、これ、お前だけが知ってるのか?」
「いいえ、庭園でちびたちにも話したし、憚ってたわけじゃないから、近くにいた人なら聞こえてたかも」
「ああもうとんでもないな、俺だって認めたくない。俺の方が使えるぞ」「それは、今はね」
「本当に口が減らないな? 無礼打ちにしてやる」「望むところです」
疲れたようにカルシスは前髪を掻き混ぜた。
「準備期間も与えないままここに放り込むなんて、殿下は何をお考えなんだが……」
……言った、確かに。今度こそ、聞き間違いではない。「モモセ?」
モモセの異変に気付いたシェスタが、案じるような声を出す。
それに、揃って言い合っていたカルシスとヒタキがモモセを見た。
殿下、その言葉の重さに、モモセは呼吸をするのを忘れた。一拍置いて、躯が震えだすのを感じる。
殿下、――――殿下
それ、は、
脳内でその言葉だけが何度も乱反射する。意味を知らないほど、馬鹿なモモセではない。
モモセは力を籠らない指先で自身を抱きしめた。
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