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It's a new world I start, but I don't need you anymore.
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しおりを挟む馬車は重厚な高い門の前で止まった。衛兵が二人控えており、それだけで場違いな場所に来ていることがよくわかる。
御者の男が扉を開ける。途端にキャビンのなかを満たした沖天の陽光がモモセの目を刺し、目を細める。御者はモモセに目くばせをし、降りるように促した。モモセはそれに従って腰を浮かしかけたが、正面に座りなおしていたウルドに制され、怪訝な顔で首を傾げる。
「これを」
ウルドが取り出したのは、彼がつけているものと同じ、黒の手袋だった。
「俺は気にしないが、お前は気にするだろう? ここには大勢の人間がいるからな」
「あ、ありがとうございます……」
上向けた手のひらに手袋を落とされ、モモセはそれを座席に座ったまま嵌める。ウルドのものよりもいくらかも小さいのか、それはモモセの手にぴったりだった。
その間にウルドは腰を上げて、馬車から降りてしまった。「あっ、あの、」
モモセが止めるも、もう遅い。男はモモセをいい笑顔で振り返り、当たり前といった体で手を差し出してきた。
「え、」
「気にするな、こういうものだ」
モモセは出口の前に立ち、扉を開けた格好で正面を向く御者と、衛兵たちをそれぞれ伺った。御者は苦い顔、案の定、一瞬だけだが衛兵らは驚いた顔をしたのをモモセは確認した。すぐにそれは職務用の真顔に取り繕われたが、そのような表情は一瞬だけで十分だ。
それがどんな内容の驚きなのかはモモセの予想の範疇外だったものの、おかしいことだというのは彼らとの共通意識だと確信したモモセはウルドの好意を無視するに相成った。
「へ、平気です」
つっけんどんな言い口で、モモセはタラップを降りる。ちくりと罪悪感が胸を刺したが、しようがない。直接接触ではないが、そんなもの、ただの気休めだ。
衛兵たちはウルドのベゼルに覆われているモモセの身分を察することはできなかったし、それだけ寵愛を受け、貴族を邪険するようなしぐさをしてなお恭しく接せられている少年というものに驚いているのだったが、それをモモセが知ることはない。
ウルドは肩を竦め、けれどまたしても強引に手は繋がれてしまった。指を組んでぎっちりと握りこまれてしまえば、華奢なモモセがいくら抵抗しても無駄だ。
トンネルにも似た分厚い門を抜けると、そこには見事な庭園が広がっていた。正面には水路が設けられ、その両脇には整えられた背の低い樹木、またその左右には馬車一台ほどが通れる煉瓦敷きの通路、広大な芝が敷かれている。芝の上には木陰を作るためにか木々が点在しており、しかしそれを含めて、この庭園はすべて美しい左右対称なのだった。正面にそびえる真白の建物を含めて。
ウルドの屋敷もまるで夢のような場所だったが、こちらはこちらで現実離れしている。モモセは住んでいた西スラムからここは随分と遠くて、近くにはこんな大きな建物など立っていなかった。そもそも、モモセはその性質上スラムからめったと出なかったし、出たとしてもその先の食品市がせいぜいだったのだ。
庭園にはちらほらとモモセと同じような格好の子どもたちが見受けられ、どうやらこの衣服は制服のようなものであるらしかった。
彼らは歩いているこちらに気づくと表情を更に明るくさせ、駆け寄ってきた。
庭園には他にもウルドの着ている軍服めいたものを纏っている年長者と思しきものたちもいたが、彼らは傍には寄ってくることなく、右手を水平に胸元に当てた忠誠の格好のまま、微動だにしない。ウルドが空いている手を軽く振ると、彼らは素早く直立するや、もともとの活動に戻ってしまった。
ウルドの地位を客観的に見せつけられたようで、はっきり言って、怖い。
なんだあれ、と思っていると、いつの間にか周りにはすっかり人垣ができている。
「ウルド!」
口々に呼んでは集まってくるのは、まだ幼少とおぼしき仔どもからモモセと同年代ほどまで様々だった。まだ獣の名残を残したものもいれば人間の形態もいる。
そちらはもちろん本当に人間である可能性もあるのだったが。
久しぶり、元気だった、と口々に話しかけてくる仔どもたちにウルドは律儀に応対している。モモセはその底抜けな明るさに萎縮してしまい、思わず握られた手に力を入れていた。
ウルドは話しながらも宥めるように手を振ってきて、そこでやっとモモセは自分のしたことに気づく。
スラムではあまり目立たないよう生活していた。
あの奔放さに驚いただけだ、とモモセは言い訳じみた調子でもって胸中で呟いた。
あいさつが一段落つくと、その中のひとりが早速といった様子で訊ねていた。肩に掛からない程度の黒い短髪のなかに、性格を表すような耳がぴんと立っている。モスグリーンの瞳は好奇心で輝いており、太い尻尾がぱたばた揺れていた。
「ウルド、ウルド! この仔新入り!?」
訊きたくて堪らなかったのか、随分と跳ねた口振りだ。
自分に話が及んだことで、モモセは警戒に尻尾の毛を膨らませてウルドの背に回り込んだ。手はほどかれていないため、ウルドは後ろに腕を回さなければならなかった。苦笑しつつ、男は目の前の少年に答える。
「そう、俺の補佐にしたいと思ってる。仲良くしてやって」
まさか、他人にまでそんな馬鹿げた計画を伝えるなんて!
息を呑むモモセとは違い、少年はにこにこと屈託なく頷いた。
「いいよ! あ、なあ名前は?」
後半はモモセに対して問われたものだ。隠れながらも、反射的に応答する。
「モモセ、」
「よろしくモモセ。オレ、ヒタキ。ウルド、こいつ連れてっていいの?」
「俺は理事に話があるからな。暇だろうからそうしてやってくれるとありがたいが」
話というのはおそらくモモセのことだろうに、本人がいなくていいものか。
それに澄んだヒタキの瞳には悪意は見当たらないものの、警戒心はそう簡単に薄れない。
躊躇うモモセにしかしウルドはこともなげに言って、モモセの背を押した。
「行ってこい。終わったら迎えにいくから」
不思議そうにヒタキが小首をかしげる。たたらを踏み、モモセは振りかえる。
斜め上にあるウルドの顔を見上げるのは理不尽な身長差のせいで随分首が痛い。
なぜ今さらそんなことを思ったのかモモセは不思議に感じた。今までだって、彼を見上げることは幾度となくあったのに。しかし袖を引かれたせいですぐにその考えは霧散した。
「んー、じゃあ、行こう、モモセ」
均衡を崩しつつ、モモセはヒタキを追いかける。
ほらお前らも行け、ウルドに言われた仔どもたちも、走りよってきた。わらわらと塊になり、はしゃぎながら歩く。
男は連れ立っていく仔どもたちを見おくり、緩慢な動きで歩み始めた。
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