指先はこいねがう 〜禁忌のケモノ少年は軍人皇子に執愛(とら)われる〜

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The adult is sly, and pretends to be gentle

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 初手の食い違いほど重要で後々に響くものはないと言えるが、モモセとウルドにおいては冷害なのか、はたまた問題が先送りにされているだけか、彼らはは大きな摩擦もなく、静かな共同生活を送っていた。

 もちろん、それは要するに下位のものが目上のものに対して遠慮しただけだともいえる。

 第五の月マユの十日のことだった。モモセがはっきりとそう覚えているのは、毎朝男が暦を伝えてきていたからだ。スラムに住む生き物に、はっきりとした暦の概念はない。それはそのようなことを考えているような暇がないということと、仮に知っていたとしても使う機会がないため、意味がないということに起因していた。必要であれば都度神殿から触れが出るのだ、知らずともよい。

 彼らは学もなく文字も知らず、ただ日々は今日を生きるためだけに費やされている。

 何の意図があるのかは知らないが、つまりはそう言った理由で、言われるまでもなくモモセは第五の月マユの十日を記憶していた。高貴な男の目的なんて、矮小なモモセが判るはずもない。もしかしたら、できる限りモモセにまともな生き方を教えようと、そういう男の判断なのかもしれない。その日はモモセがウルドに買われてから五日目だった。

 ウルドはモモセが寝ている間に、必ず寝所に入ってきた。寝所、とは言っても初日に一緒に寝てしまったウルドの部屋ではない。隣の小さな小部屋だったのだが、モモセはそこに新しい寝台を運んでもらうでもなく、ただ掛布や敷布、クッションを与えられるだけもらい受けるとそれらをひとかたまりにまとめ、まるで巣の中のようにしてそこで眠った。本当は何もなくても眠れたのだ。隙間風が入る込むこともない空間は、それだけでも十分に快適で、恐ろしく気温が下がる夜のあいだも冷えることはない。でも好意は嬉しかった。スラムにいたころの寝床はまさにそのようなもので、安心感がけた違いだ。ウルドはその粗末さにあきれていたようだったが、モモセはふくふくとその頬を緩ませずにはいられなかった。



 その部屋の存在を知ったのはウルドの屋敷に連れて来られて二日目のことだ。押し切られるまま屋敷の中を案内してもらっていたときに、その小部屋のことも教えてもらったのだ。

 そこは取り分けて特別な部屋ではなかった。探索を終え、ウルドの私室に戻っていたときのことだった。特に言及もされずに通り過ぎようとしていたウルドとは違い、不思議と気になってモモセは立ち止まっていた。そして、その予感は正しいものだった。

 その部屋はウルドの寝室の隣にあり、珍しくも鍵が取り付けられてあった。もともとは何らかの貴重品を収める予定になっていたのかもしれないが、中は生憎と言うか幸いと言うか、空だった。

「見ても大して面白くないぞ」と男が言う通り、確かに部屋自体に面白みはない。しかしその部屋は大いに魅力的にモモセには映った。

 そのときのモモセは、ひどく気疲れし、消耗していた。屋敷のなかは予想にたがわず広大で中庭まである始末だったし、その屋敷を維持するための使用人もまた多くいた。彼らは正直気後れするほどモモセに好意的で、屋敷の主人が手ずから屋敷を案内する様をにこにこと見守っていた。

 一体彼らはどこまで自分のことを知っているのだろう、とモモセは疑問に思った。幾人かには紹介されたが、ウルドがモモセの出自について触れることはなかったし、彼らにモモセが引き渡されることもなかった。使用人たちの住まう大部屋も軽く説明があるだけで、無言で訴えるモモセに対して男ははっきりと、「ここにお前の寝床はない」と言ったのだ。まあ、不可触であるモモセが他の階級と同じ者たちと一緒の部屋に入れるわけがないので、そこはそれとして納得をしたのだったが。そのまま男の部屋に戻されるとなれば、黙ってもいられなかったのだった。

 何もない部屋の中央で、モモセは扉の建枠に凭れるウルドを振り返っていた。

「この部屋、おれに貸していただけますか」

 疲れから単純になった思考でも、その言葉を言うには一等の勇気がいった。小心を振り絞ったモモセに、ウルドは面白そうに片眉を持ちあげた。

「なぜ?」

「寝る場所が、必要だからです。どこだって寝れるけど、あなたのお部屋に二晩もお世話になるわけにはいきませんから」

「俺は構わんが」「おれが、構います」

 自身の一人称を強調して、モモセは震える喉を宥めて主張した。幼い子がするように、二尾の先をきつく握りしめる。

 ああ、やはりウルドはそのつもりだったのである。おこがましいことであったが、先に進言して正解だったのだ。眩暈と頭痛がひどい。

「あなたはご自分がどれだけの存在か、無自覚なんだ。あなたのベゼルは、おれには強すぎます。あなたみたいな貴い人がずっと一緒だったら、気が狂って死んでしまう……!」

「はは、死なれるのは困るな」

 ウルドは簡単に笑って済ませたが、冗談ではないのだ。モモセがあんまり哀れだったのか、ウルドはそのまま部屋の使用を許可した。 

 モモセにとって重要だったのは、その小部屋に鍵がかかること、それだけだった。それがどれだけ贅沢なことか、仔どもは十分に理解している。それでもウルドに精いっぱいの懇願をした。鍵がかけられば、主人をそこから締め出すことが可能なのである。機嫌を損ねられても不思議ではない。それだけの覚悟を持って対峙した、と言えば聞こえはいいが、要はモモセはまだ男に『飼われる』ことがどういったことなのか、わかっていなかったのだ。
 ただその一点がモモセにとってどれだけ大切だったかくらいは理解していただけようものだが、しかし生憎ながら一等一に分かって欲しかったウルドには伝わっていなかったらしい。

 間違いなく内鍵を閉めて寝たはずだったのに、翌朝になればがっちりと己を抱えているウルドを認識したとき、モモセは叫び声を上げないではいられなかった。ついでに、クッションを叩きつけないでも。

 当然だ、ここはウルドの屋敷なのだから。相鍵くらい持っているだろう。そのことに思い至ったとき、モモセはひどく自分を呪い、失望したものだ。逃げられない。ウルドは元からそのつもりで、モモセの申し出を怒りもせずに快諾したのだ。

 最もモモセは許可を与えられない限り出ていけるような、太い生き物ではなかったが。

 小部屋といえども物置と形容したほうが的確な狭さである。モモセは狭ければ狭いほど安心する性質なのだが、まさかウルドはそうではないだろう。あの広い寝台を見れば分かる。スラムにあるバラック一軒よりも、余裕があるくらいなのだから。

 何を好き好んでこんなところにいるのだというのがモモセの言い分で、それに対するウルドの返答は、お前がいるから、という至極明瞭なものだった。モモセは自分の何が、ここまで男に執着されるものであったのかまだ理解ができない。隙あらばウルドは、モモセと一緒にいようとするのだ。

「大丈夫か? 怪我は」

 叩いてしまったというのに男の瞳に不機嫌の色はなく、むしろ彼はモモセの手が無事かどうかを心配した。それきり二重の意味で絶句している間に、隣のウルドの部屋に連れていかれるというのがここ五日で形成された日常になってきている。

 本当に、この男は、理解しがたい。


 
 そしてその五日目というと、モモセはいつものようにウルドを叩き起こすことができなかった。寝起きは悪い方ではなく、むしろ小さな物音ひとつで飛び起きられるほどだったはずだというのに、ここにきてからのモモセはいやに睡眠に対して貧欲になっている。大抵ウルドが先に目覚め、少しモモセが覚醒しだしたころに見計らったように告げられる「おはよう」が起爆剤になってクッションを叩きつけるのだったが、五日目に限ってそれがなかったのだ。

 挨拶の前に、実は毎日深いキスを施されていることをモモセは知らない。まだ意識のはっきりしていない仔どもを、好きなように男は貪った。この時間帯の仔どもはとても素直だ。体温が欲しいと思えばすり寄ってくるし、気持ちいいと思えばもっと、とねだる。慣れないものに戸惑うように触れる細い指先、初心な反応に、男は気を良くし、行為には熱が入る。

 ちいさな舌を引き出させ、絡める。咥内への丁寧な愛撫に、仔どもは躯を震わせる。

「ぁう、……っん」

 あえかなあえぎ声。閉じられたままの瞳。男は名前を呼ばずにはいられない。モモセ、と囁くと、そこで甘い時間は終わりだ。うっすらと開かれる目を見て、男は朝を告げる。しかし今回は欲が先走ったこともしかり、もしかしたらという予感があって、何もウルドは言わないでおく。

 ぽやぽやといた地に足がついていない状態のまま、そっとモモセは隣室に連れていかれた。

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