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井ノ上

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不沈艦は紫煙に祝う

各務瀬隆子 6

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ドリンクコーナーに案内された。
ストライカーがカウンター越しにバーテンダーに指を二本立てると、グラスが二つ出された。
酒かと思ったが、ただのトニックウォーターだった。瑞希はオレンジジュースを受け取っている。
「傭兵、辞めてたんだな」
徹平は改めてストライカーのボーイ姿を見て言った。
「ああ。別にお前に敗けたからってわけじゃないぜ。もともとの性分でな、長くひとつの場所に身を置いてると、気が塞いじまうんだ。イヌイットだった爺さんの血かもな」
「関係あるか?」
「さあな。それより、クレア嬢から聞いてるぜ。団長を探してるんだって?」
ストライカーは腕時計を確認し、右耳にしていたインカムを外した。バックルームから出て挨拶に来た別のボーイに、そのインカムを手渡す。丁度、シフトの交代の時間だったらしい。
「辞めたとはいえ、しばらく世話になった職場のボスだしなぁ」
「不義理はできねえのはわかるよ。でも別に、喧嘩するつもりはねえ」
「いまは、だろ?」
ルーレットの台で歓声が上がった。誰かがいい出目を引いたのか。沸き立つ観衆の中に、忌々しげに剥き出しのドル札を握り締めている輩もいる。
「ま、どのみち団長の居所は知らんがね。いまの俺はカジノに雇われた一介の用心棒だ」
「ちっ、へんに気もたせるなよな」
焦らして面白がるストライカーの脛を蹴ってやろうとしたが、するりと躱された。
「無駄足を踏んだぜ。瑞希、出ようぜ」
「せっかちなやつだな。俺は知らないが、知ってるやつはいる」
「ほんとうだろうな」
ストライカーはスツールのつつましやかな背凭れに手を置いたまま、視線を店の右手奥に向ける。
十四、五人の客が囲んでいる半円状の台があった。椅子は八つあり、その右端に腰かけた男が、徹平の目にとまった。
背中まで伸びた癖毛を黄色いシュシュで束ね、艶やかな女物のストールを首に巻いていた。はだけたシャツの合間から、豊かに蓄えられた胸毛がちらついている。四十後半といったところか。上背はありそうだった。
「あの妙に色気のあるおっさんか?」
「ああ。竜驤傭兵団の指揮官で、序列でいえば団長の一つ下。つまり、No.2だよ」
「そんなやつが、どうしてここに?」
「夏季休暇中なんだとよ。ギャンブル好きでな、ここに寄ったのは偶然だと言っていたが、どうだかな」
色男は、ディーラーに賭けたチップを没収されていた。
隣に立っていた初老の白人が、男の肩をどついて英語でなにか言う。男は締まりのない表情で頭を掻いて、席を譲った。
「傭兵団で二番手を張っているふうには見えねえな」
だが、侮る気持ちにはなれなかった。
銭豆川の河川敷で珠木に敗けたときも、同じような侮りがあった。強さは隠せる。あの敗けで、徹平はそのことを学んだ。
「瑞希はここで待ってろ」
色男はハイレッグカットの衣装に黒いタイツを合わせたフロアガールを呼び寄せ、冗談を言って笑わせている。
「ちょっといいかい」
英語で、話しかけた。
色男の垂れ目がちな双眸が、こちらを向く。
「中国人かい?」
「日本人だよ」
「僕になにか用かな?」
色男は酒をちびりと舐める。グラスを持つのとは逆の手を、フロアガールの腰に回している。フロアガールは嫌そうではなかった。
徹平は頭の中で言葉を探した。
「あんたのボス、訊きたいこと、ある」
文法はあまり考えず、思いついた言葉を並べた。男には通じた。
「萬丈のことかい?」
頷く徹平の肩に、手が置かれた。
ストライカーが間に入り話しはじめる。一人で待つのは心細かったのか、瑞希もついて来た。
萬丈と闘った夜から消息を絶っている、各務瀬隆子を探している。隆子は、この男の育ての親なのだ。
その辺の事情を、ストライカーが説明してくれた。
色男は少し思案してから、ストライカーを通して徹平にゲームの提案をしてきた。
「ゲームだと?」
「ここはカジノだからね。君が勝ったら、萬丈の居場所を教えよう」
色男が後ろのテーブルを指さした。初老の白人が、手持ちのチップを溶かしたのか、席を離れるところだった。
「この『Rat or Bull』で、十ゲーム終わって手持ちのチップが多い方が勝ち、というルールでどうかな」
面白そうだ、と徹平は思った。
「いいぜ、やろうか」
日本を発つ前に両替してきた米ドル紙幣は、輪ゴムでひとまとめにしてポケットに突っ込んである。
徹平は色男の後に続き、Rat or Bullなるギャンブルのテーブルに着く。席は二つ、ちょうど並んで空いていた。
ディーラーが交代のタイミングで、テーブルを包んでいた客の熱気は冷めている。
「そういや、あんたが、勝ったら?」
色男は答え、瑞希に甘い笑みを投げかける。
瑞樹を一晩借りる、と言ったのか。聞き取りに自信が持てず、横を見ると、ストライカーが困った顔をしていた。
瑞希が身体は男であるとストライカーが言っても、色男は条件を変えなかった。
徹平は席を立とうとした。それを、瑞希が止めた。
「勝てばいいのよ」
「そうは言ってもよ、お前」
「私なら平気よ」
瑞希は引き下がるつもりはないらしい。負けん気が強いのもあるが、根は仲間思いなのだ。普段のつんけんした態度は、素直ではないだけだ。
「わかった。だが、このおっさんにお前とデートなんてさせねぇぜ。やるからには、勝つからな」
「当然よ」
毅然と言う瑞希に親指を立てて見せ、徹平は勝負のテーブルに着いた。
「このゲームの経験は?」
「ない」
「じゃあ最初の数ゲームは普通に遊ぼう。ルールがわかったら、勝負をはじめよう」
「ああ」
博打自体はじめてだった。まず、このゲームを理解する必要がある。
新しくやってきた若い女のディーラーが、正面の銀杯の内から、三つのサイコロを取り上げる。
客が生唾を飲む。徹平も、ディーラーの手元に注目した。
「Rat or Bull」
ディーラーのコールで、一斉に客のベッドがはじまる。チップの上に、麻雀の点棒のような棒を添えている。
どうやら灰色の棒はRatに、赤の棒はBullに、賭けているという意思表示になっているようだ。
それらとは別に白の棒もあるが、それを出す客はほとんどいない。
三つのサイコロがどうなるとRatで、Bullなのかは、見ていればわかるだろう。
徹平は隣の色男と同じRatに、最少額のチップを置いた。
椅子からあぶれた参加者からブーイングが飛ぶが、無視した。
ディーラーがチップをベッドした客に心の準備を問うような視線を巡らせ、サイコロを振った。
三つのダイスが、底の浅い銀杯の中で小気味よい音をたてて転がった。
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