jumbl 'ズ

井ノ上

文字の大きさ
上 下
82 / 118
老天狗は忘却に奏す

畿一 3

しおりを挟む
闇に目が慣れるのを待ち、立坑の横穴に入った。
無数の円柱に支えられた、荘厳な空間が広がっていた。
「酒呑童子、なにしに来た」
天邪鬼が珠木の来訪に顔を顰めた。
天邪鬼の醜悪な面を、青白い大炎が照らしていた。
「あの炎は?」
「天逆毎様だ。ついに、封印が解けたのだ」
高揚した声で天邪鬼が言う。
一軒家ぐらいの大きさがある炎が、輪郭を持ち、裸の女の姿が闇の中に浮かび上がる。
「ふうん、これが天逆毎。一人だと骨が折れそうだにゃ~」
一人で闘うはずではなかった。
天逆毎が封印された異界に潜入し、内側から依頼主を手引きする手筈だった。
数日前から、依頼主と連絡が取れなくなっている。なぜなのか、こちらから探る術はなかった。
当初の段取りとは違くとも、引き返せない状況である。神代の大妖、天逆毎はすでに目の前で復活を遂げた。
珠木は抑えていた妖力を解放した。その妖気に圧され、天邪鬼がたじろいだ。
「貴様なんのつもりだ」
「お仕事よん。天逆毎はここで討たせてもらうね」
「貴様、裏切る気か」
「二重スパイってやつ、映画で観て、憧れてたんだよね~」
Vサインをする。天邪鬼は怒りに肩を震わせる。
「誰の差し金だ」
「各務瀬隆子。言ったってわからないでしょ。くすんだブロンドヘアと淡い色のサングラスがよく似合うヒトさ」
「ちっ」
天邪鬼は珠木に背を向け逃げ出した。水飛沫を上げながら、珠木が入ってきた立抗の方へ走っていく。
「やれやれ、白ける背中だね」
自身の右膝に掌底を打った。衝撃は、脚から水へ伝わり、天邪鬼に達する。妖力を込めた遠当てだ。天邪鬼は雷に撃たれたように痙攣し、水に斃れ消滅した。
顕現した天逆毎は、虚ろな目を宙に向けていた。まだ夢をみているかのようだ。
珠木は悠々と歩み寄る。
相手は天災のごとき妖だ。間合いだなんだと考えても仕方ない。
天逆毎のうなじのほつれ毛が見える距離にまで近づいた。両者の間で、水が持ち上がる。
水の玉に覆われた護摩の木札が、ふよふよと浮かぶ。畿一のオーラが宿っていて、なんらかの術が発動している。
「邪魔よん」
深く考えず、行く手を塞いだ水玉を中指で弾いた。木札ごと割れ、木片から畿一のオーラが霧散する。
同時に、微睡んでいた天逆毎の意識が覚醒した。光の届かない、深い幽谷のような瞳が、珠木を見下ろしてくる。
目が合った。
跳躍した。天逆毎の顎を蹴り抜こうとした脚が空振る。天逆毎の巨躯が、右に移動していた。柱を足場にして追撃する。水平跳びから、手刀を首に叩き込む。また、消えた。二つ奥の円柱の横に、天逆毎は移っている。
「迅いとか、そういう次元じゃないね」
空間を捻じ曲げ、点から点へ移動している。線の動きではない。
「瞬間移動かにゃ」
青白く光る臍で、視界が塞がれた。瞬きはしていなかったが、二柱先にいた天逆毎に詰め寄られていた。距離という概念が、通じない。
天逆毎が諸手で、天に赤子でも掲げるような仕草をする。珠木を中心とした円域内の、重力の向きが反転した。逆巻く水飛沫が身体を打つ。外郭放水路の天井に叩きつけられた。
指一本動かせないほど、重い。妖力を全身に漲らせ、辛うじて薄目を開けた。
影が、被さってくる。地面。挟まれた。天井が砕け、地下から放り出される。
高層ビル群が発する煌々とした光が目に刺さってくる。天地を鏡合わせにしたような二つの摩天楼。砂時計のようなかたちをした異界。
目が回っていた。隕石に縛り付けられて、宇宙に放り出された気分に、珠木は見舞われた。
どこまで飛ぶのか。ひとまず身を任せ、頭の中で天逆毎の能力を整理することにした。

火車に揺られていた。
火車の中はいぐさの織物が敷かれているものの、乗り心地はよくない。
畿一の口笛で、火車は現れた。
天逆毎を再封印しに行くというのに、火車は喜んで畿一を乗せた。大物を乗せて走れるのが、火車の喜びのようだった。
天狗であり、飛行できる畿一ひとりなら、火車を頼るまでもなかった。
畿一は敷物の上に胡座をかき、手元で扇をいじっていた。
黒地に鮮やかな花模様をあしらった、ちりめんの扇だ。扇骨には香木を使っている。
「娘に貰ったものでのう」
「へえ。いい扇子だな。子どもがいたのは、ちょっと意外だ」
髪や髭はきちんと手入れし、身ぎれいな格好をしているが、どこか家族のない独り者のような軽さも感じていた。
火車の物見窓から街の光が強く差し、畿一が目を細めた。
高層ビル群を抜け、街と街の狭間に出る。
この世界に、空はない。四方を街に囲まれた、異様な空間なのだ。
大吉も、扇子を取り出した。
緋色の地紙が張られた、上海で春香がくれたのものだ。
「この扇子も、なかなかだろ」
「うむ、小僧の持ち物にしては良い品じゃな。少し貸してみい」
「ん?」
畿一は大吉から緋扇ひせんを受け取ると、緑色のオーラを発現させる。
オーラが、緋扇に宿る。
「儂が分け与えたオーラの分、この緋扇で風繰かぜくりができる。お主はそれで身を守ることに専念せぃ」
「爺さん一人でなんとかできる相手なのか、天逆毎って妖は。知り合いの術士から聞いた話じゃ、地球の公転軸を狂わせるほどの力を持った妖なんだろう。災害みたいなもんじゃねえか」
「幻を見せる術を仕掛けてある。復活直後なら、効果はあるはずじゃ」
「その間に、再封印するのか。なんだ、簡単そうだな」
「ふん、儂を誰じゃと思っておる。抜かりないわい」
畿一は得意げに鷲鼻を高くする。
浮遊感が、二人を包んだ。
大吉は物見窓の外を覗いた。出発前には頭上にあった街が、近付いて来ていた。雨が降ったようで、濡れた屋根が見える。こんな場所でどうやって雨が降るのか、大吉には不思議だった。
中間地点を過ぎ、重力が戻ってきた時だった。車が強い衝撃に見舞われた。
火車が横転し、大吉の上に畿一がのしかかってくる。
「流れておる。ビルに突っ込むぞ。どこかに掴まれぃ」
咄嗟に言われても、掴まれる場所などなかった。ガラスを突き破る衝撃。慣性が働き、大吉と畿一は車内から放り出された。
「なんじゃ、真っ暗でなにも見えん」
「簾が絡まってんだ。いて、暴れんな、爺さん」
覆い被さる前簾を払う。ビルのフロアに横転している火車の右の車輪が、ひどいひしゃげ方をしていた。
「なにか横からぶつかってきたようじゃな。猪でも飛び出してきたのかのう」
「山道走ってたんじゃねえぞ。冗談言ってる場合か。おい、誰かいる」
火車の陰に、人が倒れていた。肩が反応を示し、起き上がってくる。
癖毛の黒髪を後ろで束ねた髪型。黒地に金の刺繍が施された拳法着。腰帯に、酒瓢箪をぶら下げている。
大吉は夜刀の柄に手をかけた。
「珠木、さん」
「いてて。およ、大吉くんだ。畿一さんも一緒かい。面白い組み合わせだぁ」
間抜けた調子で言う珠木の左腕は、あらぬ方向に曲がっていた。顔の右半分は、赤黒く腫れあがっている。
「天逆毎に勝負を挑んだら、このざまだよ」
「天逆毎じゃと。覚醒しておるのか。儂が幻術をかけた木札があったはずじゃぞ」
「あ~、あれ、そういう仕掛けだったのね。壊しちゃった、てへ」
「余計なことを」
目頭を押さえ呆れる畿一をよそに、珠木は大吉に歩み寄る。
「二人も、目的は天逆毎みたいだね。あたしも仲間に入れてもらえないかな、大吉くん」
「その前に、言うことがあるだろう」
珠木が敵なのか味方なのかは、この際どちらでもよかった。
天逆毎を相手に共闘したいというなら、受けてもいい。ただその前に、聞かなければならない言葉はあった。
「銭豆神社でのことだね。ごめんなさい。帰ったら、束早ちゃんたちにも謝ります」
率直に謝罪されると、それ以上責める気は湧かなかった。
「なんで、あんなことしたんだ」
「それは道すがら話したいかな。どうだろう、許してもらえるかい?」
「俺は、もういい。束早と靜が許すかは、あの二人が決めることだ」
「そうだね」
珠木が改めて手を差し出してくる。
握手を交わした。
靜の許しを得るのは難しいだろうな、と大吉は考えていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

お父さんのお嫁さんに私はなる

色部耀
恋愛
お父さんのお嫁さんになるという約束……。私は今夜それを叶える――。

高校生なのに娘ができちゃった!?

まったりさん
キャラ文芸
不思議な桜が咲く島に住む主人公のもとに、主人公の娘と名乗る妙な女が現われた。その女のせいで主人公の生活はめちゃくちゃ、最初は最悪だったが、段々と主人公の気持ちが変わっていって…!? そうして、紅葉が桜に変わる頃、物語の幕は閉じる。

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

秘事

詩織
恋愛
妻が何か隠し事をしている感じがし、調べるようになった。 そしてその結果は...

こども病院の日常

moa
キャラ文芸
ここの病院は、こども病院です。 18歳以下の子供が通う病院、 診療科はたくさんあります。 内科、外科、耳鼻科、歯科、皮膚科etc… ただただ医者目線で色々な病気を治療していくだけの小説です。 恋愛要素などは一切ありません。 密着病院24時!的な感じです。 人物像などは表記していない為、読者様のご想像にお任せします。 ※泣く表現、痛い表現など嫌いな方は読むのをお控えください。 歯科以外の医療知識はそこまで詳しくないのですみませんがご了承ください。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

処理中です...