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井ノ上

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老天狗は忘却に奏す

畿一

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東京を模して造られた異界。
その地下には、広大な外郭放水路が広がっていた。
地下とは比喩で、空間が歪んでいるこの異界では、空も地面も、右も左もあべこべだった。
無数の円柱によって支えられた、迷宮らしい趣もある外郭放水路。この場所が神代に生まれた妖、天逆毎あまのざこに与えられた寝所であり、牢獄だった。
「法眼、封印の解除は進んでいるか」
天邪鬼が水音を立てながらやってきた。
外郭放水路には、足首辺りまで浸かる程度の水が溜まっている。濡れるのが嫌な畿一は、オーラを足に集め、その水面に立っていた。
「さきほど酒呑童子が持ってきた分で、天逆毎様を復活させるには十分な力が集まったろう」
「封印を解く術は発動しておる。じき目覚めよう」
「そうか。これで、土地の力を集めてくれた妖どもも報われよう。天逆毎様が復活すれば、妖の世が到来する」
「くだらん」
「そう言うな。法眼の望みも、天逆毎様のお力があれば容易く叶う」
「わからんな。妖の世だと。どこまで本気で言っておる」
「他の妖を体よく使うための方便だと?」
「違うのか」
「いや、違わない。だが、事実そうなる。俺は、生みの親が暗い場所に閉じ込められているのを、助け出したいだけさ」
「親孝行だとでも言うつもりか。天邪鬼らしい戯言よ。貴様の望みは混沌だろう」
天邪鬼は下卑た笑みを浮かべる。黄ばんだ歯の奥で、汚れた舌がもぞもぞと動く。
「世を混沌に陥れる。そのために仲間を集め組織化する。妖の考えることではないな」
「俺の背後に誰かがいる。そう考えてるのか、法眼」
十中八九、人間だろう。
世に災禍を招く妖を復活させ、得をする人間。
幽奏会という妖退治をする術師の組織がある。天逆毎を討ち取り、世を救えば、組織の地位はかなり向上する。
誰が黒幕だろうと、どうでもいいことだ。
畿一は天邪鬼に背を向け踵を返した。
「どこへ?」
「術は儂がおらんでも機能する。付きっきりでいる必要もない。ここは空気が淀んでおってたまらん」
「感謝するよ、法眼。あなたがいなければ、天逆毎様の復活は困難だった」
天邪鬼の言葉を無視し、畿一は立坑を飛んで外へ出た。
街が濡れていた。外郭放水路に潜っている間に、雨風が吹いたらしい。
天と地が鏡合わせになったこの異界で、雨は風が運んでくる。どこから運ばれてくるものなのかは、見当もつかない。
「きーいっちさん」
「酒呑童子か」
煌びやかな高層ビル群の光を、濡れたアスファルトが照り返していた。
その光の中に、酒呑童子が立っていた。
酒呑童子は、白地に黒い逆波模様が入った例の羽織を脱ぎ、拳法着に着替えていた。
「も~、その呼び方はやめてったら。珠木って呼んでよねん」
「なぜお主のごっこ遊びに付き合わなければならん」
「つれないおじいちゃん。そんなことだと、孫に嫌われちゃうよ?」
「……お主、なにを知っている」
「ん~、なんのことかな?」
畿一は珠木と称する酒呑童子のとぼけた面に毒気を抜かれた。
「お主はなにを企んでおるのかの」
「んっふふ、それも、なんのことやらわかりませんなぁ」
珠木は腰に吊り下げていた酒瓢箪を取り、一息に呷る。かなり強い酒らしく、畿一の方まで酒気が漂ってくる。
口から零れた酒を手の甲で拭う。拳法着の袖から、包帯を巻いた腕がちらりと見える。
「怪我をしたのか?」
「銭川の土地で神憑かむよりをゲットする前に、ちょっとやり合ってね」
「手練れの術士でもおったか」
「んにゃ。ああいうのは、喧嘩屋っていうの? 開戦の狼煙代わりに車を投げ入れたら、因縁つけられてね」
「阿呆な真似を」
畿一は溜息をついた。
にしても、珠木に勝負を挑んできたという相手、ただの喧嘩屋ではないだろう。
妖力の大半を身体の維持に割いているとはいえ、酒呑童子に手傷を負わせたのだ。
珠木はその喧嘩屋に関心はないらしく、飲み干した酒瓢箪の口を惜しげに覗いている。
「それより畿一さん、気づかない?」
酒瓢箪を腰帯に結い直した珠木が、千鳥足で近づいてきて畿一に絡みついてくる。
頬擦りしてくる頭を押し退け、「なんのことじゃ」と問い返す。
「うっしー、やられちゃったよ」
「む」
言われて、気配を探る。
確かに、牛鬼の妖気が消えている。
頭上に逆さに浮かぶ街に、複数の人間の気配があった。
その中に一つ、半妖の気配があった。
「妖気混じりの気配は束早ちゃんかな。てことは、一緒にいるのは大吉くんかぁ。うっしーに勝つなんて、やるねぇ」
一人で愉快そうに言う珠木の声は、畿一の耳に入ってこなかった。
「この妖気は、まさか」
人間と混じっていてわかりづらかった。
畿一は目を閉じ、探知に集中する。間違いない。憎悪に呑まれた天狗の魂から生じる妖、波旬の妖気。
畿一は茫然とした。それは束の間で、すぐ我に返った。
「まさか、あやつなのか」
「おーい、きーいっちさん。だいじょうぶ?」
目の前で手を振る珠木。
「用ができた。少し外すぞ」
「およ、急にどったの?」
珠木の問いには取り合わず、翼を広げた。
波旬の気配を捕捉したまま飛翔する。
高層ビル群を抜け出すと、すぐに頭上の逆さの街が迫ってくる。
摩天楼の明かりが、畿一の黒い双翼に反射する。
胸中では、二つの相反する思いがせめぎ合っている。
ずっと探し続けてきた相手がいるかもしれない。やっと過去に蹴りをつけられると思う一方、心のどこかで、見つからなければいいと願ってもいた。
天邪鬼から天逆毎を復活させる話を持ちかけられた。天邪鬼は、天逆毎なら探している妖の居場所がわかると、畿一の耳元で囁いたのだ。
己がかつて犯した過ちと、向き合う時が来たのだと覚悟を決めたはずだった。
しかし、どうだ。
予期せず現れた波旬の妖気に、翼を無様にばたつかせている。
風が乱れ、ビルにぶつかりそうになる。動揺が、風の操作にでていた。
強引に、風を従わせ空中姿勢を立て直す。
「情っけないのう。仙人とまで謳われた儂が、これでは羽根の青いガキ同然じゃ」
よわい六百余にして、半端者。
生きるのに、く暇などない。
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