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井ノ上

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少年陰陽士は追憶に秘する

白河尚継 5

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―どこだ、どこだ。
泥濘の中で、男がなにかを探していた。
「なにを探しているんですか」
春香が尋ねても、男は目もくれず一心不乱に泥を掻き回すばかりだ。
辺りは真っ白な空間で、男の居るところだけが、泥濘になっていた。
春香は、泥濘に入り、必死な男と一緒に探しはじめた。
―どこだ、どこだ。
なにを探しているのか、わからない。手探りしていると、指先になにかが触れた。掬い出す。掌で泥を拭うと、子どもの拳ほどのネズミが顔を出す。
「探してたのは、この子?」
男は一瞥し、泥を掻く作業に戻ってしまった。
春香は沈んでいたネズミを泥の外に降ろした。ネズミは泥濘の淵にちょこんと座り、二人を見守る。
―なぜ、あのとき手を離してしまったのだ。
「あのとき?」
―なぜ、なぜ、なぜ。
男の身を切り裂くような後悔が流れ込んでくる。胸が苦しくなる。痛い。
「そんなに、自分を責めないで」
―なぜ、なぜ、なぜ。どこだ、どこにいる。
悔悟に憑りつかれた男に、春香の声は届かない。
男の身体が、泥濘に沈みだした。
駄目、溺れちゃう。沈んじゃだめっ。
叫ぼうとしたが、声が出なかった。
手を差し伸べる。届かない。
気づけば泥濘は、春香も飲みこもうとしていた。
男を助けようと、春香はもがき近づいていく。
男は、いなくなっていた。
一羽の鴉が、翼を投げ出して沈みかけていた。掬い上げると、嘴が微かに動き、カァと啼く。
その啼き声は、いつか夢の中で聞いた声に似ていた。

        ◆

揺すり起こされた。
「ここで眠られては困ります」
日限が立っていた。
「夢?」
「うなされていましたよ。そろそろ終電です。一度帰られては?」
春香はロビーのベンチに座り直し、かぶりを振った。
「いいえ。尚継君と一緒でないと、私は帰りません」
「強情な人だ」
日限は顔に疲れを滲ませていた。
カウンター奥の事務机に残っていた職員と二、三、言葉を交わし、エレベーターに乗っていってしまう。
エレベーターは、三階で止まった。
六階建ての建物だった。
カフェや定食屋、会計事務所の並びにあり、近くには文化棟やスポーツアリーナを併設した総合施設があった。
幽奏会代々木支局の一階は、病院の待合ロビーに似た造りになっている。
ソファがあり、カウンターがあり、その奥にデスクが並ぶ。
カウンターの奥は、病院より学校の職員室に雰囲気は近い。
拘引状とかいう紙切れで連行される尚継に同行を願い出たのは、勢いだった。
移送車両に尚継と乗ったまではよかったが、ここで春香は引き留められ、尚継は別室へ連れて行かれた。
あれから九時間が立とうとしている。
「フェン、お腹空かせてるだろうな」
大吉は、どうしているだろう。
夜に電話をする約束だった。けれど、携帯電話の充電が切れ、できていない。
残っていた最後の職員が、春香に会釈して帰っていった。日限に言われたのか、春香は放っておかれた。
心細かった。けれど、尚継をこんな場所に残して帰れるはずがない。
春香は、カウンターを通り抜け、エレベーターのボタンを押す。待てども、一向に動かない。
階段があった。こちらも、どれだけ上っても上の階に辿り着けない。
「はぁ、はぁ、だめだ、なにか術がかけられてるんだ、きっと」
春香はロビーに戻る。
ソファで、他に尚継に会う方法はないか考える。
「今夜は、泊まりこみだ」
春香は自分を奮い立たせるため、ガッツポーズをした。

         ◆

桑乃の屋敷へ行った。
「わわ、どうしたんですか、その顔」
出迎えてくれた陽衣菜が、大吉の赤くなった片頬に驚く。
「ん、ちょっと尚継の姉ちゃんにぶん殴られた」
「ひぇ、痛そうです。熱冷まし、あとで持ってきますね」
「ありがとう。瑞希とは、あれからちゃんと話せたのか?」
「はい。心配かけてすみません。春香さんにも、急に家に押しかけたりして、迷惑かけちゃいました」
「迷惑なんて思っちゃいないさ。フェンガーリンも、会いたがってるらしいぞ。またゲームで対戦しようってさ」
「はい! フェンガーリンさんには面白いゲーム、たくさん教えてもらっちゃいました。私もまたやりたいです!」
話しながら、陽衣菜に瑞希のもとへ案内してもらう。
通されたのは瑞希の居室ではなかった。
書棚に応接セット、部屋の中央に鎮座する重厚な両袖机。桑乃当主の執務室のようだ。家督と共に、譲り受けたのだろう。
「尚継の件ね」
入って早々、椅子にかけていた瑞希は言った。
「ああ」
「桑乃の名で、圧力をかけてみたんだけれど、ダメだったわ。当方の問題、の一点張り」
「幽奏会の支部に連れて行かれたらしいんだが、場所がわからない。調べられないか」
「すでに手は回してあるわ。一、二時間もすれば、特定できるはずよ」
「助かる」
「当然よ。それより、その顔どうしたのよ」
「尚継の姉ちゃんに、な」
「白河家に行ったの、あんた」
「謝ってきた。支部の場所も靜なら知ってるだろうけど、この通りだ」
「ばか。謝るなら、私でしょ」
「靜に殴られなきゃならなかったのは、間違いなく俺さ」
大吉は応接セットのソファに腰を下ろした。書棚には宇宙技術関連の書物が並んでいた。装丁された本もあれば、ファイリングされた研究論文もあった。
瑞希は自分の道に進もうとしている。
尚継の件は自分のせいだと自覚しているが、自分の全てを賭けて瑞希のために闘ったことに、後悔はない。
陽衣菜が氷嚢を持ってきてくれた。
「いま電話があって、尚継君の居場所、わかったみたい」
「ありがとう」
陽衣菜は大吉に氷嚢を渡し、瑞希に場所のメモであろう紙片を渡す。
大吉は立ち上がった。
瑞希は紙片にかかれた場所を確かめ、大吉の方にそれを差し出す。
受け取った。
「行ってくる」
「お願い」
部屋を出ようとした。
爆発音がした。
陽衣菜が短い悲鳴をあげる。
「なんだ」
音は遠かったが、かなり派手な爆発だったのか、室内にまで響いてきた。
大吉は部屋に戻り、瑞希と窓に駆け寄る。
遠方で黒煙が上がっている。
あの方角は―
「銭豆神社のあるあたりね」
瑞希が言った。
「くそ、こんなときに」
銭豆川の地力を狙う連中が攻めてきたのだとしか考えられなかった。
日限に尚継を連行したと聞かされ、頭はすっかりそのことで一杯になっていた。だが、昨日は神憑の保管場所を確かめるため、神社に赴いたのだ。
「すまん瑞希。尚継のことは必ずどうにかするから」
瑞希に詳しく説明する時間が惜しかった。大吉はそれだけ言い、桑乃邸を出た。
自転車をる。遊佐のマセラティを経験した後だと、もどかしいくらいに遅い。
「間に合ってくれ」
大吉は焦れながらも、ひたすらにペダルを漕いだ。
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