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井ノ上

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キメラ娘は深緑に悼む

珀 12

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里の南橋にある小屋をてがってもらった。
岩場のすぐ近くで、元は石切り場の物置として使われていたようだった。
秋久がトクサの家から朝飯を貰って戻ると、布団から羽子の姿がなくなっていた。
来た道を戻ると、広場の集会所を立て直すため木材を運んでいる男達に出くわした。
尋ねると、滝の方へ行くのを見た、と親切に教えてくれた。
一方で、里に滞在する秋久に、煙たい視線を送る人たちもいた。そういう人たちとは、軽く会釈するだけで済ませる。
滝の淵に、羽子の背中を見つけた。
秋久と同じく、アイヌ式の簫狼族の装束に身を包んでいる。
「朝ごはん貰ってきたよ」
二人分の曲げわっぱの片方を差し出す。
「戻って食う。ここじゃ、食う気にならない」
「そっか。お墓なんだっけ」
「死者の魂はこの滝を潜って、現世でのしがらみをそそぎ、死後の世界へ行く。狼が尾を清める。それで、ペレケホロケウサラ」
牛鬼から受けた瘴気を解毒する間、里長は羽子にこの集落のさまざまなことを語って聞かせていた。
「死んだ人達を、弔ってたの?」
水面は森を映しあおい色をしていた。
「オレにそんな資格があるか」
「人の死を悼むのに、資格は要らないんじゃない?」
秋久は片膝をつき、手を水で濡らす。ひんやりとして気持ちいい。
「秋久」
「なに?」
「服、預かってろ」
羽子が立ち上がる。放り投げられた着物を頭から被る。
「わ」
着物を払うと、羽子は滝へ泳いでいた。
滝壺の飛沫で、羽子が見えなくなった。
苔の生えた岩の上で、リスが顔を洗っている。
鹿は畔で水を飲んでいた。その傍で、小鳥が羽を休めている。流れが穏やかな場所には、魚影もあった。
簫狼族の子どもは、ここで魚獲りをして遊んだりするらしい。
死者の魂が清められる特別な場所であり、動物や里の人々の生活の場所でもある。
羽子が戻って来た。
水から上がると、頭を振って髪の水滴を飛ばす。
裸体から顔を背け、着物を返した。
「くしゅん」
「ほら、身体冷えたでしょ。早く小屋に戻ろう。なんであんなことしたのさ」
「死人の世界ってやつが、覗けるかと思ってな」
「なにか見えた?」
「いや。水泡しか見えなかった」
羽子はもう滝に背を向けていた。濡れた身体に着物を着込み、帯を締める。
「秋久、頼みがある」
「なに?」
「オレに名前をつけてくれ」
”羽子”は、彼女を戦士に育てた集団の名だと聞いていた。名前のない彼女の呼び名は、ずっと仮初だったのだ。
「いいの、僕なんかで」
名前を与える。それは身体を重ねるより、特別な行為ではないか。
「オレを拾ったのはお前だろう。飼い主の責任だよ」
「そんな犬や猫みたいに」
気軽につけられるはずなかった。けれど彼女が新しい一歩を踏み出すのに名前が必要なら、それを与えるのは自分でありたい。他の誰かでは、嫌だ。
秋久は考えた。
学はない。彼女がこれまで歩んできた道は、あえて思慮から消した。
一度悩んだら決められない。シンプルでいいんだ、と開き直った。
滝の音がしていた。
生者と死者の境界、狼が尾を清める場所、ペレケホロケウサラ。
はく
秋久は指を水につけ、近くの乾いた岩に字を書いた。
口にして、字にすると、これしかない、と思えた。
「君の名前は、珀だ」
珀は、水で書いた秋久の字に触れた。字は、すぐに乾いて消えた。
「ハク。珀か」
自分の名前を口に出して確かめる、珀の切ない表情に、どきりとした。
そして、守りたい、と強く思った。
そのためには、このままでは駄目だ。
「珀、これ。先に戻って食べていて」
秋久は朝飯を珀に押し付ける。
「なんだよ急に」
「里長の家に行ってくる」
珀を守る、すべがほしい。
浮かんだのは、妖や天狗を追い払った里長の魔法のような技だ。
頼んで教えてもらえるのか。教えられて、体得できるものなのか。
わからない。けれど秋久はがむしゃらに走りたい衝動に襲われていた。
「いってこいよ」
珀が背を押してくれる。
「いってくる!」
畔で羽を休めていた小鳥が、空に飛び立った。
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