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井ノ上

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キメラ娘は深緑に悼む

珀 3

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一日に二度も、大人から名刺を貰うとは思わなかった。
「これで、ひぎりと読むんですか」
「珍しい苗字ですよね。よく読み方を聞かれるんですよ」
銭豆神社の社務所の一室だった。
日限将人と名乗る男の奥に、靜が座っている。表情には出していないが、明らかに不機嫌そうだ。
「先日の桑乃との騒動を調査に参りました。こうしてお呼び立てして申し訳ありませんが、新田さんから正直なお話を聞けると、こちらも手間が省けるもので」
名刺には、宗教法人とある。
「話せることは、話しますけど。その前に、その件とそちらがどう関係あるのか、ちょっとわからないんですが」
社務所の窓から、参拝客がおみくじを結びつけているのが見えた。
「先ほどの話だと、幽奏会ゆうそうかいは霊や妖にまつわる問題に対処する集団なんですよね」
「その通りです。すみません、こちらの説明不足でしたね。我々は他にも、全国の術士の監督も行っています」
「はぁ」
「術士による公共の利益に反した行いを取り締まる、という意味合いです。異能関係の警察、と言うとイメージしやすいかな」
「なんとなくは、わかります」
先程のオーラの話は、日限の言う異能とイコールで考えていいのか。
「よかった。異能の存在は妖同様、公になっていないので、あくまで幽奏会が定める掟に則って監督しています。その掟の中に、私闘を禁ずる、という条項があります」
日限の話が見えてきた。
大吉は緊張を悟られないよう、呼吸に気を使いはじめた。
靜はどこを見つめているのか、我関せずといった態度だ。
「率直にお訪ねしますが、あなたが成樟所有のビルから桑乃の御子息を連れ出したあの晩、成樟の護衛本隊を足止めするため協力した術士がいるでしょう。その術士の名を、教えてもらいたい」
幽奏会という組織が、どれくらいの規模なのか、この名刺と日限の話からでは読み取れない。
だが、桑乃と成樟には気を遣っている。
つまり、日本の政財界を裏で牛耳る御三家とは同等ないし劣後する関係、ということだ。
組織の管轄下で他所に狼藉を働いた人間を見つけ出して処罰する。
そのために、この日限という男は来たのだ。
「知りませんね。俺は、勝手に喧嘩しただけですよ。加勢してくれた仲間は、そりゃいましたけど、その中に術なんて使うやつは、いなかった」
しらばっくれた。
日限は断定的な物言いをしたが、確証は掴んでいない。確証があるなら、それを提示しているはずだ。
「困りましたね。すると僕は、しばらく君の周りを探り回らないといけなくなる。この辺りの術士をまとめてもらっている白河家にも、お手数をおかけしてしまう」
日限が首を竦めてみせる。
歳は大吉より三つ四つ上といったところか。若い割に、仕草はこなれている。
「白河がどうかは知りませんが、俺に付きまとうのは好きにしたらいいですよ。なにも出てきやしないと思いますけどね」
虚勢を張るしかなかった。
当面は、尚継とは距離を置いた方がよさそうだ。幸い、明日からは剣道部の合宿で、この町を離れられる。
その間、日限の探索をどうかいくぐるか、考える時間もできる。
「わかりました。とりあえず、今日のところはこれで」
日限が開いていた手帳を閉じた。
「じゃ、失礼しますよ」
大吉は立ち上がり、社務所を出た。
手水舎てみずやの日陰に、尚継が立っていた。
心配するな。
言ってやりたかったが、大吉は一瞥だけして尚継の前を通り過ぎた。

翌朝。
大吉はリュックサックの中身を確認し、チャックを閉めた。
「なにかあったら電話してくれ」
「心配ないわ。楽しんできて」
玄関を出て、錆びた鉄骨階段を降りる。
束早は、アパートの前まで見送りに来てくれた。
「おっと、すみません」
通りに停められたトラックから出て来た業者と、肩が触れそうになった。段ボール箱を抱えた業者が、会釈してすれ違う。
「誰か引っ越してきたみたいだな」
「そうね」
荷物だけ先に部屋に送ったのか、入居者らしき人の姿は見当たらない。
「行ってくる」
「いってらっしゃい」
大吉は春香の家へ寄り、駅へ向かった。
剣道部の先輩たちは先に来ていた。
嵩張る防具一式は、ひとまとめにして既に現地に送ってある。
「お待たせしました」
「なに、俺たちが早く来たのさ。合宿とはいっても半分は思い出作りみたいなもんだ。そうかしこまらなくていいさ。そうだ、森宮には宿泊先を手配してくれた礼を言わんとな。割安にまでしてもらって」
「えへへ、従妹が気を利かせてくれたんです。ごはんも用意してくれてるみたいなので、楽しみにしててくださいね」
「ありがとう。おかげで主な出費は飛行機代だけで済んだよ。まさかウチみたいな小さな部の合宿で、北海道に行けるなんて思っていなかった」
「いっぱい、思い出つくりましょうね!」
「ああ!」
春香はガッツポーズをし、主将も同じポーズを返す。先輩たちの間で笑いが起こる。
「まだ少し早いが、全員揃ったしそろそろ行くか」
「あ、すみません。もう少しいいですか」
駅のホームに移動しようとした主将を、春香が呼び止める。
「どうした?」
「実はもう一人、合宿に参加するわけじゃないんですけど、北海道に行く友達がいて。多分もうすぐ来ると思うので、その子も一緒にいいですか?」
「ほう、そんな友達がいたのか。もちろんいいさ。人数は多い方が楽しいからな。その子は、宿泊先は決まってるのか?」
「多分まだだと思います」
「そうか。なら折角だし、一緒に民宿に泊まったらどうだろう。厚意で貸切らせてもらったけど、本当なら十人は泊まれるところなんだろう?」
「はい。来たら訊いてみます!」
五分ほどして、羽子がやってきた。
なぜか、秋久もくっついて来ている。
「羽子ちゃん、こっちだよ」
春香が手を振る。
「だからちゃんはよせって」
羽子は手ぶらだった。
「ほんとうに来たんだな。団体行動なんて嫌がるかと思った」
「北海道まで相乗りするだけだ」
「行き方を調べる手間が省けるもんな」
「そうだよ」
「ところで、なんで秋久までいるんだ?」
「知らん。お前たちと北海道へ行くと言ったら、ついて来た」
「大吉、春香ちゃんと羽子に二股賭けようったって、そうはいかないからな! ハーレムが許されるのは、ラノベの世界だけなんだよ!」
敵意丸出しに吼えてくる秋久。そういうことか。
「そんなつもりないから安心しろ」
ついてくるのはいいが、飛行機はどうするつもりなのか。
東京で顧問と合流し、空港へ向かう。
搭乗手続きを済ませ、ゲートをくぐる。
「主将、航空券代、ありがとうございます」
「なに、あとは卒業するだけの俺らだ。部費は残す後輩に使ってやらなきゃな。満額とはいかなかったが、足しにはなったろう」
「足しだなんて。嬉しかったっす」
往復で一万円弱。先輩たちは大吉の航空券代のため、残っていた剣道部の部費を全額叩いてくれた。
向こうでは安く宿を使わせてもらえ、食事まで付くから、金銭的負担はほとんどない。
機内の座席に座る。隣に、春香が来る。
鼻歌が漏れる。
大吉は柄でもないと思いつつ、わくわくする気持ちを抑えられなかった。
当日キャンセルされた航空券で滑りこんだ秋久は、一人離れた席で寂しそうにしている。
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