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桑乃瑞希 19
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-7月21日 PM 1:20-
一日様子見で入院しただけなので、退院するのに荷物らしい荷物はなかった。
吉良蝶々に打たれた毒は、大吉の知り合いの医者が解毒してくれた。
礼を言いたかったが、もう上海へ帰ってしまったのだという。昨日見舞いに来てくれた春香が、話してくれた。
「それじゃあ左門さん、先に失礼します」
カーテンで仕切られた隣のベッドに、束早は顔を出す。
「おう、俺も明日には退院だ。今度バイト先にランチでも食いに来てくれよ。サービスするからよ」
全身包帯ぐるぐる巻きの徹平が、ギプスをはめた腕を振る。
「ありがとうございます」
束早は病室を出て、静かに扉を閉めた。
「あの怪我で、本当に明日退院するつもりなのかしら」
首を傾げつつ、自身の退院の手続きを済ませ、外に出た。
「束早」
春香が手を振って出迎える。病院のロータリーにタクシーが停まっていた。
「退院するだけだから、今日は来なくていいって言ったのに」
「えへへ。まあまあ、一緒に帰ろうよ。大吉も来ようとしてたんだけど、瑞希に呼ばれたらしくって」
「そう。よかった。波旬の翼、使うなって言われていたから。退院早々に説教されずに済んだわ」
「あはは、大吉のお説教は年寄り臭いからね」
タクシーに乗り込んだ。春香が運転手に住所を告げ、車が発進する。
車内はクーラーが効いていた。窓の外は、夏晴れの陽射しが降りそそいでいる。
桑乃の屋敷へ行く途中、反対車線の歩道を歩く尚継を見つけた。
「おーい、尚継」
大吉が呼ぶと、尚継が振り向いた。無視して、歩みを再開する。
「無視すんなこら」
大吉は陸橋で県道を越え、尚継を捕まえた。
「なんだよ暑苦しい」
「また借りができちまったな。成樟の本隊を足止めしてくれた術士って、お前のことだろ?」
「知らね」
「可愛くねえな、こいつ」
頭をぐしゃぐしゃすると、心底うざそうに手を払われた。
「だーぁ! やめろって!」
「ははっ、わるいわるい。でもほんと、サンキューな、尚継」
尚継は不機嫌面を崩さないが、まんざらでもなさそうだった。
「飯、奢れよな。今度は春香さんも一緒にだぞ」
「おう、春香も一緒な。覚えとく覚えとく」
「ぜってーだかんな!」
大吉は尚継と別れ、バスに乗って桑乃邸へ向かった。
屋敷の門についているインターホンを鳴らす。今度はすんなりと通してもらえた。
「大吉さん」
「よ」
出迎えてくれた陽衣菜に軽く手をあげる。黒を基調にした使用人服を着ている。
「何気にはじめてだな、仕事着の陽衣菜と会うのは」
「そういえばそうですね」
「似合ってるじゃないか」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに満面の笑みを見せる陽衣菜。他人まで嬉しくさせる明るさが、陽衣菜のいいところだ。
案内されたのは、屋敷ではなく庭園だった。
背伸びしたひまわりが、太陽に向かって咲いている。
瑞希は、そのひまわりを眺めていた。白いガーデンテーブルに、アイスティが置かれている。
「大吉、このひまわり、陽衣菜に似てると思わない?」
「ん、確かに」
大吉は同意しながら瑞希の斜向かいの椅子に座る。
陽衣菜は大吉の分の飲み物を用意しに行ってくれた。
「昨日、お前の兄貴がきたよ」
「そう。じゃあ、私が当主に就くこと、聞いたのね」
「ああ。骨折り損な結末だ」
「そんなことない。父が私を選ぶとは、ちっとも思ってなかったから驚いたけど、もしあの夜のことがなかったら、私は辞退していたと思う」
グラスの氷が、からんと音を立てた。
「ずっと桑乃の名が嫌で、そんなものは捨てて自由に生きたいと思ってた。でも今は、どんな場所でも自分の意思を貫くことはできる、って気がしてる。だから、桑乃の当主も受けることにしたのよ」
「そうか」
「あなたのおかげよ、大吉」
「よせよ。俺一人じゃなにもできなかった」
ガーデンテーブルにはパラソルが付いていて、陽射しを遮ってくれている。それでも、暑い。真夏日なのだ。
「もし今度、なにか困ったことがあったら言って。そのときは、私が大吉の助けになる」
「そうかい。じゃ、仕事に困ったら、ここの使用人にでも雇ってもらうか。陽衣菜の下で働くのも悪くなさそうだ」
「それはいや。あなたに身の回りのことされたら、落ち着かないもの。それだったら会社の一つでも用意してあげるから、自分でビジネスでもやってみなさいよ」
「冗談だろ。俺が社長って柄かよ」
「そう? 人を惹きつけて大きなことを成し遂げる。素質はあるんじゃない?」
アレッシオに、起業を勧められたことを思い出す。春先のことだ。
今度は、社長ときた。
「普通でいいよ、俺は」
背凭れに身体を預けた。
瑞希とひまわりを眺める。眩しいな、と大吉は思った。
陽衣菜が大吉と自分の分のアイスティを持って、戻って来た。
「なんの話をしてたんですか?」
陽衣菜が隣に座り、アイスティをくれる。受け取り、喉を潤わせた。
「あのひまわりが陽衣菜に似てるって。な」
「そうね」
「ひまわりとわたしが?」
陽衣菜がひまわりをじっと見て自分との共通点を探す。
大吉はグラスを置いて伸びをした。
陽光を浴びるひまわり。その奥の空に、白く大きな入道雲がそびえていた。
やっと、夏休みがはじまる。
一日様子見で入院しただけなので、退院するのに荷物らしい荷物はなかった。
吉良蝶々に打たれた毒は、大吉の知り合いの医者が解毒してくれた。
礼を言いたかったが、もう上海へ帰ってしまったのだという。昨日見舞いに来てくれた春香が、話してくれた。
「それじゃあ左門さん、先に失礼します」
カーテンで仕切られた隣のベッドに、束早は顔を出す。
「おう、俺も明日には退院だ。今度バイト先にランチでも食いに来てくれよ。サービスするからよ」
全身包帯ぐるぐる巻きの徹平が、ギプスをはめた腕を振る。
「ありがとうございます」
束早は病室を出て、静かに扉を閉めた。
「あの怪我で、本当に明日退院するつもりなのかしら」
首を傾げつつ、自身の退院の手続きを済ませ、外に出た。
「束早」
春香が手を振って出迎える。病院のロータリーにタクシーが停まっていた。
「退院するだけだから、今日は来なくていいって言ったのに」
「えへへ。まあまあ、一緒に帰ろうよ。大吉も来ようとしてたんだけど、瑞希に呼ばれたらしくって」
「そう。よかった。波旬の翼、使うなって言われていたから。退院早々に説教されずに済んだわ」
「あはは、大吉のお説教は年寄り臭いからね」
タクシーに乗り込んだ。春香が運転手に住所を告げ、車が発進する。
車内はクーラーが効いていた。窓の外は、夏晴れの陽射しが降りそそいでいる。
桑乃の屋敷へ行く途中、反対車線の歩道を歩く尚継を見つけた。
「おーい、尚継」
大吉が呼ぶと、尚継が振り向いた。無視して、歩みを再開する。
「無視すんなこら」
大吉は陸橋で県道を越え、尚継を捕まえた。
「なんだよ暑苦しい」
「また借りができちまったな。成樟の本隊を足止めしてくれた術士って、お前のことだろ?」
「知らね」
「可愛くねえな、こいつ」
頭をぐしゃぐしゃすると、心底うざそうに手を払われた。
「だーぁ! やめろって!」
「ははっ、わるいわるい。でもほんと、サンキューな、尚継」
尚継は不機嫌面を崩さないが、まんざらでもなさそうだった。
「飯、奢れよな。今度は春香さんも一緒にだぞ」
「おう、春香も一緒な。覚えとく覚えとく」
「ぜってーだかんな!」
大吉は尚継と別れ、バスに乗って桑乃邸へ向かった。
屋敷の門についているインターホンを鳴らす。今度はすんなりと通してもらえた。
「大吉さん」
「よ」
出迎えてくれた陽衣菜に軽く手をあげる。黒を基調にした使用人服を着ている。
「何気にはじめてだな、仕事着の陽衣菜と会うのは」
「そういえばそうですね」
「似合ってるじゃないか」
「ありがとうございます!」
嬉しそうに満面の笑みを見せる陽衣菜。他人まで嬉しくさせる明るさが、陽衣菜のいいところだ。
案内されたのは、屋敷ではなく庭園だった。
背伸びしたひまわりが、太陽に向かって咲いている。
瑞希は、そのひまわりを眺めていた。白いガーデンテーブルに、アイスティが置かれている。
「大吉、このひまわり、陽衣菜に似てると思わない?」
「ん、確かに」
大吉は同意しながら瑞希の斜向かいの椅子に座る。
陽衣菜は大吉の分の飲み物を用意しに行ってくれた。
「昨日、お前の兄貴がきたよ」
「そう。じゃあ、私が当主に就くこと、聞いたのね」
「ああ。骨折り損な結末だ」
「そんなことない。父が私を選ぶとは、ちっとも思ってなかったから驚いたけど、もしあの夜のことがなかったら、私は辞退していたと思う」
グラスの氷が、からんと音を立てた。
「ずっと桑乃の名が嫌で、そんなものは捨てて自由に生きたいと思ってた。でも今は、どんな場所でも自分の意思を貫くことはできる、って気がしてる。だから、桑乃の当主も受けることにしたのよ」
「そうか」
「あなたのおかげよ、大吉」
「よせよ。俺一人じゃなにもできなかった」
ガーデンテーブルにはパラソルが付いていて、陽射しを遮ってくれている。それでも、暑い。真夏日なのだ。
「もし今度、なにか困ったことがあったら言って。そのときは、私が大吉の助けになる」
「そうかい。じゃ、仕事に困ったら、ここの使用人にでも雇ってもらうか。陽衣菜の下で働くのも悪くなさそうだ」
「それはいや。あなたに身の回りのことされたら、落ち着かないもの。それだったら会社の一つでも用意してあげるから、自分でビジネスでもやってみなさいよ」
「冗談だろ。俺が社長って柄かよ」
「そう? 人を惹きつけて大きなことを成し遂げる。素質はあるんじゃない?」
アレッシオに、起業を勧められたことを思い出す。春先のことだ。
今度は、社長ときた。
「普通でいいよ、俺は」
背凭れに身体を預けた。
瑞希とひまわりを眺める。眩しいな、と大吉は思った。
陽衣菜が大吉と自分の分のアイスティを持って、戻って来た。
「なんの話をしてたんですか?」
陽衣菜が隣に座り、アイスティをくれる。受け取り、喉を潤わせた。
「あのひまわりが陽衣菜に似てるって。な」
「そうね」
「ひまわりとわたしが?」
陽衣菜がひまわりをじっと見て自分との共通点を探す。
大吉はグラスを置いて伸びをした。
陽光を浴びるひまわり。その奥の空に、白く大きな入道雲がそびえていた。
やっと、夏休みがはじまる。
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