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桑乃瑞希 15
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-7月19日 PM 7:35-
ガラス張りの壁はブライドを締めきっていた。
なにを、どうすればよかったのか。
普通の公立中学に進学を望んだ。桑乃に住み込みで仕える陽衣菜を、学校に通わせるためでもあったけれど、瑞希自身、ありふれた学校生活に身を置きたい思いはあった。
教室で授業を受けているとき、ふと考えた。
高校。大学。その先の未来。
やりたいことがあった。子どもの頃から好きな世界。どんな形であれ、そこに携わる仕事がしてみたい。
あまりに平凡で穏やかな日々にいたせいで、知らず知らず夢を見ていたのだ。
その結果が、これだ。
現実が、真綿で瑞希の首を絞めつける。
「来ないで。来ちゃだめよ」
どんなに後悔しても遅い。
最上階の部屋の、扉が開け放たれた。大吉。やはり来てしまった。
「よう。塔の上に囚われるなんて、お姫様みたいなシチュエーションだな」
「傷だらけじゃない。私は、もう構わないでって言ったのに」
痛々しい姿から、思わず目を反らす。
「まだ本心を聞いてない。それを聞きに来た」
「言ったはずよ。ずっと覚悟はしてきたって。私はこれ以上、誰にも傷ついてほしくない」
姉が家督を継げば、自分は桑乃の家を存続するための道具として使われる。わかっていたことだ。覚悟はできているはずだった。
「だ、そうだ。無駄骨だったな」
入口に、羽子。大吉がモーションを起こす間もなく、その首根っこを掴んで床に押さえつけてしまう。
「手荒なことはやめて!」
「気にすることはない、瑞希。こいつが死ぬのは誰のせいでもない、こいつ自身の馬鹿さ加減のせいさ」
羽子の手が変容していく。獣のような鋭い爪が、大吉の首にかけられる。
「やめて!」
「瑞希」
大吉に力強く呼ばれた。瑞希はここにきてはじめて、まっすぐに大吉を見た。
「ごちゃごちゃ言ってんな。いいから答えろ。お前はどうしたいんだ」
「この期に及んでまだ―」
「てめえは黙ってろ、羽子。瑞希、お前に訊いてるんだ。俺は関係ない。羽子も桑乃も関係ない。瑞希、お前だ。お前がどうしたいのか、はっきり言ってみろ!」
大吉が発する一語一語が、次々にぶつかってくる。躰が、ぶるりと震えた。失うのは怖い。傷ついてほしくない。けれど、大吉は言う。
「目を反らすな。覚悟なんて言葉で逃げるんじゃねえ。俺はお前を助けるためにここに来たんだ。だから俺に、助けさせろ!」
羽子の言う通り、大吉は底抜けの馬鹿なのかもしれない。
こっちの気も知らないで。だったら、いいわよ。
瑞希は立ちあがった。スプリングの利いたベッドでよろける。足の裏で、しっかりと立つ場所を踏みしめる。
「わかったわよ。言ってあげる」
泣いていた。涙がとめどなく溢れ、洟も垂れてくる。みっともない。けれど構うものか。言ってやる、この大馬鹿男に。
「こんななにもない部屋、もううんざり! 知らない女と、誰が好き好んで結婚するのよ! 姉さんの事情なんて知らないっ。跡継ぎが嫌なら桑乃の家なんて絶やしてしまえばいいわ!」
瑞希は右手を腰に当て、尊大に胸を張り、床に押さえつけられている大吉を指さした。
「大吉命令よっ、私をここから連れ出しなさい!」
肩で息をしていた。
こんなに大声で言いたいことを言ったのは、人生ではじめてだった。
首に突きつけられた、冷たい羽子の爪。
それを無視して、大吉はくつくつと笑う。
「たいしたお姫様ぶりだ」
大吉は羽子に押さえつけられたまま、右手の影から小瓶を取り出した。片手でコルクを外し、中にある欠片をいくつか掌に移す。
「羽子、聞こえたよな。そういうわけだから、瑞希は連れて行かせてもらうぞ」
「無理だね。お前はもう死ぬんだ」
冷淡に言い、羽子の腕が素早く引かれた。
大吉は欠片を飲み込んだ。
切り裂かれた首の傷から、血が噴き出してくる。押さえつける羽子の力が抜けた。
うつ伏せから背を翻し、羽子の顎を掌底でかち上げる。
「ぐっ」
大きく仰け反った羽子を撥ね退け、立ち上がる。
「傷が」
血で胸元の濡れたシャツが冷たい。だが首の出血は止まっていた。羽子は瞠目している。
「簡単に殺せると思うなよ。これが俺のとっておきだ」
大吉は小瓶を顔の前に掲げて揺らす。真紅の結晶が、中でからからと音を立てる。
「吸血鬼の血の結晶だ。亜人の力を使えるのはお前の専売特許じゃない」
「吸血鬼の血を体内に取り入れたのか」
「気になってたんだ。その腕はなんの腕だ」
「獣人、ウェアウルフ」
「人狼というやつかな。吸血鬼と、いい勝負になりそうじゃねえか」
「ほざくなよ。相当の能力があったって、オレとお前とじゃ地力が違う」
「試してみようか」
「上等だ」
羽子が右腕を前に爪を構える。左腕は躰に引きつけ、指を折り爪を手の甲に隠す。
影から短槍を出現させ、大吉から仕掛けた。
突き出した穂先は軽く避けられ、柄の先を斬り飛ばされる。剣の刀身も両断する切れ味の爪だ。石突を振り返そうとしたが、羽子の方が疾《はや》かった。
目を一閃され視界が塞がれる。瞬く間に、全身を切り裂かれた。
肋骨ごと、胸を突き破られる。闇の中で、自分の鼓動を聞く。その鼓動に、羽子の手がかかる。
「チェックメイトだ」
「どうかな」
羽子の腕を掴んだ。
「捕まえた」
目が回復する。
暴れて大吉の手を振りほどこうとする羽子。大吉は関節技をきめ体重をかけようとした。胸の傷穴は塞がっている。
「くそが」
羽子が自ら倒れ、肩が外されるのから逃れた。寝技に持ち込む。体格差がある。こうなれば大吉の方が圧倒的に分がある。
袈裟固め。
羽子が大吉の背中に爪を立てる。構わなかった。このままポンチョの襟で頸動脈を締め、意識を断てば勝てる。
羽子の上体を抑え込んだまま、襟を絡めとろうとした。その瞬間。
「あ?」
床がひっくり返り、瑞希がベッドごと宙に浮いた。浮遊感と吐き気が襲う。
抑え込む力が緩んだ隙に、羽子に抜け出されてしまう。
反撃が来る。身構えたが、羽子は距離を取っていた。
床は足元にあった。ベッドは飛んではおらず、瑞希は自分の身体を掻き抱き、固唾を呑んで勝負の行方を見守っている。
「なにが起こったのかわからねえ、って面だな」
羽子が首を擦りながら言う。
「どうやら吸血鬼の回復力も万能じゃないらしい」
羽子を捕まえるのに、身を削り過ぎたのか。そうするしかなかったとはいえ、血を流し過ぎた。傷は塞がっても失われた血液は戻らない。それを羽子にも気づかれた。
「まるで砂場で棒倒しをする気分だ。削って削って、終いには棒が倒れる」
羽子の声に耳鳴りが重なる。
ポンチョを脱ぎ捨てる羽子を前に、大吉の闘志は眠気に蝕まれつつあった。
「大吉、お前はどこまで立っていられる?」
羽子は首を傾げて見せてから、再び戦闘態勢を取った。
ガラス張りの壁はブライドを締めきっていた。
なにを、どうすればよかったのか。
普通の公立中学に進学を望んだ。桑乃に住み込みで仕える陽衣菜を、学校に通わせるためでもあったけれど、瑞希自身、ありふれた学校生活に身を置きたい思いはあった。
教室で授業を受けているとき、ふと考えた。
高校。大学。その先の未来。
やりたいことがあった。子どもの頃から好きな世界。どんな形であれ、そこに携わる仕事がしてみたい。
あまりに平凡で穏やかな日々にいたせいで、知らず知らず夢を見ていたのだ。
その結果が、これだ。
現実が、真綿で瑞希の首を絞めつける。
「来ないで。来ちゃだめよ」
どんなに後悔しても遅い。
最上階の部屋の、扉が開け放たれた。大吉。やはり来てしまった。
「よう。塔の上に囚われるなんて、お姫様みたいなシチュエーションだな」
「傷だらけじゃない。私は、もう構わないでって言ったのに」
痛々しい姿から、思わず目を反らす。
「まだ本心を聞いてない。それを聞きに来た」
「言ったはずよ。ずっと覚悟はしてきたって。私はこれ以上、誰にも傷ついてほしくない」
姉が家督を継げば、自分は桑乃の家を存続するための道具として使われる。わかっていたことだ。覚悟はできているはずだった。
「だ、そうだ。無駄骨だったな」
入口に、羽子。大吉がモーションを起こす間もなく、その首根っこを掴んで床に押さえつけてしまう。
「手荒なことはやめて!」
「気にすることはない、瑞希。こいつが死ぬのは誰のせいでもない、こいつ自身の馬鹿さ加減のせいさ」
羽子の手が変容していく。獣のような鋭い爪が、大吉の首にかけられる。
「やめて!」
「瑞希」
大吉に力強く呼ばれた。瑞希はここにきてはじめて、まっすぐに大吉を見た。
「ごちゃごちゃ言ってんな。いいから答えろ。お前はどうしたいんだ」
「この期に及んでまだ―」
「てめえは黙ってろ、羽子。瑞希、お前に訊いてるんだ。俺は関係ない。羽子も桑乃も関係ない。瑞希、お前だ。お前がどうしたいのか、はっきり言ってみろ!」
大吉が発する一語一語が、次々にぶつかってくる。躰が、ぶるりと震えた。失うのは怖い。傷ついてほしくない。けれど、大吉は言う。
「目を反らすな。覚悟なんて言葉で逃げるんじゃねえ。俺はお前を助けるためにここに来たんだ。だから俺に、助けさせろ!」
羽子の言う通り、大吉は底抜けの馬鹿なのかもしれない。
こっちの気も知らないで。だったら、いいわよ。
瑞希は立ちあがった。スプリングの利いたベッドでよろける。足の裏で、しっかりと立つ場所を踏みしめる。
「わかったわよ。言ってあげる」
泣いていた。涙がとめどなく溢れ、洟も垂れてくる。みっともない。けれど構うものか。言ってやる、この大馬鹿男に。
「こんななにもない部屋、もううんざり! 知らない女と、誰が好き好んで結婚するのよ! 姉さんの事情なんて知らないっ。跡継ぎが嫌なら桑乃の家なんて絶やしてしまえばいいわ!」
瑞希は右手を腰に当て、尊大に胸を張り、床に押さえつけられている大吉を指さした。
「大吉命令よっ、私をここから連れ出しなさい!」
肩で息をしていた。
こんなに大声で言いたいことを言ったのは、人生ではじめてだった。
首に突きつけられた、冷たい羽子の爪。
それを無視して、大吉はくつくつと笑う。
「たいしたお姫様ぶりだ」
大吉は羽子に押さえつけられたまま、右手の影から小瓶を取り出した。片手でコルクを外し、中にある欠片をいくつか掌に移す。
「羽子、聞こえたよな。そういうわけだから、瑞希は連れて行かせてもらうぞ」
「無理だね。お前はもう死ぬんだ」
冷淡に言い、羽子の腕が素早く引かれた。
大吉は欠片を飲み込んだ。
切り裂かれた首の傷から、血が噴き出してくる。押さえつける羽子の力が抜けた。
うつ伏せから背を翻し、羽子の顎を掌底でかち上げる。
「ぐっ」
大きく仰け反った羽子を撥ね退け、立ち上がる。
「傷が」
血で胸元の濡れたシャツが冷たい。だが首の出血は止まっていた。羽子は瞠目している。
「簡単に殺せると思うなよ。これが俺のとっておきだ」
大吉は小瓶を顔の前に掲げて揺らす。真紅の結晶が、中でからからと音を立てる。
「吸血鬼の血の結晶だ。亜人の力を使えるのはお前の専売特許じゃない」
「吸血鬼の血を体内に取り入れたのか」
「気になってたんだ。その腕はなんの腕だ」
「獣人、ウェアウルフ」
「人狼というやつかな。吸血鬼と、いい勝負になりそうじゃねえか」
「ほざくなよ。相当の能力があったって、オレとお前とじゃ地力が違う」
「試してみようか」
「上等だ」
羽子が右腕を前に爪を構える。左腕は躰に引きつけ、指を折り爪を手の甲に隠す。
影から短槍を出現させ、大吉から仕掛けた。
突き出した穂先は軽く避けられ、柄の先を斬り飛ばされる。剣の刀身も両断する切れ味の爪だ。石突を振り返そうとしたが、羽子の方が疾《はや》かった。
目を一閃され視界が塞がれる。瞬く間に、全身を切り裂かれた。
肋骨ごと、胸を突き破られる。闇の中で、自分の鼓動を聞く。その鼓動に、羽子の手がかかる。
「チェックメイトだ」
「どうかな」
羽子の腕を掴んだ。
「捕まえた」
目が回復する。
暴れて大吉の手を振りほどこうとする羽子。大吉は関節技をきめ体重をかけようとした。胸の傷穴は塞がっている。
「くそが」
羽子が自ら倒れ、肩が外されるのから逃れた。寝技に持ち込む。体格差がある。こうなれば大吉の方が圧倒的に分がある。
袈裟固め。
羽子が大吉の背中に爪を立てる。構わなかった。このままポンチョの襟で頸動脈を締め、意識を断てば勝てる。
羽子の上体を抑え込んだまま、襟を絡めとろうとした。その瞬間。
「あ?」
床がひっくり返り、瑞希がベッドごと宙に浮いた。浮遊感と吐き気が襲う。
抑え込む力が緩んだ隙に、羽子に抜け出されてしまう。
反撃が来る。身構えたが、羽子は距離を取っていた。
床は足元にあった。ベッドは飛んではおらず、瑞希は自分の身体を掻き抱き、固唾を呑んで勝負の行方を見守っている。
「なにが起こったのかわからねえ、って面だな」
羽子が首を擦りながら言う。
「どうやら吸血鬼の回復力も万能じゃないらしい」
羽子を捕まえるのに、身を削り過ぎたのか。そうするしかなかったとはいえ、血を流し過ぎた。傷は塞がっても失われた血液は戻らない。それを羽子にも気づかれた。
「まるで砂場で棒倒しをする気分だ。削って削って、終いには棒が倒れる」
羽子の声に耳鳴りが重なる。
ポンチョを脱ぎ捨てる羽子を前に、大吉の闘志は眠気に蝕まれつつあった。
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