jumbl 'ズ

吸血鬼は朝陽に踊る

フェンガーリン ⑦

ジーンズのズボンが出血で焦茶色に染まる。
血だまりをつくる前に、上着のポケットからスキットルを取り出した。
膝で押さえ、左手でキャップを回し明けて中身の液体を右手首に振りかける。
「フェンガーリンの血液デスね」
猛烈な痒みを伴いつつ手首から右手が再生していく。骨と腱に肉が付き肌が覆っていく。
「予想通りって顔か、そりゃ」
「でなければ、『ナイフtoフォーク』は使いマセン。『フォークto』とは違って、こちらは殺傷性がありマスから」
「このペテン野郎。最初に能力を見せた時のあれは、仕込みだったんだな。俺の注意をフォークに集めるための」
「一を見せて、二を隠す。手品とはそんなものデス」
「ふん」
驚異な能力だが、それだけではない。
能力をどうすれば効果的に発揮できるか、よく考えられている。
けど、それがどうした。
大吉はシャベルを探す。あった。手を伸ばし、柄を掴む。
それを見て、アレッシオがはじめて顔を顰めた。
「『ナイフto』で心を折ったつもりデシタが、まだやるのデスか。理解し難い」
「あぁ？」
立ち上がろうとして、ふらついた。
吸血鬼の血で治しても、失った血液まで戻りはしない。
「なぜそこまで。たかだか数日一緒にいただけデショウ。本来関わるはずもなかった相手だ。なのに、そこまで身体を張れるものデスか」
心底納得がいかないといったふうなアレッシオの口振り。
「俺もそう思うよ。けど、中にはいるんだ。そういう奴が」
大吉は春香をちらりと見る。
「それに、泣いてたんだ」
「？」
シャベルを地面に突き立て身体の支えにし、立ち上がった。
「泣いてたんだよ、あいつ。洟垂らしてうおんうおんって、あのなりしてな」
「ちょ、ちょお！　無事やったのはよかったけどハズイからあんま堂々とそれ言うなや！」
後ろで慌てふためくフェンガーリン。
アレッシオがにやりと口を歪めた。
「それで、同情したと？　たったそれだけの理由で？」
「悪いかよ。目の前であんなふうに泣かれて、放っておけるやつは、男じゃねぇ」
怒りをバネにして大吉は飛びかかった。
シャベルを打ち下ろす。アレッシオの溜息。軽く躱され、シャベルの刃が地面にめり込む。
隙ができた。アレッシオはそれを見逃さない。こちらの読み通りだ。
フォーク。腰を反らして上半身で避け、突き出されたアレッシオの腕をアッパーで打つ。
「っつ」
フォークを取りこぼした。勝機。大吉はそれを見た気がした。
「仕方ありマセン」
能力を封じた。だが、アレッシオに一片の焦燥もない。
「美食探求の障害を、排除する」
アレッシオが静かに言った。上体を揺する。一歩が、でかい。アレッシオの身体がぴたりとくっつくぐらい近くに来る。
反射的に後ろに跳んだ。胸を二度、突かれた感覚があった。
なぜだ。フォークは奪ったはず。見た。アレッシオの右手には、安いプラスチック製のフォークがあった。
アレッシオの冷え切った瞳。
悩む余裕はなかった。
大吉はスキットルの中身を一息に飲んだ。

意識が、一瞬途切れた。

冷え冷えとしていたアレッシオの目が、いまは大きく見開かれている。
「大吉、このあほ！」
フェンガーリンに抱きかかえられていた。
「なにが起きた」
「頭が取れて、首から血がビャーてっ」
フェンガーリンは相当混乱している。耳元でちょっとうるさい。
「ウチの血、飲んだんか。それはあかんって言ったやろ！」
「ああ。だけど、飲んでなかったら死んでた」
「うっ、それは、そうやけど」
春香は蒼白になっていた。ひらひらと手を振り無事をアピールしたが、言葉を発せないでいる。
「まさか、あのいかにも特別ですって感じのアンティーク品までフェイクだったとはな」
『ナイフtoフォーク』は、あのアンティークナイフとフォークでしか発動できない。勝手にそう思い込んでいた。仕草やその物の雰囲気を利用し、思い込ませたのか。
「なにを暢気に」
フェンガーリンの慄ふるえが伝わってくる。大吉はフェンガーリンの膝から起き上がる。
「俺は吸血鬼になるのか？　いや、もうなったのか？」
いざという時の回復用に、血を受け取っていた。その時に、血は飲まない、と約束させられた。
それを破ったから怒っているのか、フェンガーリンは答えない。
しかし、ああしなければ死んでいたのは、フェンガーリンも理解している。
「人間が吸血鬼になることはあり得マセンよ」
「アレッシオ」
「吸血鬼の血は、人間の血とは混じりマセンから。水と油のようにね。デスが、治癒力は人間のそれではなくなっているようデスね」
「みたいだな」
「吸血鬼の血を飲んだ人間を見るのは、はじめてデス」
首を鳴らした。頭が落ちた瞬間の記憶は当然ないが、首に違和感はある。
「殺そうとしやがったな」
「スミマセン、少々感情的になりマシタ」
「本気にさせたってことか？」
「認めまショウ」
「そらどうも。じゃ、そろそろ終いにするか」
大吉は拳を構えた。
失血のふらつきは収まっているが、長く動けそうにはない。
体内を流れているはずの吸血鬼の血は、傷を治す以上のことはしてくれないらしい。
感覚が鋭くなったり、力が強くなった感じはない。
命を一度拾った。それで十分だった。
二つの血は混じらないという。なら、吸血鬼の血は身体に残り続けるのか。
後のことは、後で考えればいい。
大吉は想念を断ち、駆け出した。
アレッシオへの怒りが消えていた。この男を倒す。その意志だけがあった。
間合いに入った。アレッシオが迎え撃ってくる。
週刊少年ステップ。ナイフを雑誌の表紙で受け止めた。にやり、と大吉は笑った。影に忍ばせておいた切り札だった。
「散々意表を突かれたお返しだ」
「お見事」
大吉のアッパーは、アレッシオの顎をしたたかにかちあげた。