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吸血鬼は朝陽に踊る
フェンガーリン ④
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白い天井、若草色のソファ。この数日間ですっかり見慣れた、春香の家のリビングだ。
眠っていたのか。
フェンガーリンは額に張り付いた前髪を掻き上げた。
「すごい汗」
「あー…、夏にこたつで火鍋食べとる夢みてな。それより、もう学校終わったん? まだ昼過ぎやないか」
「えへへ、早退してきちゃった」
「そらまたなんで、」
と言いかけて、少し離れて大吉がいるのに気づいた。
「聞いたんか、ウチのこと」
「少しだけ。昨日の夜から、フェン、なんだか様子が変だったから。そしたら大吉が、自分が無神経なことを訊いたって。それ以上はなにも」
「そか」
「だから、具合が悪いんですって言って大吉と学校早退してきちゃった」
「悪いやっちゃな」
「えへへ」
春香がぺろっと下の先を出して肩をすくめる。
「一度言い出すと聞かないんだ。頑固なんだよ、案外」
大吉がダイニングの方からやってきた。
春香は大吉に軽く肩を叩かれると、立ち位置を譲って身を引いた。
「悪かった、フェンガーリン。あいつ、アレッシオの言葉を鵜呑みにした気はなかった。でも、お前を傷つけたと思う」
一拍置いて、ごめん、と大吉が頭を下げる。
こんなふうに、まっすぐ向き合われたのはいつぶりだろうか。
日本に来る前も人の社会に身を隠して生きてきた。
ほとんど歳を取らないので、一ヶ所に長くは居られない。ヨーロッパ諸国を転々としていた。
様々な人間がいるのだと、そこで知った。欺瞞だけが、人間のすべてではなかった。
それでも心のどこかで、一線は引いていた気がする。
「不器用なやっちゃな、お前さんは。律儀すぎるで。わかっとった、大吉に悪気がないのは。だからもうええ」
フェンガーリンは胡坐をかいた脚の上で組み合わせていた手を、きゅと握り締めた。
「や、むしろ謝らなあかんのは、ウチの方や」
震え出しそうになる唇を噛む。
極東の島国まで逃げてきたというのに、あの男、アレッシオは自分を追ってきた。そして今、二人を巻き込む状況になりつつある。
はじめて訪れた土地で頼れる者もなく、半ばやけっぱちにこの二人に正体を明かした。
信じられないか、逃げられるか。
吸血鬼を飯の種にする連中を呼ばれる可能性も、なくはなかった。
二人は、得体の知れない自分を受け入れてくれた。
そんな二人には、これ以上隠してはおけない。話さなければならない。
「ウチは何万っちゅう人間の犠牲の上に、太陽を克服した。アレッシオが言ったことは、ほんとうのことやねん」
黙ってて堪忍な、と無理矢理笑みを作ろうとした。
「でも、それが全部じゃないんでしょう」
「春香」
春香はダイニングテーブルに畳んで置いていた腕編みのマフラーを取り、感触を確かめるように握る。
「私たちは、長い時間を生きてきたフェンガーリンのほとんどを知らない。でも、出会ってからのあなたのことなら知ってるの。
アニメを観てるとどんどん画面に近寄って行っちゃって。お風呂では楽しそうに鼻歌を歌って。ご飯を食べるときは幸せそうな顔になる」
春香が肩に黒いマフラーをかけてくれる。
「私があげたマフラー、とっても大切にしてくれてる。
無理に話そうとしないで。言いたくないことは、言わなくていい。それでもちゃんと伝わることは、伝わってるから」
堪えるのも忘れ、唇が震えた。漏れ出た吐息は湿っている。
マフラーを濡らしそうになり、顔を上に向けた。
駄目だった。
涙は、次から次へとめどなく溢れてくる。
「なんやねん、あほぉ。名前を貰って以来なんや、こない温かいもん、誰かに貰うたんは。大切にするに決まってるやろぉ」
春香が頷いた気配がした。
フェンガーリンは、積年の溜まりに溜まったものを放出するように、うおんうおん、と泣く。
「ダムの放水みたいだな」
「うっさいわぼけぇ」
洟でぐずぐずになりながら、フェンガーリンは大吉に言い返した。
眠っていたのか。
フェンガーリンは額に張り付いた前髪を掻き上げた。
「すごい汗」
「あー…、夏にこたつで火鍋食べとる夢みてな。それより、もう学校終わったん? まだ昼過ぎやないか」
「えへへ、早退してきちゃった」
「そらまたなんで、」
と言いかけて、少し離れて大吉がいるのに気づいた。
「聞いたんか、ウチのこと」
「少しだけ。昨日の夜から、フェン、なんだか様子が変だったから。そしたら大吉が、自分が無神経なことを訊いたって。それ以上はなにも」
「そか」
「だから、具合が悪いんですって言って大吉と学校早退してきちゃった」
「悪いやっちゃな」
「えへへ」
春香がぺろっと下の先を出して肩をすくめる。
「一度言い出すと聞かないんだ。頑固なんだよ、案外」
大吉がダイニングの方からやってきた。
春香は大吉に軽く肩を叩かれると、立ち位置を譲って身を引いた。
「悪かった、フェンガーリン。あいつ、アレッシオの言葉を鵜呑みにした気はなかった。でも、お前を傷つけたと思う」
一拍置いて、ごめん、と大吉が頭を下げる。
こんなふうに、まっすぐ向き合われたのはいつぶりだろうか。
日本に来る前も人の社会に身を隠して生きてきた。
ほとんど歳を取らないので、一ヶ所に長くは居られない。ヨーロッパ諸国を転々としていた。
様々な人間がいるのだと、そこで知った。欺瞞だけが、人間のすべてではなかった。
それでも心のどこかで、一線は引いていた気がする。
「不器用なやっちゃな、お前さんは。律儀すぎるで。わかっとった、大吉に悪気がないのは。だからもうええ」
フェンガーリンは胡坐をかいた脚の上で組み合わせていた手を、きゅと握り締めた。
「や、むしろ謝らなあかんのは、ウチの方や」
震え出しそうになる唇を噛む。
極東の島国まで逃げてきたというのに、あの男、アレッシオは自分を追ってきた。そして今、二人を巻き込む状況になりつつある。
はじめて訪れた土地で頼れる者もなく、半ばやけっぱちにこの二人に正体を明かした。
信じられないか、逃げられるか。
吸血鬼を飯の種にする連中を呼ばれる可能性も、なくはなかった。
二人は、得体の知れない自分を受け入れてくれた。
そんな二人には、これ以上隠してはおけない。話さなければならない。
「ウチは何万っちゅう人間の犠牲の上に、太陽を克服した。アレッシオが言ったことは、ほんとうのことやねん」
黙ってて堪忍な、と無理矢理笑みを作ろうとした。
「でも、それが全部じゃないんでしょう」
「春香」
春香はダイニングテーブルに畳んで置いていた腕編みのマフラーを取り、感触を確かめるように握る。
「私たちは、長い時間を生きてきたフェンガーリンのほとんどを知らない。でも、出会ってからのあなたのことなら知ってるの。
アニメを観てるとどんどん画面に近寄って行っちゃって。お風呂では楽しそうに鼻歌を歌って。ご飯を食べるときは幸せそうな顔になる」
春香が肩に黒いマフラーをかけてくれる。
「私があげたマフラー、とっても大切にしてくれてる。
無理に話そうとしないで。言いたくないことは、言わなくていい。それでもちゃんと伝わることは、伝わってるから」
堪えるのも忘れ、唇が震えた。漏れ出た吐息は湿っている。
マフラーを濡らしそうになり、顔を上に向けた。
駄目だった。
涙は、次から次へとめどなく溢れてくる。
「なんやねん、あほぉ。名前を貰って以来なんや、こない温かいもん、誰かに貰うたんは。大切にするに決まってるやろぉ」
春香が頷いた気配がした。
フェンガーリンは、積年の溜まりに溜まったものを放出するように、うおんうおん、と泣く。
「ダムの放水みたいだな」
「うっさいわぼけぇ」
洟でぐずぐずになりながら、フェンガーリンは大吉に言い返した。
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