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10. 寄宿学校へ

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 年が明け、新しい一年が始まる。王立フォンテーヌ寄宿学校の冬学期ウィンター・セメスターも間も無く始まる。
 寄宿学校へと続く一本道には、まだ裸の木々が寒そうに整然と並び続いており、その道を貴族の馬車コーチが一台走っている。

 「見て、ガウル! きっとあれよ!」

 グレースが車窓から見えた建物を指差す。そこには大教会のような造りの広大な建物が堂々たる威容を誇っていた。
 
 「やっぱり王立は格が違うなぁ……」

 この馬車にはジブリールも乗っている。彼は一応グレースの保護者的な役割だ。
 ロザリオ領を出発したのは年の暮れであった。実家を出発して真っ直ぐ向かったのは寄宿学校ではなく、王都の近くにロザリオ侯爵が所有している別荘だった。そこでまず全員の荷物を降ろし、グレースは学校に持っていく荷物をまとめ直して不要な物は別荘に置いた。
 それから、学校の始業に間に合う様に、グレースとジブリール、そして護衛としてガウルの三人が馬車で寄宿学校に向かったのだ。ディアナは別荘の使用人達に指示を出して久しぶりに人が暮らす屋敷を整えていた。
 
 学校に到着し、まずは登録課窓口で諸々の手続きを済ませていると、年配の女子寮長が迎えに来てくれ、そのまま寄宿舎へ案内された。学舎と繋がる真っ白な石造りの長い廊下を歩いていくと学生寮に繋がっていた。男子の方が圧倒的に人数が多いため、3階建ての学生寮の建物の殆どが男子寮である。女子寮へは男子寮入口手前で分岐した廊下の奥へと更に進んで行き、学舎からも男子寮からも少し離れた場所にあった。

 「グレース嬢は国王陛下がご準備してくださった特別室になります」
 「「え゛?」」

 グレースだけでなくジブリールも国王陛下と聞いて仰天した。

 「ここから先は男子禁制ですので、ご家族の方ともここでお別れください」
 
 グレースはまだ驚いた表情のジブリールの肩を叩き、帰るように促す。

 「とにかく……頑張れよ。そばにいるのはお前のためなんだから、何かあったら連絡しろ」

 珍しくジブリールが兄らしく振る舞う。

 「あ……ありがとう」
 「じゃあ、また近々会いにく——」

 しんみりとした別れの最中に突然甲高い声が、ジブリールが背を向けていた女子寮の方から割り込んできた。

 「きゃああぁぁあああ~!! ジブリールさまぁぁ!!」

 ジブリールは上を向いて目を瞑り、グレースに問う。

 「おい……あの声が聞こえるか……」
 「ええ、しっかりと。そして、私には駆け寄って来る姿もしっかりと……」
 「そうか……」

 ジブリールの空耳ではなかった。空耳だったら良かったのに……とゆっくり目を開けて悟りを開くと、頭の中でカチンコが打たれ、両手を広げてくるりと振り返った。

 「ああ、トリシア嬢!! まさかこんな所で会えるとは!!」
 
 主演俳優である。
 トリシアはその胸に飛び込んで行った。

 「何故ジブリール様が!? まさか、わたくしに会いにきてくださったのですか?」
 「いいえ、グレースが入学するので父の代理で来ただけです」
 
 作り込まれた笑顔で答えるジブリールに、トリシアは頬を染めながら真剣な眼差しを向ける。

 「恥ずかしがらないでください……ちゃんとわかっていますよ……」

 ジブリールは笑顔が崩れそうだったので、トリシアをギュッと抱きしめて顔を見られないようにして、グレースを睨みながら「お前のせいだぞ」と口パクで訴えてくる。トリシアは思い切り抱きつきながら埋められた顔をジブリールの胸にすりすりしていた。

 「では、グレース、私はしばらく会いに来れないから、何かあったらお前から連絡しなさい」

 ジブリールはトリシアを引き剥がして足早に帰って行った。
 名残惜しそうに片手をジブリールに向けて伸ばし、彼の後ろ姿を見つめ続けているトリシアを、グレースは放っておいて女子寮に入ろうとすると、案の定呼び止められてしまう。

 「ちょっと」
 「あ、はい」
 「入学したの?」
 「ええ、まあ」
 「部屋はどこ?」
 
 その質問にグレースは答えられないので、女子寮長の顔を見る。女子寮長はその視線を理解してトリシア嬢に答えた。

 「今からご案内するのですが、三階の一番端の部屋でございます」
 
 それを聞いたトリシアは驚愕した。

 「あ……あの部屋? なんで辺境伯の娘があの部屋を使えるのよ!」
 「トリシア嬢、その発言は淑女として相応しくありませんよ。グレース嬢のお部屋は国王陛下がご準備されました」
 「国王陛下ですって!?」

 トリシアが黙ってじっとグレースを見る。

 「いいわ。私も一緒に部屋まで行くわ」
 「はあ!?」

 何故かグレースの部屋までトリシアがついてきた。黙ってても良かったのだが、彼女の視線が痛く、部屋まで続く廊下を歩きながら仕方なしにトリシアと会話をした。

 「トリシア嬢はここで暮らしながらパーティーにどうやって参加していたんですか?」
 「貴方ここで何を学ぶか知らなくて来たの? 授業の一つに社交界で相応しい振る舞いを学ぶ科目があるでしょ? いわばパーティーへの参加は実技よ。参加するための移動時間など含めて全て出席扱いな上に、通常授業よりも高い成績評価を貰えるの」
 「あー、なるほど、じゃあ通常授業で成績悪かったらパーティーに参加すればいいのね」
 「ちょっと、何かパーティーに参加しまくってた私を遠回しに馬鹿にした?」

 グレースは最後のセリフは聞かなかったフリをして黙って歩き続けた。

 「ちなみに王太子殿下もここの生徒って勿論知ってるのよね?」
 「え!?」
 「うっそ、国王陛下に部屋を準備して貰っておいて知らなかったの?」
 「知らなかった……」
 「でも殆ど来ないわよ。寮に部屋もあるみたいだけど、王太子の特権で基本ここでは暮らしてないみたい。必要な授業の時だけ来てるみたいだけど、私はお会いした事ないわ。それくらい、来るのは稀よ」

 トリシアはどの授業の先生が評価甘めだとか、どの道を通ると短縮して教室に着けるなど色々と教えてくれたので、部屋までの彼女との時間は案外苦痛ではなかった。
 寮は基本的には二人部屋だが、数少ない特別室だけは個室で他の部屋とは隔てた場所にある。

 「ありがとう、トリシア嬢。これからよろしくお願いね」
 「そうだ、貴方気をつけた方がいいわよ。セニから薬物を買ってた奴がいて、セニが捕まった事で買えなくなって逆恨みしてるかもしれないから。貴方がセニを捕まえたかまで知ってるかはわからないけどね」
 「そんな事まで気に掛けてくれてありがとう。トリシア嬢って、意外といい奴よね」
 「意外は余計」
 
 「それではグレース嬢、午後には教育プログラムとこの学校の規則の説明を受けに教室まで来てくださいね」

 女子寮長とトリシアは、来た廊下をまた戻って行った。

 午後、指定された教室にグレースは向かう。学舎の建物に入ってしばらく歩くと、ちらほらと生徒達の姿が現れ始めた。聞いていた通り、黒の燕尾服の制服を着た男子生徒ばかりだ。年頃の男子達は珍しい女子生徒を見掛けソワソワし始めた。

 (なんか……視線を感じる……)

 そして、グレースの容姿が美しいこともあり、注目は増すばかりであった。

 教室に入り、最後列の木製の長机の席に着いた。入口に近かったから手っ取り早くそこに座っただけだ。
 すると数名の男子生徒達が教室に入って来て、グレースの前や横に立って話し掛けてきた。
 
 「やあ、レディ。名前は?」
 「こんな時期に入学? 案内しようか?」
 「婚約者はもういるの?」

 グレースが飢えた雄の群れにドン引きしていると、また一人教室に誰かが入ってきた気配が背中にした。

 (また一人増えた……)
 
 グレースはうんざりしてきて、そろそろ全員シメるかと思った矢先、部屋に入ってきた男がグレースの隣の席の椅子を引いて勢いよく腰を下ろし、両足を机の上にドカッと乗せた。

 「俺の女に近づいてんじゃねーよ」

 それは着崩した学生用燕尾服を着たビリーであった。
 男子生徒達はビリーの睨みに脅威を感じて恐れ慄き、部屋を出て行った。

 「……何してんの? その格好は何?」
 「俺は前からここの生徒だ」
 「は……はあ???」
 「忙しすぎて殆ど来てないけどな」
 「ここ、全寮制なんだけど」
  
 ビリーは口角を上げてグレースを見る。

 「俺は特別な待遇なんだよ」
 「本当、あんた何者なのよ……」

 結局、教育プログラムと学内規則の説明もビリーは隣に座ったまま一緒に受けて、女子寮に戻るまでずっっっとついてきた。

 「何でくっついてくんのよ」
 「また変な奴らに口説かれてたらムカつくから」
 「てかさ、いつからあんたの女になったのよ、私」
 「違うの?」
 「違うわっ!」

 女子寮入口に着くが、そこから先はビリーは男なので入れない。

 「じゃあねっ!! はい、行った行った」
 「チッ」

 グレースはビリーを手で払い、男子寮に戻るよう追い払った。
 ビリーの姿が見えなくなった後、彼の分の学校資料が誤ってグレースの資料と混ざっている事に気がついた。

 「うそぉ。追いかけなきゃいけないじゃん」

 急いでビリーの後を追うと、男子寮近くの談話室から突然出てきた生徒とぶつかってしまう。
 
 「「……あ……」」

 お互いに目を合わせて言葉を失う。
 ぶつかった相手は学生服を着たフランソワ王太子だった。
 もちろん、それはビリーなのだが、グレースはまだ気がついていないので、突然のフランソワの登場にただただ顔を赤くして固まるだけだった。
 そしてビリーは、フランソワの姿でグレースにはなるべく会いたくなかったのだが、寮の王太子専用特別室に戻るにはフランソワに戻る必要があったので、誰もいない部屋でイヤーカフを外して出てきた所だった。

 「ごっ……ご機嫌よう、王太子殿下……」

 あの夜のキス以来の再会に、グレースは緊張してうまく喋れない。

 「あ……え……ああ、お久しぶりですね」

 会いたくなかった姿で会ってしまい、ビリーもといフランソワも動揺してうまく喋れない。
 グレースとは今後フランソワの姿で会うのは控えるつもりだった。でないと、ビリーの自分が彼女の心に入れなくなりそうだったからだ。

 「では、また!」

 フランソワは片手を上げて颯爽と去ろうとする。
 だが、グレースは下がっていた手を握って止めた。

 「待ってください!!」

 グレースは真剣な表情でフランソワを見ている。

 「この度は、身に余るご厚意に感謝申し上げます」

 二人は見合い、しばらく沈黙する。

 「……いえ、事件を解決してくださった御礼と、貴方にはこちらで学ぶだけの可能性を感じまして……(本当はもっと頻繁に会いたくて、王都に呼ぶ手段が寄宿学校への推薦だったのだが……)」

 フランソワはそっとグレースの握る手を離し、男子寮に戻ろうとする。

 「では、失礼」
 「待ってください!」

 フランソワは唇を噛み、仕方なしにもう一度グレースの方へ振り返る。

 「まだ何か?」
 「何でキスしたんですか?」

 フランソワは固まった。今この姿で「感情を抑えられなくなるほど君が好きだから」と言えば、きっとグレースは自分の事をフランソワの姿でしか愛せなくなるかもしれない。
 
 グレースはまっすぐな眼差しを向けている。

 「それは……」

 グレースは固唾を呑んだ。

 「今は言うべきではないので」 
 「え……」
 「では」

 フランソワは足早に男子寮に戻って行った。

 グレースは期待していた言葉が聞けずがっかりして部屋に戻る。そしてそのままベッドにダイブすると、濃い一日に疲れ果てて眠ってしまう。


 ——ああ……また始まる……最近多いな……。


 ゆかりの部屋の本棚には、表紙を正面に向けて飾られた絵本がある。大和やまとはそれに手を伸ばし、ゆかりがゴロゴロしていたベッドに座って読み始めた。

 「何でこれ飾ってんの?」
 「ああ、それ? 大事なの」
 「何で?」

 ゆかりは起き上がり、大和やまとの横に座る。
 「ほら、うち親が夜の仕事で家にいないから、小さい時一人で過ごす夜が怖かったのよ。その時にこの絵本を学校の図書室で見つけて、これを読んでいたら夜が怖くなくなったの」
 「こんなんで?」
 「こんなん言うなや」
 
 ゆかりが睨むと、大和やまとはやり取りを楽しんで笑う。

 「この絵本の王子様はね、私の王子様なの。暗い夜に怯えていた小さな私を守ってくれたの。あ~、こんな王子様と恋するお姫様になりたぁーい」
 「おい、俺がいんだろーが」

 今度は大和やまとゆかりを睨みつけ、ベッドに押し倒す。

 「俺がお前の王子様だよ」
 「こんなガラの悪い王子様がいるかっつーの」
 
 
 大和やまとの唇がゆかりの唇に触れる直前、突然扉を叩く音が頭の中に響いて目を覚ます——。
 

 グレースは飛び起きた。

 目を向けた窓の外は既に真っ暗だった。
 
 扉の音は現実の世界の音で、夢の中ほど響いた音ではないが、今もコンコンと叩く音がする。
 慌てて扉を開けに行くと、廊下にはビリーが立っていた。

 「しっ」

 ビリーはグレースの口を塞いで部屋の中に入り、扉の鍵を閉める。

 「な……何する気? 変な事したら叫ぶわよ」
 「何もしねーよ」

 ビリーは強姦するかのように扱われ、不服そうである。

 「一人の夜は大丈夫なのか心配になって。家族や侍女とかと離れて一人で過ごすのは初めてじゃないのか?」
 
 グレースはビリーに言われて気がついた。どこかに泊まり掛けで出掛ける際は、必ず隣の部屋や近くの部屋には家族の誰かかお付きの者がいた。初めて家から離れた暮らしだが、でもここはまったくの独りの夜という訳ではない。寮なので沢山の生徒がいる。

 「いや、沢山人いるし」
 「ああ、確かに」

 でもグレースはそんな事を心配して女子寮に忍び込んできたビリーの気持ちが嬉しかった。

 「まあ、せっかく罰を覚悟で女子寮忍び込んだんだから、お茶でも飲んでいったら?」

 言ったそばからグレースのお腹の音がぐぅーと鳴ってしまう。寝過ごして夕飯を食べそびれていた。
 だがビリーはそれも見越していたようで、手に持っていた袋をグレースに投げ渡す。中を見ると、パンとりんごが入っていた。

 「あ……ありがとう」
 
 グレースの部屋は特別室なので、簡単なキッチンがついていた。液化魔石ガスを燃料にしたコンロがあるので、そこでお湯を沸かして紅茶を入れる。
 
 席について、ビリーは紅茶を飲み、グレースはパンを食べる。

 「俺さ、昔、夜眠れなくなった時期があるんだよ」
 「ビリーに?」

 ビリーはクスッと笑いながら「ああ」と頷いた。

 「だから、お前も一人の夜に怯えてたらなあって心配になって」
 「何で眠れなかったの?」
 「内容は覚えてないけど、夢を見るのが怖かったんだよ。だからずっと起きてた」
 「意外」
 「繊細だろ?」
 「じゃあ、また怖くなったらここに来たら?」
 「え?」

 ビリーはグレースの提案に目を丸くした。

 「お前……そういうの、善意でも他の男には絶対言うなよ」
 「は?」

 ビリーは立ち上がり、ティーカップをキッチンで軽く洗ってから扉に向かった。

 「じゃあ、おやすみ。また来るな」

 ビリーは呆気なく帰って行った。

 「ティーカップ洗って帰るとか……マメな奴ね」
 
 
 
 
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