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17. 距離

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 有村隊長と別れた藍は、遅番の時間まではまだ時間があるので、青と合流する為にも一度官舎に戻る事にした。
 有村隊長はさすがに今日はちゃんと家に帰るようで、庁舎へは戻らなかった。

 藍は自分の部屋の襖を開けようとすると、隣の青の部屋からガタンっと大きな音がして驚いた。
 心配で青の部屋の襖をノックするが返事がない。確かに大きな物音がしたのに、返事がないのはおかしい。
 不審に思った藍は、刀に片手を添えながら、青の部屋の襖を思い切り開けた。

 「あ……」

 スーツ姿の青が布団も敷かずに畳の上で爆睡していた。
 青の部屋の時計を見れば、まだ勤務の時間まで十分時間があった。
 藍は襖を静かに閉めて、青の部屋の隅に畳まれていた掛け布団を手に取り、そっと青に掛ける。
 そして青の横に座り、彼の頭を撫でながら青の耳元で小さな声で囁いた。

 「非番でも、制服をちゃんと着用しないとダメじゃないか」
 
 藍は寝ている青を見て、ふつふつと欲望が生まれてきた。彼は今意識がない。自分は夜勤から昼間の有村隊長の随行で、疲労と眠気のピークで思考がおかしくなっている。藍はそう思い、一世一代の悪事を強行することにした。

 自分もごろんと横になって同じ目線の位置で青の顔をまじまじと見た。

 (なんて綺麗な顔立ちなんじゃろ……容姿が良かだけでなっ、礼儀正しゅうて、勤勉で、思いやりもあって、青は凄かね)

 藍は青の顔を見れば見るほど触れてみたくなってきた。
 青を起こさないように、そおーっと彼の唇をなぞる。 

 「キス……したいなあ……」
 
 だんだんと目頭が重くなり始め、睡魔に抗えなくなってきて、藍も眠ってしまった。

 藍の寝息が聞こえてくると、青の目がゆっくりと開く。

 「今……なんて言うた……」

 藍が襖を開けた時に実は青は目が覚めていた。

 すぐに起きあがろうとしたが、藍が静かに襖を閉めるので、これから起こる事を期待して寝たふりを続けたのだ。
 
 青は起き上がらずに横になったまま、隣で寝ている藍を見る。

 自分だけ布団を掛けているのもどうかと思い、布団を掴み藍にも掛かるようにした。だが藍に布団がしっかり掛かるようにすると、自分の背中が出てしまう。秋も終わりが近づき、間も無く冬を迎えるこの時期の夕方は、羽織るものもなく畳の上でごろ寝は寒さを感じずにはいられない。
 青は自分の背中も隠れるくらいに藍に身体を寄せて布団に入った。自分で近づいておきながら、この距離はかなり心拍数が上がる。
 青はすやすやと眠る藍の寝顔を見る。藍のこんな姿を独占できている事に心が満たされ、彼女の寝顔に愛しさを感じる。青は藍の頭を優しく撫でると、その指と視線を滑らせるように藍の頬に持って行き、親指で彼女の唇をなぞった。

 藍がパッと目を覚ました。

 二人は至近距離で見つめ合い、お互いに何が起こったかと困惑して固まっていた。
 
 「あの……青……指」

 藍は自分の唇に触れている青の指のことを指摘した。

 「ああ、これは……」

 青はそう言って手を離すと、すぐにその手を藍の後頭部に持って行く。
 そして、青は流れるように藍に唇を重ねてきた。 
 藍は、まったく抗えなかった。
 むしろこのまま時間が止まればいいのにとさえ思いながら、本能のまま、青と唇を重ね続ける。

 青がキスを止め、藍に囁く。

 「愛してる、藍」
 
 藍は青を見つめながら、何も答えられなかった。

 藍は起き上がり、乱れた髪を結いなおす。

 「青、そろそろ任務の時間だ」

 青は込み上がる気持ちをグッと抑え、自分も立ち上がり頷いた。

 「すぐに支度をします」

 二人は今夜の任務場所まで、一言も声を交わすことなく向かった。
 本日の任務は、昨晩の戦闘状況の報告書を仕上げるために、もう一度現場の確認が必要で、今夜も上野不忍池へと向かう。
 
 「新政府軍と彰義隊との戦いで、ここら辺は焼野原になったんだ」

 藍の指し示す不忍池から恩賜公園一帯は今は綺麗に整備されていた。

 「戦死した彰義隊の遺体は放置され、遺族の引き取り希望は受け入れられず、生き残った者は厳しい取り調べがあり、旧幕府側で戦った数ある隊の中でも彰義隊への処遇は最も厳しかったそうだ」
 「勝てば官軍、負ければ賊軍……」
 「有村隊長が彰義隊の生き残りの者と一緒になって、ここに彰義隊の墓を建立出来ないか今掛け合っているそうだ」

 突然、物陰からクスクスと笑う声が聞こえてくる。
 昔から不忍池は怪談話などが多かったが、まさか本当に霊でも出てきたのだろうかと、藍と青は声のする方向を凝視した。すると物陰がガサガサと動き、人が現れた。

 「驚かせてすいません。彰義隊の墓と聞いて思わず堪えきれず……」

 物陰から出てきたのは帽子に着物の姿の妖艶な男だった。

 「あ、貴方」

 その男は銭湯の帰りに会ったあの男であった。
 
 「今晩は。またお会い出来ましたね、お嬢さん」

 青は男から微かに香る匂いで、藍に羽織を渡した男だと分かり、顔をしかめる。
 男は青の視線に気づいていたが、藍だけ見て話を続けた。

 「彰義隊の恨みは、墓の建立なんかで収まるのでしょうか」
 「え?」
 「お嬢さん、亡くなったご主人も元武士ですよね」
 「……ええ。私そこまでお話しましたっけ?」
 「私なら、貴方の無念を晴らせますよ」
 「無念?」

 青は拳銃ではなく刀の鞘を握り、いつでも戦えるように構えた。やっと男は青と視線を合わせる。

 「おっと、物騒な事はよしてください。私はただお話をしているだけです」

 男と青が睨みあって動かない。
 藍は男に向かって話した。

 「私に無念はありません。貴方、名前は?」

 藍の質問に、男は笑顔を見せた。

 「藤路とうじと呼んでください」

 青は藤路を鋭い視線で睨みながら言葉を直球でぶつける。
 
 「貴方が士族を異形に変えているんだろ?」
 「はっ、どこにそんな証拠があるんですか?」

 藤路はおかしそうにクスクスと笑ったあと、藍に視線を向けて微笑む。

 「藍さん・・・、またお会いしましょう」

 手を振り去って行こうとする藤路に、青は待てと叫ぶが、彼は一瞥しただけで背を向けて下谷御徒町しもやおかちまち方面へと消えて行った。

 「下谷御徒町……武士の住む町の方角……」
 「それは何だか嫌な予感しかしないな。追うぞ、青」
 「はい、先輩」

 二人はすぐに追いかけたが、想像以上に藤路の歩みは速かったようで、距離がかなり開き見事に見失った。


 
 

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