聖ロマニス帝国物語

桜枝 頌

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78. 獅子の尾を踏む

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 ジュエリアは大広間の壁に掛けられた、数多くの肖像画を眺めている。ここには歴代のフロリジア公や、その家族の絵が掛けられている。幼かった頃のジュエリアとミアを描いたものもあり、絵の中では二人仲良く寄り添っていた。
 今朝、ミアは可愛らしい男の子と女の子の双子を出産し、そのまま息を引き取った。

 静かに涙を流すジュエリアに、シベリウスが何も言わずに、一歩下がった位置で見守っている。

「ねえ、シヴィ……」
「なんだい?」
「ミアを殺したのは私ね」
「何を馬鹿な事を」
「私が逃げてばかりいたから……自分が一番可哀そうだと、自分の責任すら考えようともしなかったから。たった一人の妹を羨むだけで、彼女の苦しみにも、自分が恵まれていた事にも気づいていなかった」
「ジュエルは何も悪くないよ。……ただ、そう思うなら、これからの人生で悔いなく自分の役目を全うすればいい」
「ええ、もちろんよ……」

 大広間にカルネルが入って来た。

「ジュエリア様、近衛騎兵隊が爆薬は安全な場所に移動させたそうです」
「ありがとう。近衛騎兵隊に十分に食事やお酒を振舞ってください。それから、昨日保護した者達の体調が回復したら、捕まえたセルマ寡妃とデイリア伯の顔を見せて証言を得てください」
「承知いたしました」

 カルネルが大広間から去ると、ジュエリアはシベリウスに難しい顔を見せた。

「シヴィ、セルマ寡妃の受け取った手紙が本当にアルベールが書いたものなら、あの男が事態を引っかき回している可能性が高いわね」
「早朝に、アンヌからまもなく開戦の連絡がきた。ヴェルタ軍を率いているのがアルベールのようだ。負ければこちら側で戦ってくれているサイオン卿が、ヴェルタ王国に連れて行かれ、通常の死刑よりも酷い扱いを受けるだろう。ジュエリアももちろん首をはねられる可能性がある。だから、私も国境に向かう許可を貰えるかな?」
「もちろんよ。一緒に行きましょう」
「一緒? ジュエルはここにいないとダメだよ」
「いえ、私こそ国境に行くべきだわ。フロリジア公は聖ロマニス帝国の玄関口を守る役目がある。帝国の守護者が行かずしてどうするの?」
「わかった。ジュエルの命は必ず私が守る」
「頼りにしてるわ、シヴィ」

 シベリウスがジュエリアの身体を引き寄せた時、子供のパタパタと駆け寄って来る足音が聞こえ、ジュエリアはシベリウスを押しのけた。

「ジュエリアさまー!!」

 ルカが、爆薬製造所にいたあの痩せ細った女性の手を引いて大広間に駆け込んで来た。

「ママが! ママが帰って来たんです!!」

 二人がジュエリアとシベリウスの前まで来ると、女はジュエリアの前で平伏した。

「ルカを……私が囚われている間、息子の面倒を見てくださっていたそうで、しかもこんなに立派に育ててくださり……心から感謝申し上げます!!」
「やだ、顔を上げて、立って。ルカはここに来る前は、オーガストという鍛冶屋の男性が手厚く面倒をみていたんです。そちらで過ごした時間の方がずっと長いです。あなたが御礼を言うべきなのはオーガストよ。彼もいずれ城に来ますから、その時お礼を伝えて」

 ルカの母は顔を上げ、ぐしゃぐしゃの顔でジュエリアを見る。

「フロリジア公に、誠心誠意お仕えさせてください。どんな雑用も喜んでやります。この御恩は一生かけてお返しさせてください」
「ええ、この城は信頼できる者がもっと必要なの。頼りにしているわよ」

 ルカと母親が笑顔で頷き、持ち場に戻ると、ジュエリアとシベリウスも支度を整えてから国境へと向かった。



 国境ではヴェルタ軍とサイオン卿率いるマーレ族が対峙している。

 ヴェルタ軍の指揮官はアルベールだった。トマスが城から逃げたため、爆薬を完成させるどころか、トマスによって爆薬製造所やヴェルタ王国とアルベールの計画がフロリジア公に伝えられる恐れが出たため、激怒したヴェルタ国王がアルベールに難癖付け、軍を率いてフロリジア公国を落とすように命令したのだ。アルベールはそれを断れば、その場で斬り殺されていた。

 アルベールは国境の川を越えたまでは良かった。大した指揮をせずとも、戦い慣れたヴェルタ軍がフロリジアの国境警備隊を難なく制圧してくれた。
 だが、最初の町ポーチュラカに辿り着く時だった。ヴェルタ軍の侵攻に備えて町の入口にはフロリジアの陣営が立てられており、先頭で待ち構えていたのがヴェルタ王国のサイオン卿だった。

 ヴェルタ軍の兵士の殆どは、何度もサイオン卿と戦を共にし、あるいは彼の戦う様子を先輩兵士から聞いていた為、彼の怖さを知っている。戦い慣れた屈強な男達が、サイオン卿がいる事を知り、皆尻込みを始めた。

 しかも、サイオン卿が率いているのはほぼ全員褐色の肌で黒髪の者達。セルマ寡妃やヴェルタ国王の話に聞いたマーレ族の特徴と一致する。彼らの中にはちらほらと白い肌のものや、金の髪色のものもいるが、白い肌なら髪は黒かったり、金の髪なら肌が褐色だったりするので、彼らもやはり同族で、混血のもの達なのだと推測できる。マーレ族は海の覇者で、戦いに長けていると聞いた。

 アルベールも、ヴェルタ軍も、出来ればサイオン卿との戦いは避けたかった。

「サイオン卿、これはヴェルタ国王の命令です。今こちらの軍に入って頂ければ、ここで陣営を立てていた事は国王には秘密にします」
「デイリア伯子息、最後に会ったのはいつだったか。私の記憶では、まだ小さかったシベリウスを無理矢理馬上槍試合ジョストに参加させていたな……私が止めるのも振り払い、舌打ちまでされたのを覚えている」
「あの……競技会場入口でしつこく食い下がって来たフードの男……?」
「ああ、あの日は本当はセルマに会わずに帰るつもりだったのに、シベリウスが心配で結局姿を現してジョスト会場でセルマと一緒に観戦することになったよ。君たちのおかげだ、ありがとう。まあ、あの場にいて正解だったと思うが」
「サイオン卿ともあろうかたが、過去の事を随分と根に持たれるのですね。とにかく今は非常時です。こちら側に来てください」

 トマスはサイオンの斜め後ろに位置し、敵軍の様子を見定めている。ここに到着する頃のアルベールやヴェルタ軍はあんなに威勢が良かったのに、今は緊張をしているのがわかった。トマスは、ヴェルタ軍の視線の先にあるサイオンの顔を覗き見ると、あの温厚で柔らかい物腰のサイオンとは全くの別人と言っていいほど、冷酷そうな表情をしていた。その表情と気迫に、トマスすらもサイオンにぞっとした。

「お前たちはまだわかっていないのか? フロリジアの為だけではない。私の一番大切なものに手を出したヴェルタ国王とセルマは、獅子の尾を踏んだんだ。もちろん、お前もだよ、アルベール」

 サイオンのその声の冷たさと覇気に、その場にいる全員の身の毛がよだつ。

「聖ロマニスに祈れ。最期の痛みが僅かな時間で済むように」

 サイオンはそう言いながら、鞘から剣を抜いた。 

 
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