聖ロマニス帝国物語

さくらぎしょう

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63.約束

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 会場ではアルベールとシベリウスが鎧を身に着け始めていた。そしてアルベールは貸与される余興用の槍ではなく、何処からか調達してきた本物の槍を長男から二本受け取る。

 アルベールは本性を現した意地の悪い顔でシベリウスに近づき、乱暴に槍を投げ渡してきた。
 シベリウスは咄嗟に手を伸ばし受け取ろうとしたが、本物の槍の重さに落としてしまった。

 城や街でのあのアルベールの人当たりの良さそうな姿から考えると、彼は二重人格なのかと思うほど、今は癇癪を起こした様に怒号を飛ばしてくる。

「帝都で我が家の恥を晒す前に殺してやるっ! 槍を持て、バスタードッ!!」

 馬上槍試合ジョストでは時として死者を出す。それも込みで盛り上がりをみせる試合であり、この試合での対戦相手死亡は罪に問われなかった。

 槍を拾う為シベリウスは屈みこむ。両手で槍を持ち上げる時に、兄達三人を見上げれば、彼らの表情からは、宣言通り明らかに殺意を感じた。
 アルベールが持っている槍と、投げ渡された自分の槍は、戦場で使われる殺傷能力のあるものだ。

 ただでさえ鎧で動きずらいのに、本物の槍は大人用で、八歳の自分にはサイズが大きく、重さもかなりある。とてもじゃないが、騎乗して片手で持てるとは思えない。

 自分はきっと本当にここで殺されるのだろう。そう感じずにはいられなかった。

 どうにか逃げ出せないか。大声を上げて周りに助けを求めるか。

 そう考えながら、助けてくれそうな他の出場者や係の人間を探していると、兄達にはシベリウスの考えなど想定内だった。

 アルベールが不適な笑みを浮かべた。

「おい、バスタード、お前、馬車に乗る前、ジュエリアをやけに見てたな」

 シベリウスはギクっとして、アルベールの目をまともに見れなかった。

「別に大声を上げて助けを求めてもいいし、何ならここで出場辞退にしてもいい」

「え……」

「そしたら、お前の代わりにジュエリアと遊ぶから」

 アルベールはニヤつきながら最後の装備である兜を被り、顔を覆った。

 シベリウスはアルベールを睨みつけ、自分の兜に手を伸ばし、被る。

 馬に乗せられ、試合準備係に手綱を引かれて試合会場入場口に続く回廊を進む中で、シベリウスの頭の中に浮かぶのは、馬車の中で自分に向けられた、ジュエリアが頬を染めたあの表情。思い出すだけで胸がトクトクと熱く脈打つ。

 自分が死んだら、彼女はアルベールに殺される。きっと陛下が阻止してくれても、セルマ公妃がいる限り、次の刺客がジュエリアの前に現れるかもしれない……。

 シベリウスは決意した。
 この場で自分がアルベールを殺そうと。
 そして、ジュエリアの脅威はアルベールだけじゃない。

 自分は何が何でも生きないと。

 決意はそのまま力となり、なんとか槍を片手で握った。

 薔薇の日一番の盛り上がりを見せると言う余興試合。馬上槍試合ジョストの試合会場には大勢の観客が集まっており、割れんばかりの歓声や拍手が響いていた。

 アルベールとシベリウスの試合前に、観客席の方が慌ただしくなり、急遽試合会場に一番近い位置に席が設けられ始める。その作業でシベリウスとアルベールは馬に乗ったまま、回廊で少し待たされた。

 入場の合図であるトランペットの音が聴こえ、とうとうシベリウスは試合会場の自分の待機位置まで、準備係に馬を引かれて向かった。

 会場に入れば、先ほどの慌ただしさの正体がわかった。急遽観客席の中央最前列に貴族席が設けられ、そこに皇帝、フロリジア公、ジュエリア、伯爵夫妻、ミア、セルマ公妃、そして見知らぬ美丈夫が座っていた。

 そして、観客席からは、歓声とは違うザワつきが聞こえ始める。
 シベリウスの体格から、出場者の年齢がだいぶ幼い事と、二人が持つ槍が余興試合用のものではなく、先の尖った本物のランスであることに気が付き、皆驚いているのだ。

 この試合が認められたのは、シベリウスの兄が二人を騎士見習いとして登録した為。実戦練習を兼ねるという名目で、シベリウスの出場も、本物の槍の使用も許可が降りた。

 二人が試合会場にまっすぐ並べられたフェンスの両端に待機すると、会場は静まり返る。

 風が生暖かく、少し気持ち悪かった。
 
 シベリウスは心臓が痛いくらい鳴り響いており、鎧の下の手の平は酷く汗ばんでいる。

 殺るか、殺られるか……。

 試合開始の掛け声と同時に、互いに向かって一気に馬を走らせ始める。
 だが、八歳のシベリウスが、騎乗しながら汗ばんだ片手で重さのある槍を持てるはずもなく、早々に落とした。

「やめてアルベールさまッ!!」

 遠くから大好きなジュエリアの悲痛な叫び声が聴こえた瞬間、アルベールに脇腹を思い切り突かれて落馬した。

 シベリウスは地面に叩きつけられた衝撃で、兜が脱げてしまう。
 見晴らしの良くなったシベリウスの視界には、まるでローゼンに敷かれた薔薇の花びらのように、自分の腹から赤い血が流れて、地面を染めていくのが見えた。

 いつの間にか泣きじゃくるジュエリアが必死にシベリウスの腹を押さえており、何故か謝り続けている。

「ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!」

 シベリウスは目の前でぐしゃぐしゃに泣く天使に、必死に手を伸ばし、涙や鼻水を拭いた。だが、シベリウスが拭けば拭くほど、ジュエリアの顔は血で汚れて行く。

 シベリウスは息も絶え絶え、ジュエリアに声を掛ける。

「ねえ……お願いがあるんだ」

 ジュエリアはシベリウスの手を握り、必死に頷いた。

「うんうん、なぁに?」

「もしも、僕たちまた会えたら……」

「うん、必ず会えるわ!」

「僕の……僕だけの……宝石ジュエルになってくれないかな……」

「うん、うん、絶対なる! 約束する! だから死なないで!!」

「本当……?」

「うん、シベリウスの宝石になる! それで、一緒にバラの日をやりなおそうね! わたし、シベリウスが好き! シベリウスが大好き!!」

 ジュエリアの言葉に、シベリウスはフッと力なく笑い、そのまま目を閉じた。

 息をすれば、ヒューヒューと喉が鳴る。

「じゃあ……頑張って迎えに来るね……」

 生暖かい風に乗って香ってくる、濃い薔薇の香りを感じながら、意識が遠のいたシベリウスは、次に目を開けた時は、そこは帝都にある皇帝の城のベッドの上だった。

 薔薇の日の試合から、一ヶ月も時間が過ぎていた。
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