聖ロマニス帝国物語

さくらぎしょう

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40. リーリエンの街で

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 ローゼンから馬車で一日ほどの距離にあるリーリエンの街。普段は人通りも少なく静かな街だが、ここには処刑場があり、公開処刑ともなれば、前日から多くの民が見物用の場所取りにやってくる。
 明日の公開処刑を控えるリーリエンの街は、今大いに賑わっていた。

 公開処刑はフロリジア公立会のもと行われる。今回は継承協議中の為、ジュエリアとミアの両方が立会う。その為ジュエリアとミアは勿論のこと、二人の婚約者、セルマ寡妃、侍従や侍女やその他諸々引き連れた御一行は、フロリジア家のリーリエン滞在用の屋敷にすでに着いていた。
 小さな街なので宿泊場所は限られており、貴族が滞在できる屋敷はここしかない。今日明日は全員が一つ屋根の下で過ごす事になる。

 トマスは屋敷を抜け出し、処刑場へと赴いていた。すでに場所取りの人々でごった返し、処刑台の近くには寄れず、少し離れた場所からギロチン台を眺める。
 トマスは小さな声で詩を呟く。

『南の孤島 呪われし島 我ら黒妖犬 誘われるように流れ着くは罪と罰 染み付く死臭 生き地獄』

 トマスは言い切ると、自嘲するように鼻で笑う。

「観衆の前で首を刎ねられるのと、ヘルハウンドで生き地獄を味わうのとではどちらがマシで、どちらが重罪に相応しいのか……」
「どちらも耐え難い。特に、冤罪の者にとっては」

 トマスの隣にはいつの間にかサイオンがいて、トマスの肩に手を乗せた。

「サイオン様……」
「だから、冤罪は出してはいけない。処刑は統治者の能力が発揮されるし、その重圧に心を病む可能性もある。継承する事に躊躇いのあるあの二人に、明日をやり過ごせるだろうか……」
「皇帝は何を考えてるんでしょうね」
「さあな……ところで、ミアが長時間馬車に揺られて酔ってしまったようで、吐き気どめに良さそうなものを買いに来たんだが、付き合ってくれるか?」
「そんなもの、わざわざサイオン様が出向かずとも、下級使用人に頼めば良いかと思いますが」
「一応ミアの婚約者だからね。弱っている時には心で寄り添ってやらねば。だから、私が直接手に入れる事に意味があると思うんだ」

 トマスは優しく微笑むサイオンを見て胸が苦しくなった。ミアに対する気持ちはないとわかっていても、サイオンに伴侶として大切にされるミアを羨ましいと思ってしまう。

 二人で街でペパーミントを手に入れ、屋敷に戻ると、ジュエリアとシベリウスが駆け寄って来た。

「サイオン卿っ! 一緒に来てください」
「そんなに慌ててどうした?」
「ミアの顔色が悪かったので心配で部屋に行ったら、ミアがセルマ寡妃に——」

 大急ぎで四人はミアの部屋へと向かうと、部屋の中ではミアとセルマ寡妃が向かい合って座っていた。センターテーブルの上にはミアの前にだけお茶が出されている。

「まあ、サイオン卿、それにシベリウス様やジュエリアまで。どうかされましたか?」
 
 セルマ寡妃は涼しげな笑顔をサイオンに向けていた。対面に座るミアの顔色は明らかに悪く、少し震えているのもわかる。

「ああ、セルマ。ミアが馬車に酔ってしまったようで、私がペパーミントティーでも作ってあげようと思って」
「サイオン卿はお優しいですね。でも酔いに効くお茶をすでに出していますので、大丈夫ですよ。さあ、ミア、飲みなさい」

 セルマ寡妃はテーブルの上のお茶を勧めた。だがミアは顔色を更に悪くするばかりで、手をつけようとしない。

「い……いやよ。堕胎薬を混ぜてるんでしょ」

 ミアの言葉にその場にいた全員が凍りついた。

 セルマ寡妃は怒りを滲ませながら無理に微笑んでいる。

「やだわ。そんなものあなたに飲ませてどうするのよ。たとえそんな薬飲んだ所で、妊娠していない身体には何の害もない」

 二人の会話を聞きながら、サイオンの表情は変わらなかったが、不自然なくらい微動だにしなかった。

 セルマ寡妃が業を煮やして立ち上がった瞬間、ジュエリアが次の動きを察して急いでミアに駆け寄り覆い被さるように抱きしめた。と、同時に、ジュエリアの背中に熱いお茶がパシャッとかかる。

「あつっ」
「ジュエルッ!」

 シベリウスがすぐに部屋の隅に置かれた水さしを掴みジュエリアの背中にかけ、トマスは調理場まで氷を取りに走った。

 ジュエリアはゆっくりミアから離れ、優しく声をかける。
 
「ミア、大丈夫?」
「……私よりあなたの方が」
「もう冷め始めていたお茶だったみたいで、全然大丈夫よ。それより、ミア、あなたもしかして……」

 セルマ寡妃がミアが発言する前に叫んだ。

「ミアッ!! 発言には気をつけなさい! どんな虚言でも口に出したら足を掬われる!」

 もしもミアが、虚言だろうがここで妊娠を認めれば、サイオンとの結婚は急がれ、そして継承権放棄を帝国側が迫ることが出来る。だが、それはまだ良い方の話で、万が一父親が婚約者のサイオンじゃなかった場合は、婚約破棄どころの話ではない。ヴェルタ国王はおそらく泥を塗られたと怒り、それを口実に攻め込んで来る可能性もある。サイオンを失えばセルマ寡妃もどんな行動を起こすかわからない。

 セルマ寡妃は空になったティーカップに、優雅な手つきでティーポットからお茶を注ぐ。
 穏やかな笑みをミアに向けながら、ティーカップを差し出した。

「ミア、吐き気に良く効きます。さあ、飲んで」

 セルマ寡妃は微笑んではいるが、目が笑っていない。ミアがティーカップに指を添えれば、カタカタと震える音が聞こえ始めた。

「さあ、飲みなさい」

 その場にいる全員はすでにそのお茶に何が混ぜられているのかわかっていた。ミアの言う通り堕胎薬だろう。だがミアはそれを飲む事を拒んでいる。つまり、産むつもりなのだ。

「飲むな、ミア」

 サイオンがミアの元まで歩いて来て、彼女を抱き上げる。

「体調が優れないのに起きていてはお腹の子に障る。ベッドで横になりなさい」

 サイオンはそのままミアをベッドにまで連れて行き、寝かせてあげた。

「あとで悪阻に良い食べ物を持ってこよう。何が食べたい?」
「サイオン……卿?」

 ミアはなぜ彼が自分に優しくするか理解できなかった。

「サイオン卿、私はおそらく妊娠をしています。どうぞ、婚約破——」
「二人で大切に育てよう」
「え」

 サイオンはミアの耳元で囁いた。

「無事に子供を産みたければ話を合わせなさい。最初の結婚は私とになってしまうが、いずれ、お腹の父親とも結ばれるよう私が尽力する」

 サイオンはミアにウインクすると、セルマ寡妃の元まで向かい、彼女の座るイスの横で片膝をついた。

「セルマ寡妃、今ここでお詫び申し上げます。婚約段階で彼女を身篭らせてしまいました。早急に婚姻すれば、出産時期とのズレは怪しまれない。ミアの継承順位も曖昧ゆえ、継承権は婚姻と共に放棄して、私の領地に戻り、のんびりと暮らそうと思う」

 サイオンの言葉に、セルマ寡妃は尋常じゃないほど動揺を始めた。ジュエリアとシベリウスは、気の強いセルマ寡妃のそんな姿を見るのが珍しく、初めてサイオン卿への執着を間近で垣間見る。

「サ……サイオンお兄様との子供?」
「そうだ。婚約者である、私の子だ。だから不貞の子ではない」
「ミアはお兄様に抱かれたの?」
「セルマ……それは少しこの場には相応しくない言い方じゃないか?」
「……うそよ、だって、お兄様は子孫を残せないって言ってました」
「そう思っていたんだ。それ故に油断してしまった」

 セルマ寡妃は立ち上がってサイオンの両腕を掴み、目を見開き、食い入るように聞く。
 その姿に、ジュエリアもシベリウスも背筋が凍った。
 
「ねえ、嘘……嘘って言って。心身ともに成熟しているお兄様はあんな子供を抱かないわ」
「筋を通さなかった事、心から申し訳ないと思っている。順序が逆になってしまったが、必ずミアを大切にする」

 セルマ寡妃の掴む手が、ぽとり、ぽとりと落ちるように、サイオンの腕から離れていった。
 息と姿勢を整えたセルマ寡妃は、いつもの毅然とした態度でサイオンに伝えた。

「早急な婚姻は了承します。でも、継承順位第一位のミアは結婚で継承権を放棄する必要はありません」
「今はその順位を帝国と争っている最中で曖昧だ」
「帝国に言い掛かりをつけられて、継承が滞ってるだけ。今も第一位はミア。だから、このままサイオン卿とミアは、フロリジアに留まってくださいね」

 セルマ寡妃はそれ以上のサイオンとの会話は拒み、ベッドに横になるミアの元まで行き、頭を撫でる。

「ゆっくり休みなさい、ミア」
「おかあ……さ……」

 セルマ寡妃はサイオン達には背中しか見えない。ベッドにいるミアには、今彼女がどれだけ怨みのこもった目を向けて自分を見下ろしているかが良く見えており、震えが止まらなかった。


 





 

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