聖ロマニス帝国物語

さくらぎしょう

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38. サイオンとトマス

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 トマスは一人薔薇の日の街をふらつく。ただ闇雲に前に進んでいる訳ではなく、匂いを探していた。
 
「ちっ。薔薇の香りが邪魔だ……」

 トマスは苛立って立ち止まると、一度気持ちを切り替えようと、何も考えずに辺りを眺めた。いつもより多い人通りに紛れるように、帽子を深く被ったミアを見かける。

(お付きの者はいない……どこかに待機させてるのか……とにかく、あれはお忍びだな)

 トマスはミアに気づかれないようにこっそりと後を付ける。ミアが向かった先は、どこかの貴族のタウンハウスだった。
 ミアは慣れた様子でそのタウンハウスの扉をノックして、中へ入って行く。

(さすがに通りに面したタウンハウスじゃ、窓から覗くのは目立つ……)

 トマスは意識を集中しすぎて、自分に近づく人物がいる事に気が付かなかった。
 自分の肩にトンッと誰かの手が乗せられ、心臓が跳ねあがり、瞬時に顔を横に向けた。

「トマス、何をしているんだ?」

 肩に乗せられたのはサイオンの手だった。トマスはサイオンの顔を見て安堵の溜息をつく。

「サイオン様……サイオン様はなぜこちらに?」
「ミアをデートに誘ったのだがフラれてしまって、だが薔薇の日には行きたくて、君とジュエリアの散策に混ぜて貰おうと追いかけたんだ。そしたら、トマスが一人で歩いて行くのが見えたから」

 サイオンは朗らかに笑いながらそう言う。
 サイオンがミアをデートに誘うのは、婚約者としての礼儀と思っているだけで、別に本当に彼女と出かけたいわけではない。なので、フラれても然程気にしてもおらず、むしろ役目を終えたとばかりに何だか楽しそうである。

「久しぶりに自由な一日を過ごせる。トマス、一緒に街を散策しよう」
「はい、サイオン様。ただ、先にご報告があります」
「ん? なんだ?」
「あのタウンハウスにミア公女が入って行ったんです。しかもお付きもついていなかったので、お忍びかと」

 サイオンはトマスの指差すタウンハウスを見る。

「セルマだけでなく、ミアまで何か企んでいるのか?」
「まあそれもありえますが、それより、もしもここが、ミア公女の恋人の家だったらどうされますか?」

 トマスの質問に、サイオンは目を瞬いて驚いた。

「ミアはシベリウスが好きなのだと思っていたが」
「確かにそうでしたね。では私の考えすぎですね」

 トマスとサイオンは再度タウンハウスを眺めた。

「誰の家かだけ後で確認しておこう。別にミアに恋人がいても私は構わないが、彼女が騙されていないかが心配だ」
「その予想は、当たったら困りますね」
「そうだな。さあ、トマス、ミアの件は今はどうにも出来ないのだから、我々も薔薇の日を楽しみに行こう」

 サイオンはトマスに優しげな表情でウインクしてから、足早にタウンハウスから離れる。正直今はミアの色恋事よりも、やっと訪れたこの時間を大切にしたいのだ。

 トマスはサイオンの一歩後ろを歩いてついて行った。

 薔薇の花びらの舞う、賑やかなローゼンの街を、サイオンはのんびりと眺めながら、この時を味わうように、大切にするかのように、ゆっくりと進んで行く。
 トマスはサイオンの背中にひたむきな視線を向けていた。
 ひらひらと舞う薔薇の花びらが作る景色は美しく、その景色に溶け込むサイオンはもっと美しかった。こんなにも近い距離にいるのに、触れることの出来ない背中を、トマスは胸を焦がしながら見つめる。

 突然サイオンが振り返り、トマスに微笑んだ。トマスは必死に平静を装い、いつも以上に無表情だった。

「こんなに薔薇の香りに包まれるのも中々ないな」

 笑顔のサイオンとは対照的に、その言葉を聞いたトマスの表情には陰りが見えはじめる。

「サイオン様……実はここローゼンは、私の故郷の匂いが微かにするんです」
「トマスの故郷とは……ヘルハウンドの匂いか?」
「ええ、そうです」
「それは……トマスの表情を曇らせるようなものなのだな?」

 サイオンからは笑顔が消えて、硬い表情でトマスを見つめた。
 
 トマスはサイオンから目を逸らさず、頷いた。
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