聖ロマニス帝国物語

さくらぎしょう

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37. 蔑称

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 月に一度の薔薇の日、シベリウスの館の前で、薔薇の花びらで覆われた石畳の上に立ち、街を眺めるトマスがいた。
 風が吹くと薔薇の花びらが舞い上がり、トマスは薔薇の花びらと香りに包まれる。肩に乗った一枚の花びらを手で取り、鼻に当てて目を瞑ると、スッと匂いを嗅いだ。

(ごまかされている……)

 トマスは薔薇の花びらをピンッと指で弾いて捨てた。

「トマス!」

 動きやすいワンピースを着たジュエリアが、手を振ってトマスに駆け寄って来た。

「ごめんなさい、待ったわよね?」
「どうせシベリウスに捕まってたんだろ?」
「薔薇の日は仕事があって行けないって自分で言ったのに、何で自分とじゃないんだって……」
「俺と行くのが嫌なんだろ?」
「それ、トマスから私達は何もないし、何も起こらないって伝えてくれない?」
「面倒くせぇ……」

 ジュエリアとトマスは歩き出し、薔薇の日の街を散策する。足元には薔薇の花びらはもちろん、通りの店先にも薔薇、見上げれば二階以上のバルコニーにも薔薇、すれ違う女性達も夫や恋人にプレゼントされたであろう薔薇の花束を持っている者が多く、どこもかしこも薔薇の香りで溢れている。

「ジュエリアは欠かさず訪れるくらいこの日が好きなんだな」
「うーん……好きだけど、この日に街を歩くのは、会いたい人がいるのよ」
「……それ、シベリウスは大丈夫なのか?」
「ん? なんで?」

 ジュエリアは何が問題なのかまったくわからない顔をしてトマスを見るので、トマスは呆れながら答えた。

「その様子が更にシベリウスを嫉妬させそうだな」
「やだ、嫉妬って。そんな関係の人じゃないわよ。しかも、幼い時の姿しか知らないから、正直見つけられるかわからないわ」
「へー、幼馴染かなにか?」
「ううん、違う。私のせいで傷つけてしまった子……。それでね、その子にルカがとても似てるのよ」
「ルカって、あの浮浪児か。だから気にかけてたのか。会いたいってやつはもう大人なんだよな? 見つけられそうな特徴はあるのか?」

 ジュエリアは首を横に振った。

「名前しかわからない。バスタードって呼ばれてた」

 その名前を聞き、トマスは唖然とする。

「おい、お前本気で言ってんのか?」
「え? もしかして、トマス知ってるの!?」
「いや、バスタードって名前じゃなくて——」

 トマスが言いかけた時、ジュエリアは聞き慣れた声で呼び止められる。

「ジュエルッ! やっと見つけた」

 ジュエリアとトマスが振り返ると、シベリウスとオーガストが居た。

「シベリウス? どうしたの??」
「ジュエル、今日の仕事を館でする事にしたんだ。だから、帰ろう!」
「え? いやよ」

 ジュエリアは咄嗟にトマスの背後に隠れようとするが、逆にトマスにシベリウスの前まで背中を押されてしまった。

「帰れ帰れ」
「え? トマス、いやよ! 今日は私の口紅とか下着を選んでくれる約束だったでしょ!? トマスじゃないとダメなのよ!!」

 慌てて口が滑ったジュエリアに、トマスは額を手に当てて目を瞑った。
 殺気立つシベリウスは、ゆっくりと問いただす。

「今……なんて……?」

 その表情と身にまとう空気の恐ろしさに、道行く人も近づかないように遠巻きに歩いて彼らの横を過ぎ去る。

「あ、シベリウス違うのよっ! ほらトマスは……あ、いや、何でもないっっっ」

 両手をブンブン振りながら必死に弁明するジュエリアをトマスは押し除けて、シベリウスの前まで出て睨み上げた。

「一人寝が寂しいんだとよ。だからアンタにベッドに戻って来てもらう為に、ジュエリアの魅力を引き立てる品を、数多の男を虜にしたこの元クルチザンヌの俺が直々に見繕ってやろうって話だったんだよ」

 トマスの言葉にシベリウスは顔を赤くし、オーガストは両手で耳を塞いだフリをした。

「大体さあ、お互いに気持ちが通じ合って盛り上がってる時に、一緒に館まで戻っといて、じゃあって自室に戻るとか……」

 トマスは大聖堂の帰りの夜の事を言っているのだろう。シベリウスを挑発しているのか、煽っているのか、痛烈な言葉を並べて、これみよがしに大きな声でため息までついた。

「はぁあ~ああー。精鋭とも言われる近衛だろうが、色恋にはなさけないものですねぇ。男娼だった俺が指南でも致しましょうか?」

 だが、トマスの挑発にシベリウスはしっかりと乗った。

「は?」

 青筋を額に浮かばせるシベリウスと、飄々としたトマスは、顔を近づけて睨み合う。

 ジュエリアは二人の間に入り二人を引き剥がす。そして表情を沈ませ、トマスに謝った。

「トマス……クルチザンヌだった事、明かさせてしまってごめんなさい……」
「こいつの事だから、もう知ってると思うけどな」

 トマスの視線に、シベリウスはそれを肯定するような視線だけ返した。

「ほらな。だから、気にすんな。じゃあな」

 トマスはジュエリアに手を振って行ってしまった。

 結局ジュエリアは館に戻り、そのままシベリウス達と昼食を取る事になった。

「ジュエル?」

 シベリウスの問いかけにも、ジュエリアはプンスカしながら無視した。

「はははっ!! 色男も最愛の女性には弱いな」

 オーガストが大笑いしながらビールを飲む。
 ジュエリアはムニエルを切っていたナイフとフォークをバンッとテーブルに荒々しく置いた。

「トマスとは何もないわよっ!!」
「すまなかった、ジュエル。君とトマスがあまりに仲が良いから、つい妬いてしまうんだ。今後は気をつけるし、後日トマスにも詫びる」

 ジュエリアは鼻息を荒くしながら、切ったムニエルをフォークで刺して口に放り込んだ。

「もうっ! しかも大切な話の最中だったのに! 聞きそびれたじゃないっ!!」
「あの美人侍従に何を聞きそびれたんです?」

 オーガストはビールを飲みながら、何気なく聞いてみた。

「バスタードって名前の意味よ!」

 ジュエリアの言葉にオーガストはジョッキをテーブルに置き、シベリウスもナイフとフォークを皿の上に置いた。
 二人の様子にジュエリアはキョロキョロと二人を見て困惑する。

「……バスタードは、名前ではなく落とし子の事ですよ、ジュエリア様」

 いつも陽気なオーガストが、落ち着いた低い声で教えてくれた。落とし子は、正妻ではない女性が産んだ子供の事。

 オーガストに続き、シベリウスも教えてくれる。

「バスタードという言葉は、時に蔑みで使われる時もあるんだ、ジュエル」
「え……」
「ジュエリア様、俺の弟子のマルクスも、実は正妻ではない女性から産まれた子供、所謂いわゆる落とし子、バスタードです。訳あって俺が育てています」
「マルクスが? そう……そうだったの」
「恵まれたバスタードもいますが、殆どは嫡子とはかなり差別されて育つので、バスタードという言葉に傷つく子供が多いのは事実です。俺はマルクスに劣等感や疎外感を持ってほしくなくて、その言葉を聞かせないように注意しています」
「私は本当に……世の中を何も知らないのね……」

 ジュエリアは俯き、ナイフとフォークを揃えて皿の上に置いた。



 


 
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