聖ロマニス帝国物語

桜枝 頌

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32. 暗澹

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 ミアはいきりたってジュエリアとシベリウスに近づいてくると、間に入って二人を力いっぱい引き剥がした。あまりに勢いをつけて引き剥がしたので、その拍子に被っていた帽子が落ちてしまった。
 ジュエリアは目の前で露わになったミアの頭を見て驚愕した。

「ミア……その頭……どうしたの!?」

 ジュエリアには、頭皮がまばらに見えるミアの側頭部が見えていた。
 ミアは慌てて手で側頭部を隠す。

「何でもないわよっ! その帽子を取ってっ!!」
「何でもなくないわ! 見せて!」

 ジュエリアがミアの腕を掴むと、ミアは思い切り払いのけた。すると、ミアの側頭部はシベリウスにも見えてしまう。

「ミア公女! 何があったのですか!?」
「やめてっ! 見ないでっ!!」

 ミアは急いで帽子を拾うと、深く被り、両手を帽子から離さなかった。
 震えながら俯くミアに、ジュエリアは優しく声を掛ける。

「ミア、私達、今からでも遅くない。本当の姉と妹になれる。あなたを助けたいの。それは誰にやられたの?」
「は? 誰が姉ですって? 私を助ける? じゃあシベリウスと婚約を解消して。そしてあんたが城で暮らしなさいよ」
「え……?」
「出来ないんでしょ? 私の願いはあの城を出て愛する人と結ばれる事。それが唯一の救い。でも……」

 ミアは恨みを込めた目でジュエリアを睨んだ。

「あんたが姉として不甲斐ないから私が後継者として苦労してるんだっ!!」

 ジュエリアの表情は苦悶し、返す言葉もなかった。

「ミア公女、城で何かあったなら、婚約者のサイオン卿に頼ったらいい。彼は必ずあなたを大切にしてくれる」
「サイオンなんて嫌よっ!! 母の情事の相手なんて汚らわしいっ!!」
「ミア公女、それは誤解だ。サイオン卿はセルマ寡妃とはいかがわしい関係ではない」
「見たのよ! 夜、みっともない格好をした母があいつの部屋に行ってアイツの身体に触れるのを! しかも、母はアイツの事を私のサイオンってはっきり言ってたわっ」
「ミア公女、誤解だ。サイオン卿は……」
「もう黙ってっ!!」

 ミアはボロボロと泣きながらジュエリアとシベリウスを睨みつける。

「全員……地獄に落ちろ」

 セルマ寡妃の血が色濃く出ているかのように、ミアの表情は狂気を帯びていた。
 
「ミア、お願い! 私達と一緒に館に行きましょう。そんな状態であなたを城になんて帰せない」

 帰ろうとしたミアの腕をジュエリアは掴むが、その手を爪で引っ掻かれた。

「痛っ!」
「触らないでっ! ついて来ないでよ!」

 ミアは冷めた目でジュエリアを睨み、街の中へと姿を消していった。

 シベリウスはジュエリアの手を取り、ハンカチを巻く。

「大丈夫ですか? 痛みますか?」
「私の痛みなんかより、ミアの痛みの方が心配よ……」
「ジュエリア……」
「私は自分がずっと不幸だと思っていて、周りを見ようともしていなかった。この国の人々の苦悩だけじゃなく、ずっと一緒に育ったミアの気持ちにすら目を向けていなかった……」

 静かに涙を流すジュエリアを、シベリウスが優しく抱きしめる。
 ジュエリアは温かい腕の中でシベリウスの優しさと香りに包まれ、心が満たされていくのと同時に、そんな自分に罪悪感を抱き、ミアを想うと気持ちが塞いだ。
 自分はどうするべきだったのか、これからどうしたらいいのか、暗澹あんたんたる悲しみとはこのような事なのだろう。

「今日はもう館に戻りましょう」

 シベリウスの言葉に、ジュエリアは彼の腕の中で黙ってこくりと頷いた。



 ミアはお付きの者達を待たせている場所まで向かっていた。興奮状態は冷めやらず、賑やかな街の音は一切耳には入らず、前を向いてはいるが、何も見えていない。行き交う人も多く、誰かにぶつかるのは時間の問題であった。

 ドンッ

「いった……どこ見てんのよ!」
「これは失礼しました——あれ? もしや……ミア公女殿下では?」

 ミアがぶつかった男を見上げると、褐色まではいかないが、日に焼けた肌をしたブラウンヘアーの軽薄そうな男だった。よく見れば身なりも良い。

「お忘れですか? アルベールです」
「え? デイリア伯爵子息?」
「はい。ジュエリア公女の元婚約者です」

 アルベールはにっこりと微笑んだ。その笑顔にミアは少しドキッとしてしまう。

「随分日に焼けていて、アルベール様とはすぐにはわかりませんでした。申し訳ございません」
「ははっ、そうでしょう。実は一方的に婚約破棄をされたあと、グランドツアーに出ていたんです。南の方はかなり暖かく、こんがり焼けてしまいましたよ。ああ、そうだ、今はお時間ありますか?」

 アルベールの優しく問いかけて来る姿に、シベリウスを重ねてしまい、ミアは寂しさからつい頷いてしまう。

「それは良かった。少し一緒に街を散策しながらお話でもしましょう」

 アルベールはミアに腕を差し出し、ミアは手を添えた。



 


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