聖ロマニス帝国物語

桜枝 頌

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20. 恋焦がれ

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 シベリウスは時折窓の外をチラッと見る。集中力の高い彼にしては珍しい仕草だった。
 サイオンは視線を手に持つ書類から、目の前に座るシベリウスの横顔に向けた。

「何か気になるものがあるのか?」

 シベリウスが顔の向きをサイオンに戻す。

「失礼いたしました。続けましょう」

 サイオンはシベリウスをじっと見つめて黙考し始めた。

「サイオン卿?」
「シベリウス、窓の外に何か心配事でも?」
「……ええまあ……実は、そうです。サイオン卿の侍従と私の婚約者が友達になったそうで、今街を散策していて……」
「それは知らなかった」
「まさかとは思いますが、サイオン卿の指示ですか?」
「それこそまさかだ」

 サイオンは可笑しそうに笑う。

「シベリウスは、トマスがあの見た目だから、ジュエリア嬢と恋愛関係にならないか心配なんだね」
「……」

 サイオンが手に持っていた書類をテーブルに置いた。

「二人が恋に落ちるかは勿論わからないが、その可能性は非常に低いのではないかと思う」
「……何を根拠に?」
「トマスは私の侍従をする前は男娼だったんだよ。男相手の」

 一瞬二人の間に沈黙が流れる。シベリウスは言葉を選んでいた。

「それは……きっと苦労もあったのでしょうね」
「ああ、そうだな。だが、男娼にすらなれず生活苦に喘ぐ者や、街にいる男娼たちとは違って、トマスは高級男娼だったから、恵まれてる部分もあったかもな」
「まあ、あれだけの容姿と立ち振る舞いなら、高級男娼であったのは頷けます。口は悪いですが……」
「トマスが口が悪いのは、素を出せている証拠で良い事なんだよ。演じている時のトマスは王族貴族顔負けだぞ」
「まあ、それも何となく想像がつきます」
「なあ、シベリウス」
「はい?」

 突然サイオンの自分を呼ぶ声のトーンが変わったかと思えば、彼は慈悲深い視線をシベリウスに向けていた。

「実は、初めて君を見た時、目が離せなかったんだ」
「私に?」

 シベリウスは急に心臓が跳ねあがった。話を聞きながら、先ほどからずっと頭に浮かんでは消える考えがあった。
 ミアと婚約した時のサイオン卿の年齢は確か三十歳だったはず。そんな年齢まで、家柄も良く、容姿端麗なこの男がなぜ未婚だったのだろうか。そして彼の麗しい侍従は、男相手の元高級男娼だったという。

 ……サイオン卿とトマスの出会いは……もしや男娼館?

「シベリウス」

 シベリウスはサイオンの声にビクッと身体を反応させ、心臓がドクドクと脈打つ。

「君を初めて見た時、トマスに似ていると思った」
「そ……そうですか……」

 シベリウスはサイオンを直視できず、視線を落とす。

「何か暗い過去でも?」

 サイオンから掛けられた言葉は、色々な意味でシベリウスの予想を外した。

「私の過去?」
「ああ、トマスは無表情だろ? シベリウス、君も仮面を被ったような笑顔を見せる。そういう表情の者は、大抵過去に大きな傷を持っている」
「あ、ああ、なんだ、そんな事か……」

 シベリウスはホッとして、身体の力が抜けた。

「ん? 何がだ?」
「いえ、その……サイオン卿に告白でもされたらどうしようかと……」
「私が君に?」
「大変失礼な話ですよね。ただ、あなたがトマスが男娼だというから、てっきり二人がそういう関係なのかと思ってしまったので」

 サイオンは口を大きく開けて笑いだした。

「あはは! なるほどな。それはよく誤解されるが、私とトマスの間で身体の関係は一度もないよ」
「すいません、本当に」

 会話の最中に扉をノックする音が聞こえた。扉の向こうからトマスの声がする。

「サイオン様、そろそろ城に戻らなければ、セルマ寡妃との約束に遅れます」
「もうそんな時間か」

 サイオンは立ち上がり、シベリウスに微笑む。

「セルマとミアの事は任せてくれ。それとシベリウス、私はなかなか頼りになるぞ。過去の障害で困ることがあれば、いつでも頼ってくれ」

 そう言い残してサイオンは部屋を出た。

 シベリウスもすぐに部屋を出て、一目散に自分の部屋に向かった。
 
「ジュエルッ!」
「シベリウス?」

 シベリウスは部屋でくつろいでいたジュエリアの元まで駆け足で向かい、正面からきつく抱きしめた。

「ああ、ジュエル。僕のジュエル。トマスとおかしなことにはならなかったか?」
「なるわけないでしょ。ねえ、シベリウス、ちょっと離して。ねえ、トマスが教えてくれたことがあるの」
「あいつの話を君の口から聞きたくない」
「馬鹿ね。サイオン卿の話よ」

 その言葉に、シベリウスの腕の力が緩む。
 ジュエリアはその隙にシベリウスの胸元に手をあてて少し押して離し、会話が出来るくらいの距離をとった。

「サイオン卿?」
「ええ、サイオン卿は若い時から独身主義を名乗ってて、縁談は全て断ってたんですって。それをセルマ寡妃がヴェルタ国王と話を進めて、無理矢理サイオン卿とミアの婚約を取り決めたそう」
「サイオン卿はなぜ結婚をしたくないんだ?」
「引っかかるのがそっち? それはわからないけど……とにかく、やっぱりミアの結婚はヴェルタ国王が関係しているのと、それとは逆にサイオン卿には恐らくフロリジア公国をどうにかしたい考えはないわ」
「まあ、それは私も最近わかりました」
「そうなの? あ、ねえあと、私とトマスが変な関係になるなんてもう疑わないで! 私達が恋愛関係になるなんて絶対にないわ」
「なんで言い切れるんです? トマスがジュエルに惚れる可能性は十分ある」

 シベリウスはジュエリアを再度きつく抱きしめて、彼女の香りを嗅ぐように深呼吸をする。

「だって、こんなにジュエルは魅力的で……私はジュエルの香りを嗅ぐだけでも、どうにかなってしまいそうなのに」
「トマスはそう思わないわよ」
「さっきからなんでそう言い切れるんですか」
「女の直感」

 シベリウスはジュエリアをじとっと見つめながら、大きな溜息をついた。



 フロリジア城の自室前についたサイオンはトマスとちょうど別れるところだった。

「今日はもう部屋でゆっくりしてくれ」
「わかりました。ではまた明日の朝に参ります」
「いつもありがとう、トマス」

 サイオンはトマスの頭を優しくぽんぽんと触り、部屋の中へ入って行った。

 閉じられた扉の前には、まだサイオンのつける香水の残り香が広がっている。

 トマスは閉じられたサイオンの部屋の扉を眺め、すぐに動こうとしなかった。いや、すぐには動けなかった。

 トマスはスッと鼻から息を吸いこむ。

 トマスの頬は赤く染まり、だが眉間には皺を寄せ、どこか苦しそうな表情をしている。

 部屋の中に入ったサイオンは窓の近くにある執務机に向かう。席に着き、窓の外を眺めて物思いに耽った。
 溜息をひとつ零すと、振り返り、机の引き出しを開ける。中から取り出したのは、丸められた帆布である。
 
 サイオンが帆布を広げると、それは木枠が外された、帆布だけの状態になっている小さなキャンバスだった。

 サイオンの瞳は熱を帯び、焦がれるような表情でそのキャンバスを眺めている。
 そこに描かれているのは、ボリュームたっぷりの豪華なドレスに身を包んだ、若く美しい黒髪女性の姿だった。
 

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