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11. 不思議な男
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シベリウスはベッドから降り、椅子に掛かっていたナイトローブを羽織りながらトマスに近づいて行く。
開いた扉から、廊下をバタバタと慌てて駆ける足音が聞こえて来た。
「シベリウス様! いつの間にかその者が我々をすり抜けていてっ——」
駆け込んで来た館の従僕や近衛隊の部下をシベリウスは睨みつける。その表情だけで圧死できるほどの恐ろしさがあり、彼らは血の気が引き、呼吸すら忘れかけていた。
シベリウスはそのまま視線をトマスに向ける。だがトマスは飄々としており、シベリウスの気迫にも動じていない。
「私の使用人や部下は優秀なんだが……。その警護をどうすり抜けた」
「普通に廊下を歩いただけですよ」
トマスはそう言うと優雅に歩き出し、シベリウスと拳一つ分の距離まで近づく。
「サイオン様があなたをお待ちなんです。早く来てください」
「サイオン? 約束は正午のはずだ」
「少し早く着いてしまったんです」
シベリウスとジュエリアが部屋の時計を見ると、まだ朝の七時であった。
「迷惑な奴らだな」
「あなた達が騒ぎ出した問題ですよ? それをわざわざこっちから出向いてるんですから、早くサイオン様のところに行ってください」
ジュエリアは支度をしようとベッドから慌てて降りると、トマスが手のひらをジュエリアに向けた。
「あなたは来なくていいです」
「え?」
ジュエリアは戸惑い、シベリウスは眉間に皺を寄せた。
「サイオン様はシベリウス様と二人きりでお話されたいそうなので」
「継承者を話し合いの席から外すのか?」
シベリウスがトマスに顔を近づけ、二人の距離は触れるか触れないかのすぐ傍まで近づいている。
「シベリウス、別にいいわよ。サイオン卿と二人で話してきて」
ジュエリアはそもそもまだ女公になる決心がついていない。話し合いの場に出た所で、何の意見も主張も出来ないのだから、行かないでいいのならその方が気が楽だ。
シベリウスはジュエリアの表情を読み取ったのか、あっさりと引き下がる。
「ジュエル……すぐに戻ります」
シベリウスはトマスや従僕達と共に部屋を出て行った。
「さて……じゃあ、私は何をしようかしら……」
ジュエリアは窓の外を覗くと、朝市で賑わっていた。シベリウスの暮らす館は、ローゼンの街の中にある。シベリウス自身が所有する家は自身の領地にあるそうで、ここはローゼンでの活動用にと帝国から貸与された帝国所有の館である。所有者は帝国だが、シベリウスにはこの館に関しては内装も使用人も好きにしていいと言われているので、実質シベリウスの館である。
ジュエリアは妹と違い泊りでの旅行や外交に連れて行ってもらう事がなかったため、いつもとは違う朝の景色に高揚感を覚えた。
食い入るように窓の外を眺めれば、露店には採れたてであろうまだ朝露の滴る野菜がぎっしりと並べられており、ご婦人方がその野菜を覗き込み店主に値切っているように見える。その隣ではあくびをしながら親の手伝いをする子供の姿や、人混みの通りをかき分けてどこかに急ぐ者もいる。
ジュエリアは思わず両手で窓をバタンと開けた。
太陽の光と新鮮な空気が一気に身体に染み渡り、朝市の喧騒がとても心地よく耳に響いた。
ジュエリアはうずうずしてきて、部屋の中に視線を移す。
「外出できるような服があるかしら……」
ジュエリアは部屋の中のクローゼットルームらしき場所に向かうと、そこには沢山の女性用のドレスや靴や装飾品が置かれていた。
「うわあ……こんなに沢山、誰のものかしら……」
煌びやかな夜会用のドレスが多かったが、昼間用のワンピースもあり、その中からなるべく地味なものを手に取り着てみる。
「ぴったり」
ジュエリアは目に入った靴も履いてみた。
「ぴったり……」
もしやこれは全部シベリウスが自分に用意したものなのだろうか……。そんな事が頭をよぎったが、思い切り首を振り、考えないようにした。
ジュエリアは帽子を深く被り、一階まで降りると、玄関近くに置かれた彫刻の横にしゃがんで隠れた。
「さて……ここからどうやって抜け出すか……」
家の中はいたるところに使用人がいる。彼らの動きに目を凝らしていると、後ろから小声で声を掛けられた。
「出たいの?」
「ひっ」
振り返ると、美しい顔が目の前に現れた。サイオン卿の侍従、トマスである。彼はなぜかジュエリアと一緒になって彫刻の陰でしゃがんでいる。
「出してあげようか?」
「え……いいわよ。そう言って外に連れ出して殺すつもりでしょ」
「ぶはっ」
基本無表情のトマスが、その表情は変えないまま、声だけで吹いて笑った。
「俺があなたを殺す? そんな事して何の得があるの? むしろ厄介ごとになるだけだから絶対やらないね」
彼は表情が乏しく、感情を読み取ることは難しいが、ジュエリアは何となく彼を信じられる気がした。
「じゃ……じゃあ、朝市に行きたいのだけど、連れて行ってもらえる?」
「いいよ。その代わり俺のお願いも聞いて」
「お願い?」
「別に命をくれとか、継承権を放棄しろとか、そんな事は要求しない。もっとくだらなくて簡単なことだ」
「そ……そうは言ってもどんな要求か……」
ジュエリアが迷っていると、ガタンと大きな音がして、反射的に身を屈めた。
「どうすんの? 外行く? やめる?」
「いっ……行くっ!!」
トマスはジュエリアの返事を聞くと手を掴み、近くの扉の中にジュエリアを連れ込んだ。
開いた扉から、廊下をバタバタと慌てて駆ける足音が聞こえて来た。
「シベリウス様! いつの間にかその者が我々をすり抜けていてっ——」
駆け込んで来た館の従僕や近衛隊の部下をシベリウスは睨みつける。その表情だけで圧死できるほどの恐ろしさがあり、彼らは血の気が引き、呼吸すら忘れかけていた。
シベリウスはそのまま視線をトマスに向ける。だがトマスは飄々としており、シベリウスの気迫にも動じていない。
「私の使用人や部下は優秀なんだが……。その警護をどうすり抜けた」
「普通に廊下を歩いただけですよ」
トマスはそう言うと優雅に歩き出し、シベリウスと拳一つ分の距離まで近づく。
「サイオン様があなたをお待ちなんです。早く来てください」
「サイオン? 約束は正午のはずだ」
「少し早く着いてしまったんです」
シベリウスとジュエリアが部屋の時計を見ると、まだ朝の七時であった。
「迷惑な奴らだな」
「あなた達が騒ぎ出した問題ですよ? それをわざわざこっちから出向いてるんですから、早くサイオン様のところに行ってください」
ジュエリアは支度をしようとベッドから慌てて降りると、トマスが手のひらをジュエリアに向けた。
「あなたは来なくていいです」
「え?」
ジュエリアは戸惑い、シベリウスは眉間に皺を寄せた。
「サイオン様はシベリウス様と二人きりでお話されたいそうなので」
「継承者を話し合いの席から外すのか?」
シベリウスがトマスに顔を近づけ、二人の距離は触れるか触れないかのすぐ傍まで近づいている。
「シベリウス、別にいいわよ。サイオン卿と二人で話してきて」
ジュエリアはそもそもまだ女公になる決心がついていない。話し合いの場に出た所で、何の意見も主張も出来ないのだから、行かないでいいのならその方が気が楽だ。
シベリウスはジュエリアの表情を読み取ったのか、あっさりと引き下がる。
「ジュエル……すぐに戻ります」
シベリウスはトマスや従僕達と共に部屋を出て行った。
「さて……じゃあ、私は何をしようかしら……」
ジュエリアは窓の外を覗くと、朝市で賑わっていた。シベリウスの暮らす館は、ローゼンの街の中にある。シベリウス自身が所有する家は自身の領地にあるそうで、ここはローゼンでの活動用にと帝国から貸与された帝国所有の館である。所有者は帝国だが、シベリウスにはこの館に関しては内装も使用人も好きにしていいと言われているので、実質シベリウスの館である。
ジュエリアは妹と違い泊りでの旅行や外交に連れて行ってもらう事がなかったため、いつもとは違う朝の景色に高揚感を覚えた。
食い入るように窓の外を眺めれば、露店には採れたてであろうまだ朝露の滴る野菜がぎっしりと並べられており、ご婦人方がその野菜を覗き込み店主に値切っているように見える。その隣ではあくびをしながら親の手伝いをする子供の姿や、人混みの通りをかき分けてどこかに急ぐ者もいる。
ジュエリアは思わず両手で窓をバタンと開けた。
太陽の光と新鮮な空気が一気に身体に染み渡り、朝市の喧騒がとても心地よく耳に響いた。
ジュエリアはうずうずしてきて、部屋の中に視線を移す。
「外出できるような服があるかしら……」
ジュエリアは部屋の中のクローゼットルームらしき場所に向かうと、そこには沢山の女性用のドレスや靴や装飾品が置かれていた。
「うわあ……こんなに沢山、誰のものかしら……」
煌びやかな夜会用のドレスが多かったが、昼間用のワンピースもあり、その中からなるべく地味なものを手に取り着てみる。
「ぴったり」
ジュエリアは目に入った靴も履いてみた。
「ぴったり……」
もしやこれは全部シベリウスが自分に用意したものなのだろうか……。そんな事が頭をよぎったが、思い切り首を振り、考えないようにした。
ジュエリアは帽子を深く被り、一階まで降りると、玄関近くに置かれた彫刻の横にしゃがんで隠れた。
「さて……ここからどうやって抜け出すか……」
家の中はいたるところに使用人がいる。彼らの動きに目を凝らしていると、後ろから小声で声を掛けられた。
「出たいの?」
「ひっ」
振り返ると、美しい顔が目の前に現れた。サイオン卿の侍従、トマスである。彼はなぜかジュエリアと一緒になって彫刻の陰でしゃがんでいる。
「出してあげようか?」
「え……いいわよ。そう言って外に連れ出して殺すつもりでしょ」
「ぶはっ」
基本無表情のトマスが、その表情は変えないまま、声だけで吹いて笑った。
「俺があなたを殺す? そんな事して何の得があるの? むしろ厄介ごとになるだけだから絶対やらないね」
彼は表情が乏しく、感情を読み取ることは難しいが、ジュエリアは何となく彼を信じられる気がした。
「じゃ……じゃあ、朝市に行きたいのだけど、連れて行ってもらえる?」
「いいよ。その代わり俺のお願いも聞いて」
「お願い?」
「別に命をくれとか、継承権を放棄しろとか、そんな事は要求しない。もっとくだらなくて簡単なことだ」
「そ……そうは言ってもどんな要求か……」
ジュエリアが迷っていると、ガタンと大きな音がして、反射的に身を屈めた。
「どうすんの? 外行く? やめる?」
「いっ……行くっ!!」
トマスはジュエリアの返事を聞くと手を掴み、近くの扉の中にジュエリアを連れ込んだ。
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