2 / 66
1. 薔薇の日
しおりを挟む
「こんな花束いらないわ」
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
10
お気に入りに追加
49
あなたにおすすめの小説
「君を愛さない」と言った公爵が好きなのは騎士団長らしいのですが、それは男装した私です。何故気づかない。
束原ミヤコ
恋愛
伯爵令嬢エニードは両親から告げられる。
クラウス公爵が結婚相手を探している、すでに申し込み済みだと。
二十歳になるまで結婚など考えていなかったエニードは、両親の希望でクラウス公爵に嫁ぐことになる。
けれど、クラウスは言う。「君を愛することはできない」と。
何故ならば、クラウスは騎士団長セツカに惚れているのだという。
クラウスが男性だと信じ込んでいる騎士団長セツカとは、エニードのことである。
確かに邪魔だから胸は潰して軍服を着ているが、顔も声も同じだというのに、何故気づかない――。
でも、男だと思って道ならぬ恋に身を焦がしているクラウスが、可哀想だからとても言えない。
とりあえず気づくのを待とう。うん。それがいい。
嫌われ皇后は子供が可愛すぎて皇帝陛下に構っている時間なんてありません。
しあ
恋愛
目が覚めるとお腹が痛い!
声が出せないくらいの激痛。
この痛み、覚えがある…!
「ルビア様、赤ちゃんに酸素を送るためにゆっくり呼吸をしてください!もうすぐですよ!」
やっぱり!
忘れてたけど、お産の痛みだ!
だけどどうして…?
私はもう子供が産めないからだだったのに…。
そんなことより、赤ちゃんを無事に産まないと!
指示に従ってやっと生まれた赤ちゃんはすごく可愛い。だけど、どう見ても日本人じゃない。
どうやら私は、わがままで嫌われ者の皇后に憑依転生したようです。だけど、赤ちゃんをお世話するのに忙しいので、構ってもらわなくて結構です。
なのに、どうして私を嫌ってる皇帝が部屋に訪れてくるんですか!?しかも毎回イラッとするとこを言ってくるし…。
本当になんなの!?あなたに構っている時間なんてないんですけど!
※視点がちょくちょく変わります。
ガバガバ設定、なんちゃって知識で書いてます。
エールを送って下さりありがとうございました!
お金目的で王子様に近づいたら、いつの間にか外堀埋められて逃げられなくなっていた……
木野ダック
恋愛
いよいよ食卓が茹でジャガイモ一色で飾られることになった日の朝。貧乏伯爵令嬢ミラ・オーフェルは、決意する。
恋人を作ろう!と。
そして、お金を恵んでもらおう!と。
ターゲットは、おあつらえむきに中庭で読書を楽しむ王子様。
捨て身になった私は、無謀にも無縁の王子様に告白する。勿論、ダメ元。無理だろうなぁって思ったその返事は、まさかの快諾で……?
聞けば、王子にも事情があるみたい!
それならWINWINな関係で丁度良いよね……って思ってたはずなのに!
まさかの狙いは私だった⁉︎
ちょっと浅薄な貧乏令嬢と、狂愛一途な完璧王子の追いかけっこ恋愛譚。
※王子がストーカー気質なので、苦手な方はご注意いただければ幸いです。
【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!
はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。
伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。
しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。
当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。
……本当に好きな人を、諦めてまで。
幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。
そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。
このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。
夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。
愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
女官になるはずだった妃
夜空 筒
恋愛
女官になる。
そう聞いていたはずなのに。
あれよあれよという間に、着飾られた私は自国の皇帝の妃の一人になっていた。
しかし、皇帝のお迎えもなく
「忙しいから、もう後宮に入っていいよ」
そんなノリの言葉を彼の側近から賜って後宮入りした私。
秘書省監のならびに本の虫である父を持つ、そんな私も無類の読書好き。
朝議が始まる早朝に、私は父が働く文徳楼に通っている。
そこで好きな著者の本を借りては、殿舎に籠る毎日。
皇帝のお渡りもないし、既に皇后に一番近い妃もいる。
縁付くには程遠い私が、ある日を境に平穏だった日常を壊される羽目になる。
誰とも褥を共にしない皇帝と、女官になるつもりで入ってきた本の虫妃の話。
更新はまばらですが、完結させたいとは思っています。
多分…
夫に離縁が切り出せません
えんどう
恋愛
初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。
妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。
妻のち愛人。
ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。
「ねーねー、ロナぁー」
甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。
そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる