1 / 81
1. 薔薇の日
しおりを挟む
「こんな花束いらないわ」
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
10
お気に入りに追加
72
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
夫と息子は私が守ります!〜呪いを受けた夫とワケあり義息子を守る転生令嬢の奮闘記〜
梵天丸
恋愛
グリーン侯爵家のシャーロットは、妾の子ということで本妻の子たちとは差別化され、不遇な扱いを受けていた。
そんなシャーロットにある日、いわくつきの公爵との結婚の話が舞い込む。
実はシャーロットはバツイチで元保育士の転生令嬢だった。そしてこの物語の舞台は、彼女が愛読していた小説の世界のものだ。原作の小説には4行ほどしか登場しないシャーロットは、公爵との結婚後すぐに離婚し、出戻っていた。しかしその後、シャーロットは30歳年上のやもめ子爵に嫁がされた挙げ句、愛人に殺されるという不遇な脇役だった。
悲惨な末路を避けるためには、何としても公爵との結婚を長続きさせるしかない。
しかし、嫁いだ先の公爵家は、極寒の北国にある上、夫である公爵は魔女の呪いを受けて目が見えない。さらに公爵を始め、公爵家の人たちはシャーロットに対してよそよそしく、いかにも早く出て行って欲しいという雰囲気だった。原作のシャーロットが耐えきれずに離婚した理由が分かる。しかし、実家に戻れば、悲惨な末路が待っている。シャーロットは図々しく居座る計画を立てる。
そんなある日、シャーロットは城の中で公爵にそっくりな子どもと出会う。その子どもは、公爵のことを「お父さん」と呼んだ。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

溺婚
明日葉
恋愛
香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。
以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。
イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。
「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。
何がどうしてこうなった?
平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?
私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。
石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。
自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。
そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。
好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる