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1. 薔薇の日
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「こんな花束いらないわ」
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
フロリジア公国公女・ジュエリアが払いのけた真っ赤な薔薇の花束は、薔薇の日で賑わう街の空へと舞い上がった。
その昔、聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の戦争で、両国の大陸を繋ぐような地形で存在するこのフロリジア公国の首都ローゼンは激戦地となった。
ローゼンの街の地面は大量の血染みで血塗られ、街全体は酷い死臭で覆われた。兵士だけでなく大勢の民も犠牲になったこの戦争は、フロリジア公国が帰属する聖ロマニス帝国の勝利で終わった。
現代のローゼンでは、月に一度薔薇の日が開催される。大きな市も兼ねた日なので、今ではその意味をよく理解せず、ただその日を楽しんでいる民が多い。もちろんそれで薔薇の日が賑わい存続されるなら、開く意味は十分あるだろう。
だが本来の目的は激戦地となったこの地で命を落とした者達を追悼し、忘れない為、民が主体となって始めたメモリアルデーである。街中に敷き詰められた薔薇の花びらは当時の血染みを再現しており、戦争の激しさを表現していた。そして薔薇特有の濃い香りは、死臭を浄化する意味合いを持つ。
薔薇の日には、余興的な試合として馬上槍試合も開催される。騎兵が槍を持って一騎討ちする闘いで、もちろん、槍は殺傷能力の低い折れやすいものや、参加者によっては先を布で巻いた棒で、騎兵も怪我をしないように顔を完全に覆った頑丈な鎧で挑戦する。歴代の参加者の年齢では、最高齢で七十歳、最年少ではなんと八歳の子供もいたことがある。薔薇の日で一番の盛り上がりを見せる余興試合であった。
薔薇の花びらが散らばった石畳の上にトサリと落ちた花束を、漆黒の軍服に身を包む背の高い男が拾い上げる。
薔薇のようにとげとげしい美しさを持つジュエリアは、輝くゴールドブロンドの髪をしきりに手で触りながら、気まずそうに相手の視線を逸らそうと顔を横に向けた。
薔薇の花束を拾った軍服姿の男は、美しいホワイトカラーの髪に、端正な顔立ちで、物腰も柔らかく、穏やかな笑み——底が知れない笑顔とも言うべきか——を浮かべ、優し気な面構えとは反するような、鍛え上げられた逞しい身体に纏う制服は、このフロリジア公国の帰属する聖ロマニス帝国の、皇帝直属の近衛隊の中でも更に精鋭部隊である、近衛騎兵隊にしか着用を許されない漆黒の制服だった。
彼の名はブローディア子爵シベリウス・グウェイン。出自は伯爵家の四男だそうで、家から受け継ぐものはないが、類稀なる身体能力とその容姿で名を上げ、十八歳の時にはフロリジア公国のすぐ隣にあるブローディア領と、ブローディア子爵位を授与され、今や皇帝の剣と呼ばれており、精鋭部隊を率いる士官であった。
ここまで凄い人物だとジュエリアには逆に何だか怪しく思えた。彼の出自だと言う帝国内の伯爵家にはグウェインという家名の者は聞いた事がなかったこともあり、どこまで本当の話か疑う気持ちに拍車をかけた。
シベリウスはにこにこと微笑みながら口を開く。
「薔薇はダメでしたか。でも次はお気に召して頂けるものを見つけますね」
フロリジア公国のジュエリア公女と、聖ロマニス帝国の近衛士官シベリウスは婚約関係にあった。
聖ロマニス帝国とヴェルタ王国は今は戦争はしていないが、友好関係にあるとも言い難い。冷戦状態という表現が適切だろう。
君主フロリジア公には前妻の娘ジュエリアと、後妻の娘ミアがいる。順当に行けば長女のジュエリアがフロリジア公となるはずだが、彼女の母・前公妃はジュエリア出産後すぐに亡くなっており、城では後妻であるセルマ公妃の影響力が強かった。
セルマ公妃はフロリジア公を言いくるめ、ミア誕生の翌年にはフロリジア公国をミアに継承させる国事詔書を発布させた。そして、ミアが三歳の時には、親子ほど年の離れたヴェルタ王国の王族男性と婚約を成立させる。
歴史的にヴェルタ王国は、フロリジア公国を聖ロマニス帝国から引き剥がして自国領土にしようと算段しているはずなのに、セルマ公妃はそんなヴェルタ王国の者と婚約させたのだ。
同時期、六歳だったジュエリアには、領地も権力もない貴族と婚約させ、ジュエリアが十八歳になれば国を出てその男性の元に嫁ぐ婚約誓約書を交わした。
そしてそれから十一年後、ジュエリア十七歳、ミアが十四歳の時に、聖ロマニス帝国皇帝がこの国へ寄こしたのが、当時十九歳だった近衛士官のシベリウスである。聖ロマニス帝国皇帝はこの時、強制的にジュエリアの婚約を破棄させ、シベリウスを婚約者に挿げ替えた。
帝国もヴェルタ王国も、地理的に陸地移動ではフロリジア公国を通らなければ隣の大陸に行けない。ここは二つの大陸の唯一無二の通過点であり、重要な軍事拠点にもなりえる。
そんな蔑ろには出来ない国の後継者の婚約者に、ヴェルタ王国の王族がなった時点で、本来なら帝国も直ぐに手を打って来そうなものだったが、実際には十一年も何もしなかった。
そして、やっと重い腰を上げたと思えば、ミアではなく、ジュエリアの婚約者の方に息のかかったシベリウスを据えた。
帝国内や隣国も含めて殆どの者達は、帝国への宣戦布告のようなセルマ公妃の行動が理解出来なかったが、帝国の考えも良くわからなかった。とにかく聖ロマニス帝国とヴェルタ王国の間で不穏な動きがあるのは間違いない。
貴族だけでなく、民の間でも、戦争がいつ始まってもおかしくないと常に噂が回っていた。
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