38 / 38
38. 不可解な手紙、幸せの手紙
しおりを挟む
挨拶をする二人にアロイス王太子は喜びを表現しようと強く抱きしめた。
「よく戻ってくれた!」
「アロイス、返事が出来なくて申し訳ありませんでした」
「いいんだシルビア。これを見ればどれだけ大変だったかわかる。戻って来てくれてありがとう」
ジルベールは今空を飛んでいた物体を指差して説明する。
「王太子殿下、これはアウルム国の気球に、改良した蒸気機関を取り付けて操縦可能にしました」
残りの気球船からバラド国王とゼキがやってきて、その更に後ろではギュネシュとスアトがぷかぷかと浮かぶ小さな球体を紐に繋いだものを沢山持って、こちらに歩いて来ていた。
「王太子! 彼らはやり遂げたぞ。炭鉱の排水は改良された蒸気機関でさらに効率がよくなり、しかもその仕組みを使ってアウルムの気球を操作出来るようにまでしてくれた」
バラド国王はそう言ってアロイス王太子の手を握る。
「本当に世話になった」
後ろにいたスアトが持っていた球体の紐をひとつアロイス王太子に渡す。王太子はその紐を受け取ると、紐の先の球体はぷかぷかと浮いて、空に向かって飛びたそうにしている。
「これは?」
「シルビア嬢の発案でブルーハンドとレッドハンドの力を合わせてみたら、水から酸素よりも軽い気体が取り出せることを発見したんです。それをこの風船につめています」
シルビアもアロイス王太子に話しかけた。
「これを科学で再現し、実用化できるように、お兄様はまたアウルム国へ戻って研究をしたいそうです」
アロイス王太子はシルビアを抱きしめ、ジルベールにも頷いてみせた。
「ウェリントン兄妹はいつも私を驚かせる」
アロイス王太子はシルビアから離れ、大きな声を上げる。
「ウェリントン子爵、子爵子息ジルベール、子爵令嬢シルビア、前に出るように」
「あの、アロイス、私は戸籍上はウェリントン子爵令嬢ではなく、マーレーン伯爵令嬢です」
アロイス王太子はシルビアに微笑みながら首を横に振った。
「君がいない間に養子縁組は解消されてる。だから、今はウェリントン家に戻って子爵令嬢だ」
「それでは、ルイスとは?」
「すでに婚約破棄となった」
シルビアはルイス王子との結婚はもちろん望んでいない。だが、ルイス王子との結婚が無くなったのなら、いよいよ王室との別れ、アロイス王太子との別れが近づいている事を意味する。そう思うと胸がズキンと痛んだ。
アロイス王太子の前にウェリントン一家が整列すると、王太子は声を張った。
「蒸気機関の発明により、炭鉱の問題を解決するだけでなく、アウルム国の気球を操作可能にまでした。この技術はオーバーランド王国も発展させるだろう。見事な功績だ」
ウェリントン一家が深々と頭を下げる。
「よって、その功績に見合うだけのものを贈る。まず、優秀な息子と娘を育てたウェリントン子爵には侯爵位を。そしてマーレーン伯爵領だった領地を与え、これをもってかの地はウェリントン領となり、元々のウェリントン領と併せて治めるように」
ウェリントン一家は一斉に顔を上げて王太子を見た。その表情は喜びよりも、信じられないといったものだった。
「次に、ジルベール・ウェリントンに男爵位を——」
アロイス王太子の話の途中でバラド国王が手を挙げた。
「恩恵を与えている最中すまない。ジルベールにはこれも付け足してくれ。彼にはアウルム国と今後も共同開発をして欲しい。その代わり、アウルムの純度の高い鉄や、アウルム産の特別な石炭の取引は全てジルベール・ウェリントンに独占権を持たせる、と」
アロイス王太子は笑った。
「それはいいな。では、ジルベールに権限を」
貴族の婦人達の目が光り出す。ジルベールは今となっては娘の結婚相手として最優良株。アウルム国との独占取引の権利があるだけではなく、いずれあの広大な元マーレーン領、今はウェリントン領となった領地を相続し、侯爵となるのだ。
誰かが拍手を始め、パチパチとその音が広がり、やがて貴族達からウェリントン家に大きな歓声と拍手が沸き上がった。
「あの空飛ぶ船の構造をもっと教えてくれ、ウェリントン!」
「アウルムでは鉱山に自ら赴かれたのですか? なんて勇ましいの」
「元マーレーン領の領地経営相談ならいつでも乗るぞ!!」
今までそっぽを向いていた貴族達が一斉にウェリントン一家を囃し立て、祭り上げ、今のうちにお近づきになろうと必死になっていた。
群がる貴族達に向かって、ユルゲンが叫んだ。
「ご静粛にっ!!」
ピタリと声は収まると、ユルゲンが貴族達に道を開けるように指示を出す。開かれていく人波の間を、アロイス王太子が歩き始めた。その姿に気が付いた貴族達はさらに広がって行く。
ちょうど貴族が円になってウェリントン家を囲む状態になり、アロイス王太子はウェリントン夫妻の前で片膝をついて跪いた。見守る貴族達は驚きの声を上げ、ウェリントン夫妻も慌てて王太子に立ってもらうよう必死に促す。
「ウェリントン侯爵、並びに侯爵夫人に許しを乞いたい。どうか侯爵夫妻のご令嬢、シルビア・ウェリントン侯爵令嬢を我が妻に迎え入れる許可を頂けないか」
「しかし、我が家にはその資格は……」
ルイーザ王女も円の中に進み出て、ウェリントン侯爵に答えた。
「すでに侯爵位を得て、資産も獲得しました。シルビア嬢自身にはアロイスと一生を共に出来る深い愛も、国を動かせるだけの強い責任感もあります。十分すぎる資格をお持ちですよ」
ウェリントン侯爵は家族の方へ身体を向けた。そしてその腕を広げると、妻も、ジルベールもシルビアもその胸に飛び込んで行き、家族四人で抱き合った。そしてウェリントン侯爵はアロイス王太子の前で自身も跪き、結婚の許可を出す。
「アロイス王太子殿下。どうぞ我が娘を……」
その後の言葉は声が詰まって出なかった。
「侯爵、心から感謝する」
アロイス王太子は立ち上がると、今度はシルビアの前で跪いた。そして左手を取り、薬指に指輪をはめる。
「シルビア・ウェリントン侯爵令嬢。私と結婚して欲しい」
シルビアが左手の薬指をみると、美しいアイリスの花がデザインされた指輪だった。そして再びアロイスを見る。アロイスの瞳は強い意志と愛情が感じられた。
「シルビア、君を生涯大切にする」
「アロイス、私もあなたを生涯大切にします」
再び貴族達から色づく溜息や歓声が上がった。
全てが大団円を迎え、貴族達もそれぞれの領地へと戻って行く。
今年の社交シーズンが終わった。
静かになった王宮の国王の部屋に、ルイーザ王女、バラド国王、アロイス王太子、シルビア、ルイス王子、そしてアルタンが集まり、意識のない国王を見ている。
ルイーザ王女は国王のベッドの横で膝をつき、毎晩しているように国王に話しかける。
「国王陛下……。ねえ、お父様? 聞いてくださる? 今日は素晴らしい一日でしたの。お父様の後継者は国の腐敗を食い止め、有能な貴族を見出しました。そして今日一番のご報告は、アロイスとルイスの結婚が決まったのです」
ルイーザ王女は熱心に話しかけるが、いつも通り何の反応も示さない。
「お父様……喜んでくださっているわよね?」
ルイーザ王女は国王が倒れてから、毎晩欠かさず声を掛け続けていた。もしかしたら目覚めるかもと思いながら声を掛けるが、結局何の反応も返ってこない日々をずっと繰り返していた。それがどれだけ彼女の心をすり減らしていたか……その場にいる全員は胸が締め付けられていた。
バラド国王がルイーザ王女に近づき、隣で一緒に膝をつくと、優しく肩を抱き寄せた。
そしてバラド国王はルイ国王に語り掛ける。
「ルイ=アロイシウス国王、このアウルム国バラドより謹んでお願い申し上げる」
「バラド?」
急にルイ国王に願い始めたバラド国王にルイーザ王女は首を傾げて彼を見た。彼は真剣な表情で、まるでルイ国王が起きているかのように言葉を続けた。
「あなたの大切な王女、ルイーザを我が妻に迎えたい。命が尽きるまで彼女を大切にし、愛し抜くと誓おう。オーバーランドにも頻繁に訪れる。だから、ルイーザをアウルムに連れて行くことを許してほしい」
「バラド!」
ルイーザ王女が驚いて立ち上がった時、ずっと心待ちにしていた声が聞こえた。
「……許す」
その場にいる全員が息を呑んだ。今、確かにルイ国王は返事をした。
ルイーザ王女が急いでルイ国王の枕元で声を掛ける。
「お父様! 目が覚めたの? お父様!!」
ルイ国王はゆっくりと目を開き、ルイーザへと視線を向けた。
「毎晩聞かせてくれるルイーザの話が嬉しかった。私も、弟達も、もう大丈夫だから、幸せになりなさい」
ルイーザ王女は自分の口を片手で強く握るように塞ぐ。こんなに大勢の前で泣くなど、王女として、弟達の姉として絶対に出来ない。熱くなる目頭と喉元に必死に抗った。
そんな彼女の手をバラド国王が強く引いて無理矢理抱きしめた。ルイーザ王女の顔はバラド国王の胸元にある。
「誰もお前の顔を見ていない。だから思い切り泣け」
ルイーザ王女は声を殺して涙を流した。
——ルイ国王はこの日、息を引き取った。
♢
紅葉の始まった美しい山々や木々、そして咲き乱れる秋桜や金木犀が、広大なウェリントン領を鮮やかに染めていた。
その自然の中を走り抜ける蒸気機関車に、秋の収穫をしている領地の民たちが一斉に手を振る。
「国王陛下! 王妃殿下!!」
「ウェリントン領の女神!」
汽車の窓からはアロイス国王とシルビア王妃が民に手を振っている。シルビアは美しいウェリントン領を見て、タラテに感謝する。
(あなたが育てた土地……あなたほどの力はないけど、あなたの子孫のウェリントン家が引き継ぎ、大切に育んでいます。あなたが支えたかったアウルム国も、今はあなたの子孫であるジルベールが科学の力で発展させて、国力を上げる貢献をして支えています)
物思いに耽るシルビアの顔を、アロイス国王が覗き込む。
「私の愛する妻は何を考えているんだい?」
「やだ、アロイス。そんなに見ないでください」
アロイス国王は覗き込むついでに、そのままシルビアにキスをした。近くに座るユルゲンは、その瞬間はちゃんと窓の外を眺める。
「今回のアウルム国の滞在は、やんちゃな甥っ子や気難しい姪っ子の世話をさせられて大変だっただろう」
「いえ、とても楽しかったですよ。どちらも国王と王妃の血が色濃く出ていて、将来が楽しみですね」
「ははは、あの二人の子供達だから、さぞ気も強いだろうな」
アロイス国王とシルビア王妃は、アウルム国の威厳溢れる国王夫妻を思い出し、互いに目を合わせて笑った。
「ジルベールもすっかりアウルム国での研究が楽しいようで、いつかちゃんとウェリントン領に戻って来るのか心配になるな」
「ふふ、ちゃんと帰ってきます。貴族の務めを理解していますから」
汽車はウェリントン領を抜けると、あの森のそばを駆け抜ける。
「ああ、あの森、懐かしいな。ルイスは相変わらず女王と野原を駆け回っているんだろうか?」
「野原って。ハイステップの大草原ね。またあの地平線を見に行きたいですね」
「そうだな。次はルイスに会いに行こう。きっと更に真っ黒に焼けてるぞ」
汽車は終着点の王都に到着し、オーバーランド国王夫妻は王宮へと戻る。
二人を待っていた小さな王太子が乳母の手を離れてシルビア王妃の元に駆け込む。
「おとうさま、おかあさま! おかえりなさい!」
白い肌に、透明感と艶感のあるブルネットの髪、アロイス国王と同じコバルトブルーの瞳をした、可愛らしい王太子である。
「ただいま、アルヴィス。お父様とお母様がいない間は良い子にしていたかしら?」
「もちろんです! アルヴィスはおかあさまに手紙を書きました!」
小さなアルヴィス王太子はシルビア王妃に手紙を渡した。ちゃんと封蝋もされている。控えていた乳母が微笑みながら教えてくれた。
「正式な書状だから封蝋もして欲しいと言われ、押させて頂きました」
「まあ、それは大切な手紙だわ。さっそく読ませて頂きましょう」
シルビア王妃は封蝋を開け、アロイス国王とともに手紙を読む。小さな子供が書く手紙の難解さに、アロイス国王は呟く。
「……不可解な手紙だ……まったく読めん」
幼いアルヴィス王太子は父の言葉にぷくっと頬を膨らませた。その愛らしさにその場にいた皆が癒され微笑む。
乳母がシルビア王妃から手紙を受け取ると、コホンッと軽く咳をする。
「では、僭越ながら私が代理で読み上げさせていただきます。オーバーランド王国王太子アルヴィスは、シルビア・オーバーランドに婚約を申し込む」
乳母の読み上げた不可解な手紙の内容に、相手は子供にもかかわらず、ムキになったのはアロイス国王だった。
「ならんっ!! シルビアは私の妻だ! 既婚者に求婚などありえないのは貴族じゃなくても誰でも知っている!」
その言葉にぴゃーっとアルヴィス王太子は泣く。シルビア王妃は、小さな子供を泣かせたアロイス国王に冷ややかな視線を向けてから、優しくアルヴィス王太子を抱き上げた。
「泣かないでアルヴィス。わかりました。あなたに大切な人が現れるまで、そのあいだだけ私があなたの婚約者になりましょう」
「ほんと?」
シルビア王妃はアロイス国王に笑って見せてから、愛おしい王太子に微笑む。
「ええ、でも、仮初めの婚約者ですからね」
END
※最後まで読んでくださった事、心から感謝申し上げます。
「よく戻ってくれた!」
「アロイス、返事が出来なくて申し訳ありませんでした」
「いいんだシルビア。これを見ればどれだけ大変だったかわかる。戻って来てくれてありがとう」
ジルベールは今空を飛んでいた物体を指差して説明する。
「王太子殿下、これはアウルム国の気球に、改良した蒸気機関を取り付けて操縦可能にしました」
残りの気球船からバラド国王とゼキがやってきて、その更に後ろではギュネシュとスアトがぷかぷかと浮かぶ小さな球体を紐に繋いだものを沢山持って、こちらに歩いて来ていた。
「王太子! 彼らはやり遂げたぞ。炭鉱の排水は改良された蒸気機関でさらに効率がよくなり、しかもその仕組みを使ってアウルムの気球を操作出来るようにまでしてくれた」
バラド国王はそう言ってアロイス王太子の手を握る。
「本当に世話になった」
後ろにいたスアトが持っていた球体の紐をひとつアロイス王太子に渡す。王太子はその紐を受け取ると、紐の先の球体はぷかぷかと浮いて、空に向かって飛びたそうにしている。
「これは?」
「シルビア嬢の発案でブルーハンドとレッドハンドの力を合わせてみたら、水から酸素よりも軽い気体が取り出せることを発見したんです。それをこの風船につめています」
シルビアもアロイス王太子に話しかけた。
「これを科学で再現し、実用化できるように、お兄様はまたアウルム国へ戻って研究をしたいそうです」
アロイス王太子はシルビアを抱きしめ、ジルベールにも頷いてみせた。
「ウェリントン兄妹はいつも私を驚かせる」
アロイス王太子はシルビアから離れ、大きな声を上げる。
「ウェリントン子爵、子爵子息ジルベール、子爵令嬢シルビア、前に出るように」
「あの、アロイス、私は戸籍上はウェリントン子爵令嬢ではなく、マーレーン伯爵令嬢です」
アロイス王太子はシルビアに微笑みながら首を横に振った。
「君がいない間に養子縁組は解消されてる。だから、今はウェリントン家に戻って子爵令嬢だ」
「それでは、ルイスとは?」
「すでに婚約破棄となった」
シルビアはルイス王子との結婚はもちろん望んでいない。だが、ルイス王子との結婚が無くなったのなら、いよいよ王室との別れ、アロイス王太子との別れが近づいている事を意味する。そう思うと胸がズキンと痛んだ。
アロイス王太子の前にウェリントン一家が整列すると、王太子は声を張った。
「蒸気機関の発明により、炭鉱の問題を解決するだけでなく、アウルム国の気球を操作可能にまでした。この技術はオーバーランド王国も発展させるだろう。見事な功績だ」
ウェリントン一家が深々と頭を下げる。
「よって、その功績に見合うだけのものを贈る。まず、優秀な息子と娘を育てたウェリントン子爵には侯爵位を。そしてマーレーン伯爵領だった領地を与え、これをもってかの地はウェリントン領となり、元々のウェリントン領と併せて治めるように」
ウェリントン一家は一斉に顔を上げて王太子を見た。その表情は喜びよりも、信じられないといったものだった。
「次に、ジルベール・ウェリントンに男爵位を——」
アロイス王太子の話の途中でバラド国王が手を挙げた。
「恩恵を与えている最中すまない。ジルベールにはこれも付け足してくれ。彼にはアウルム国と今後も共同開発をして欲しい。その代わり、アウルムの純度の高い鉄や、アウルム産の特別な石炭の取引は全てジルベール・ウェリントンに独占権を持たせる、と」
アロイス王太子は笑った。
「それはいいな。では、ジルベールに権限を」
貴族の婦人達の目が光り出す。ジルベールは今となっては娘の結婚相手として最優良株。アウルム国との独占取引の権利があるだけではなく、いずれあの広大な元マーレーン領、今はウェリントン領となった領地を相続し、侯爵となるのだ。
誰かが拍手を始め、パチパチとその音が広がり、やがて貴族達からウェリントン家に大きな歓声と拍手が沸き上がった。
「あの空飛ぶ船の構造をもっと教えてくれ、ウェリントン!」
「アウルムでは鉱山に自ら赴かれたのですか? なんて勇ましいの」
「元マーレーン領の領地経営相談ならいつでも乗るぞ!!」
今までそっぽを向いていた貴族達が一斉にウェリントン一家を囃し立て、祭り上げ、今のうちにお近づきになろうと必死になっていた。
群がる貴族達に向かって、ユルゲンが叫んだ。
「ご静粛にっ!!」
ピタリと声は収まると、ユルゲンが貴族達に道を開けるように指示を出す。開かれていく人波の間を、アロイス王太子が歩き始めた。その姿に気が付いた貴族達はさらに広がって行く。
ちょうど貴族が円になってウェリントン家を囲む状態になり、アロイス王太子はウェリントン夫妻の前で片膝をついて跪いた。見守る貴族達は驚きの声を上げ、ウェリントン夫妻も慌てて王太子に立ってもらうよう必死に促す。
「ウェリントン侯爵、並びに侯爵夫人に許しを乞いたい。どうか侯爵夫妻のご令嬢、シルビア・ウェリントン侯爵令嬢を我が妻に迎え入れる許可を頂けないか」
「しかし、我が家にはその資格は……」
ルイーザ王女も円の中に進み出て、ウェリントン侯爵に答えた。
「すでに侯爵位を得て、資産も獲得しました。シルビア嬢自身にはアロイスと一生を共に出来る深い愛も、国を動かせるだけの強い責任感もあります。十分すぎる資格をお持ちですよ」
ウェリントン侯爵は家族の方へ身体を向けた。そしてその腕を広げると、妻も、ジルベールもシルビアもその胸に飛び込んで行き、家族四人で抱き合った。そしてウェリントン侯爵はアロイス王太子の前で自身も跪き、結婚の許可を出す。
「アロイス王太子殿下。どうぞ我が娘を……」
その後の言葉は声が詰まって出なかった。
「侯爵、心から感謝する」
アロイス王太子は立ち上がると、今度はシルビアの前で跪いた。そして左手を取り、薬指に指輪をはめる。
「シルビア・ウェリントン侯爵令嬢。私と結婚して欲しい」
シルビアが左手の薬指をみると、美しいアイリスの花がデザインされた指輪だった。そして再びアロイスを見る。アロイスの瞳は強い意志と愛情が感じられた。
「シルビア、君を生涯大切にする」
「アロイス、私もあなたを生涯大切にします」
再び貴族達から色づく溜息や歓声が上がった。
全てが大団円を迎え、貴族達もそれぞれの領地へと戻って行く。
今年の社交シーズンが終わった。
静かになった王宮の国王の部屋に、ルイーザ王女、バラド国王、アロイス王太子、シルビア、ルイス王子、そしてアルタンが集まり、意識のない国王を見ている。
ルイーザ王女は国王のベッドの横で膝をつき、毎晩しているように国王に話しかける。
「国王陛下……。ねえ、お父様? 聞いてくださる? 今日は素晴らしい一日でしたの。お父様の後継者は国の腐敗を食い止め、有能な貴族を見出しました。そして今日一番のご報告は、アロイスとルイスの結婚が決まったのです」
ルイーザ王女は熱心に話しかけるが、いつも通り何の反応も示さない。
「お父様……喜んでくださっているわよね?」
ルイーザ王女は国王が倒れてから、毎晩欠かさず声を掛け続けていた。もしかしたら目覚めるかもと思いながら声を掛けるが、結局何の反応も返ってこない日々をずっと繰り返していた。それがどれだけ彼女の心をすり減らしていたか……その場にいる全員は胸が締め付けられていた。
バラド国王がルイーザ王女に近づき、隣で一緒に膝をつくと、優しく肩を抱き寄せた。
そしてバラド国王はルイ国王に語り掛ける。
「ルイ=アロイシウス国王、このアウルム国バラドより謹んでお願い申し上げる」
「バラド?」
急にルイ国王に願い始めたバラド国王にルイーザ王女は首を傾げて彼を見た。彼は真剣な表情で、まるでルイ国王が起きているかのように言葉を続けた。
「あなたの大切な王女、ルイーザを我が妻に迎えたい。命が尽きるまで彼女を大切にし、愛し抜くと誓おう。オーバーランドにも頻繁に訪れる。だから、ルイーザをアウルムに連れて行くことを許してほしい」
「バラド!」
ルイーザ王女が驚いて立ち上がった時、ずっと心待ちにしていた声が聞こえた。
「……許す」
その場にいる全員が息を呑んだ。今、確かにルイ国王は返事をした。
ルイーザ王女が急いでルイ国王の枕元で声を掛ける。
「お父様! 目が覚めたの? お父様!!」
ルイ国王はゆっくりと目を開き、ルイーザへと視線を向けた。
「毎晩聞かせてくれるルイーザの話が嬉しかった。私も、弟達も、もう大丈夫だから、幸せになりなさい」
ルイーザ王女は自分の口を片手で強く握るように塞ぐ。こんなに大勢の前で泣くなど、王女として、弟達の姉として絶対に出来ない。熱くなる目頭と喉元に必死に抗った。
そんな彼女の手をバラド国王が強く引いて無理矢理抱きしめた。ルイーザ王女の顔はバラド国王の胸元にある。
「誰もお前の顔を見ていない。だから思い切り泣け」
ルイーザ王女は声を殺して涙を流した。
——ルイ国王はこの日、息を引き取った。
♢
紅葉の始まった美しい山々や木々、そして咲き乱れる秋桜や金木犀が、広大なウェリントン領を鮮やかに染めていた。
その自然の中を走り抜ける蒸気機関車に、秋の収穫をしている領地の民たちが一斉に手を振る。
「国王陛下! 王妃殿下!!」
「ウェリントン領の女神!」
汽車の窓からはアロイス国王とシルビア王妃が民に手を振っている。シルビアは美しいウェリントン領を見て、タラテに感謝する。
(あなたが育てた土地……あなたほどの力はないけど、あなたの子孫のウェリントン家が引き継ぎ、大切に育んでいます。あなたが支えたかったアウルム国も、今はあなたの子孫であるジルベールが科学の力で発展させて、国力を上げる貢献をして支えています)
物思いに耽るシルビアの顔を、アロイス国王が覗き込む。
「私の愛する妻は何を考えているんだい?」
「やだ、アロイス。そんなに見ないでください」
アロイス国王は覗き込むついでに、そのままシルビアにキスをした。近くに座るユルゲンは、その瞬間はちゃんと窓の外を眺める。
「今回のアウルム国の滞在は、やんちゃな甥っ子や気難しい姪っ子の世話をさせられて大変だっただろう」
「いえ、とても楽しかったですよ。どちらも国王と王妃の血が色濃く出ていて、将来が楽しみですね」
「ははは、あの二人の子供達だから、さぞ気も強いだろうな」
アロイス国王とシルビア王妃は、アウルム国の威厳溢れる国王夫妻を思い出し、互いに目を合わせて笑った。
「ジルベールもすっかりアウルム国での研究が楽しいようで、いつかちゃんとウェリントン領に戻って来るのか心配になるな」
「ふふ、ちゃんと帰ってきます。貴族の務めを理解していますから」
汽車はウェリントン領を抜けると、あの森のそばを駆け抜ける。
「ああ、あの森、懐かしいな。ルイスは相変わらず女王と野原を駆け回っているんだろうか?」
「野原って。ハイステップの大草原ね。またあの地平線を見に行きたいですね」
「そうだな。次はルイスに会いに行こう。きっと更に真っ黒に焼けてるぞ」
汽車は終着点の王都に到着し、オーバーランド国王夫妻は王宮へと戻る。
二人を待っていた小さな王太子が乳母の手を離れてシルビア王妃の元に駆け込む。
「おとうさま、おかあさま! おかえりなさい!」
白い肌に、透明感と艶感のあるブルネットの髪、アロイス国王と同じコバルトブルーの瞳をした、可愛らしい王太子である。
「ただいま、アルヴィス。お父様とお母様がいない間は良い子にしていたかしら?」
「もちろんです! アルヴィスはおかあさまに手紙を書きました!」
小さなアルヴィス王太子はシルビア王妃に手紙を渡した。ちゃんと封蝋もされている。控えていた乳母が微笑みながら教えてくれた。
「正式な書状だから封蝋もして欲しいと言われ、押させて頂きました」
「まあ、それは大切な手紙だわ。さっそく読ませて頂きましょう」
シルビア王妃は封蝋を開け、アロイス国王とともに手紙を読む。小さな子供が書く手紙の難解さに、アロイス国王は呟く。
「……不可解な手紙だ……まったく読めん」
幼いアルヴィス王太子は父の言葉にぷくっと頬を膨らませた。その愛らしさにその場にいた皆が癒され微笑む。
乳母がシルビア王妃から手紙を受け取ると、コホンッと軽く咳をする。
「では、僭越ながら私が代理で読み上げさせていただきます。オーバーランド王国王太子アルヴィスは、シルビア・オーバーランドに婚約を申し込む」
乳母の読み上げた不可解な手紙の内容に、相手は子供にもかかわらず、ムキになったのはアロイス国王だった。
「ならんっ!! シルビアは私の妻だ! 既婚者に求婚などありえないのは貴族じゃなくても誰でも知っている!」
その言葉にぴゃーっとアルヴィス王太子は泣く。シルビア王妃は、小さな子供を泣かせたアロイス国王に冷ややかな視線を向けてから、優しくアルヴィス王太子を抱き上げた。
「泣かないでアルヴィス。わかりました。あなたに大切な人が現れるまで、そのあいだだけ私があなたの婚約者になりましょう」
「ほんと?」
シルビア王妃はアロイス国王に笑って見せてから、愛おしい王太子に微笑む。
「ええ、でも、仮初めの婚約者ですからね」
END
※最後まで読んでくださった事、心から感謝申し上げます。
703
お気に入りに追加
1,403
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(16件)
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。

【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
どうも、死んだはずの悪役令嬢です。
西藤島 みや
ファンタジー
ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
それぞれ皆のストーリーがあって、とても読み応えありました。
その中でもルイ国王の最後の言葉が、泣けました。
ルイーザ王女が幸せになれた事も最高に良かったです。
とても素敵な物語ありがとうございました(*´꒳`*)
ご感想ありがとうございます。そんな風に言っていただけて、こちらこそ涙が……。最後までお読みくださり、感想まで頂き、心から感謝申し上げます。
会いのあふれる終わりは良いですね❤そして息子っていうのは母大好きなんですね。
昔々、母を大事にできる息子は、妻を大事にすると言われたことがありますが、次世代もきっと素敵な国になりそうな終わりで、最後まで読めて良かったです!
ご感想ありがとうございます!!
母を大事に出来る息子は妻を……素敵なお話ですね。物語の最後にとても素敵なエピソードを頂きました!ありがとうございます!
最後までお読み頂き、こうして感想まで下さって本当に嬉しいです。心から感謝申し上げます。
【認証不要です】
38話
(ルイーザ王女が)ウェリントン伯爵に答えた←侯爵?
報告です
とても助かります!!ありがとうございます!!